雨やどり
夏の夕立の時期、傘を持って出かけるか持たずに出かけるかは一種の賭けのようで、それを決めるほんの一瞬わずかに心が鋭敏になる。
そして、「ままよ!」とばかりにあえて傘を置いて出かけるのだ。
このところ毎日のように雲が筋肉隆々みたいな入道雲に発達し、やがて墨を溶かしたように黒々と広がりだし、そして雷がどこかでひっそりとなり始める。
そういえば、昔は雷とか真っ黒な雲が渦巻く空とか、そんな雰囲気が好きだったな。
なんだか妙にワクワクするというか。
そして、いつもあるひとつの風景を思い出すのだ。
雷がゴロゴロと鳴り、激しい夕立が降っていた。空は黒いのと鉛色のと黄色のとで不思議な色合いでまだらに広がっていた。
ぼくとおばあちゃんは、軒下にたたずみながらそんな空を見上げながら空がピカッと光ったり、稲妻が走ったりするのを静かな興奮とともに眺めていたのだ。
稲光があると、音がするまで何秒かかるかを数えたりしながら。
ぼくとおばあちゃんは、ほとんど何も話さず、ただじっと嵐のような夏の空を眺めていた。
子どもの頃は、雷の本当の怖さを知らなかった。だから雷が鳴りだしても平然と外にいたり、喜んだりしていられたのだ。
しかしその怖さを知ってしまうと、なんだか子どもの頃に感じていたワクワクが奪われてしまったようで、少し寂しい気もしないではない。
話は戻るが、
出がけの天気予報では、気象予報士の正木さんが夕立に注意してください、と言っている。
だけれど、ぼくはあえて傘を持たずに出かけるのだ。
夕立があれば、どこかで雨宿りをしたらいいではないか。時間がいくらでもあった子どもの頃のように。
大人になり、せわしない世の中を歩き続けながらも、たまには流れから逸れ、そして立ち止まり、じっと雨のやむのを待つというのも、風流でよさそうだ。
「雨、上がりましたね」
隣で同じように雨宿りをしていた人がぼくに笑顔を向ける。
「そうですね、やみましたね」
ぼくも笑顔で返す。
いつの間にか雲は白くなり、その隙間からは日の光がのぞいている。
ふと見ると、東の空に虹が架かっている。
きれいですね・・・
ぼくら見知らぬ二人は、しばし晴れやかな顔をしながら、その淡くて儚い虹を見上げるのだ。
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