すっぴんで歩く心許なさも、メイクやファッションで変われる喜びも知っているから

私の一番古いオリンピックの記憶は1988年のソウル大会だ。
陸上男子100m決勝でのカール・ルイスとベン・ジョンソンの対決。新採用のテニスでは4大大会全てに勝利したシュテフィ・グラフが、オリンピック金メダルも手にする"ゴールデンスラム"の偉業達成。日本人では背泳ぎの鈴木大地が金メダルを獲得し、一躍"バサロ"フィーバーを巻き起こした。

私はこの時小学3年生。運動はからっきしだったが、当時からスポーツ観戦が大好きで、テレビにかじりついてオリンピック中継を見ていた。

とりわけ強く印象に残っているひとりの選手がいる。陸上女子100m・200m・400mリレーで三冠を達成した、アメリカのフローレンス・ジョイナーだ。

マニキュアで彩られた長い爪、口元には真っ赤なリップ。煌びやかなアクセサリーを身につけ、ロングヘアを靡かせながら颯爽と走る姿が忘れられない。満面の笑みでゴールを駆け抜けた光景はあまりにも鮮烈だった。

彼女を見て真っ先に思ったことは「スポーツ選手でもオシャレして良いんだ!」だった。当時の私にとって、女性アスリートは皆すっぴんで、着飾る事なく競技に打ち込む人であったからだ。
悲しい事に”女性らしさを捨ててストイックに練習に励むこと”こそが成功への道だと、無意識に刷り込まれていたような気がする。

こうした"理想の女性アスリート像"の押し付け被害は、30年以上経った今でも後をたたない。多くの人の心の中に時代遅れの偏見が燻っているのが現実だ。
アーティスティックスイミングや新体操など、メイクもパフォーマンスの一部とされるスポーツを除いて、女性アスリートが着飾ったり、メイクを楽しんだりすることに懐疑的な意見は少なくない。

なぜ競技とは無関係のプレッシャーに悩まされなければならないのか?

いつまで彼女たちは理不尽な非難に晒されなければならないのか?


スキージャンプ高梨沙羅選手のメイクやファッションが話題になったことは記憶に新しい。学生時代から注目を集めた選手ゆえに、素顔を見慣れており、メイクを施し美しく変身した姿に驚きがあったのは間違いない。
しかし、年頃の女の子がメイクやファッションに興味を持つのは極々自然な事で、アスリートだからそれが許されないというのは、全くもって同意できない。ましてや化粧やオシャレにうつつを抜かしているなどと非難される謂れはない筈だ。
マツエクしたからって飛距離が落ちるわけじゃない。僅か2〜30分メイクに時間かけたところで練習に支障を来すとでもいうのか?

スポーツに限らず、日本人特有の考え方なのかもしれないが「楽しいことを我慢して掴んだ成功にこそ価値がある」という論調は昔から疑問だった。
禁欲主義的な思想そのものを否定するつもりはないが、女性アスリートは、メイクという目に見える形で変化が表れるから叩きやすいだけではないか?と。

だからこそ、そんな周囲の雑音を結果で跳ね返した彼女は心底カッコいいと思った。

彼女たちの苦悩とは比較にもならないが、私には約1年半の間、皮膚疾患が原因で全くメイクが出来なかった時期がある。誰に注目されることのない一般人の私でさえ、荒れた肌を晒しながらノーメイクで外を歩く事が苦痛で仕方なかった。

それだけに皮膚炎が治ってメイクが出来るようになった時の喜び、下を向いて歩かなくて良いという安堵は想像以上のものだった。
美容院に行くのが怖くて伸ばし放題だった髪をバッサリ切り、出来るだけ目立たないようにと身につけていた地味な洋服は思い切って処分した。友達に連れられて、数年ぶりにデパートのコスメカウンターに行ったあの日。心が弾んた生まれ変わったような気分だった。

こういう経験をして改めて思う。
メイクやファッションは、見た目以上に心に与える影響が大きいのだと。
すっぴんで出歩く恥ずかしさや、メイクで自信を持てる気持ちはわからないかもしれない。でも新しい洋服を着て出かける時の高揚感や、好きなものに囲まれている時の幸福感は、男性はじめ多くの人が理解できるんじゃないか?と思う。

今回の東京オリンピック。
日本人選手の活躍で注目を集めたのが、スケートボードやスポーツクライミング、サーフィンなどの"アーバンスポーツ"だ。
国籍や勝敗を超えて、選手同士が個々のパフォーマンスを称え合い尊敬し合う姿や、競技全体をみんなで盛り上げようという雰囲気が多くの感動を呼ぶとともに、男女ともに個性的なファションヘアスタイルメイクなども話題になった。

※画像お借りしています

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世間の反応を調べて回ったわけではないけれど、少なくとも私の周りでは好意的に受け止めている人が多い。
他の競技でもヘアスタイルネイルタトゥーアクセサリーなどで、自分のスタイルを貫くアスリート達の姿を男女問わず沢山見かけた。
女子アスリートのマスクアクセサリーなんかも可愛かったよね!

そうやって個性を受け入れる土壌が少しずつ出来つつある一方で、「メイクしてる暇があったら…」とか「ネイルなんかしてチャラチャラしてる」といった、一部分だけを見てアスリートの努力や人格を無視するような心無い言葉や、的はずれな嘲笑を目にすることもあった。本当に胸が傷む。特に、同じ女性側からもこういう声が上がることには寂しさしかない。

メイクやオシャレをするか・しないかは問題ではない。気分を落ち着けたり、パフォーマンスやモチベーションを上げる「何か」が"メイク"や"ファッション"であってもいいでしょ?ってことだ。

練習量こそが自分の自信に繋がるという人もいるだろう。好きな音楽や家族の写真が力となる人だっている。
それと同じように、メイクやファッションからパワーをもらって競技に取り組む人が居てもいい。

少なくとも私は、酷い皮膚炎で顔を隠して歩く惨めさも、メイクやファッションが、大袈裟ではなく明日を生きる原動力となることも知ってしまった。

アスリート達が積み重ねた努力や、競技と真剣に向き合った時間は、見た目で判断され否定されるものじゃない。男女問わず、またメイクする/しないに関わらず、だ。


アスリートと美については誹謗中傷に留まらない。
ドイツ女子体操チームの「ユニタード」着用に代表されるように、近年女性アスリートへの性的被害の問題も浮き彫りになっている。
また美しさを競う評定競技においては、成長期に過度な食事制限を行うことで摂食障害を引き起こし、選手生命を縮めてしまうケースも多い。

そんな「アスリートと美」の問題に向き合い、女性アスリートが強く美しく輝くための支援をしている方がいる。元バドミントン選手でアスリートビューティーアドバイザー花田真寿美さんだ。

メイク、ヘアアレンジ、ピラティス、栄養学、パーソナルカラーなど多方面から、女性アスリートやスポーツを楽しむ女性たちが、自信を持って目標を目指せるようサポートする活動を行っている。

こういう取り組みがもっと広く知られ、パーソナルトレーナーと同じくらい身近な存在になれば、謂れのない非難で苦しむ人や、的外れな偏見を振りかざす人、セクハラやパワハラ被害に悩む女性アスリートも少なくなるのかもしれない。


トップアスリートに限らず、女子生徒の体操着がブルマからハーフパンツへと変わっていったように、私たちが着用するようなスポーツウェアも時代と共に変化してきた。
例えば高校球児が坊主じゃなくたっていいし、水泳授業で男子生徒がラッシュガードを着用したっていい。そういう身近なところから、個性を尊重し、無意味な強制をなくしていくチャンスはいくらだってあると思う。

他人の視線や第三者の偏見に振り回されず、自分らしいスタイルで、最高のパフォーマンスを出せる、それが当たり前になればいい。そうすればスポーツはもっと面白い。もっともっと素晴らしい。

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