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雨上がりにコーヒーを飲みながら

 先日の話である。

 スタバの席に腰掛けながら、心は少しうわつきとともに充足を感じていた。
 ある人との待ち合わせの前に、スタバで少しの間noteの原稿を書こうと考えて、少し早めに家を出てきたのだ。

 そういうわけで、ぼくはトールサイズのコーヒーをテーブルにセットし、クロームブックで文章をタイピングしていた。

 雨上がりの午後だった。雲間からは雨上がりの光が優しく射し始め、通りを行き交う人たちは、手にした色とりどりの傘をたたみながら、かすかな笑みとともに空を見上げている。

 雨上がりの空気というのは、まるで世界が生まれ変わったみたいに物の色や境界がくっきりと見えるようで、なんだか好きだ。

 ぼくはーー今の情景とは全く関係ないのだけれどーーふと黒澤明監督の遺作脚本(監督は小泉堯史氏)の映画「雨上がる」を思い出した。そして実際に、

「雨上がる・・・」

 となんとなくつぶやいて、小さく笑ってみたりした。

 ぼくには、一度はやってみたい「夢」というか「憧れ」というか、そういう物がいくつかある。
 「スタバでパソコンを開いて文章を書くこと」、それもそのひとつだった。

 
 店内を見渡せば、イヤホンで何かを聞きながら座っている学生風の女性や、同じようにパソコンを開きながらコーヒーを飲む男性がいる。

 みながそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。
 そこは開かれた空間であると同時に、極めて個人的な時間が流れている場所でもあった。

 パソコン越しに眺めていると、なんだかスタバで過ごすいつもの景色とは何かしら違って見える気がした。

 雨上がりの空気と同じように、なぜか店内がクリアで鮮やかに見えるのだ。まるでぼく自身の目の、光に対する感度が高くなったみたいに。

 少しの緊張と、充足感が心のなかにあった。
 景色というものは、心の持ちようでまるで変わって見えるものなのだな。
 そんなことを思いながら、ぼくはコーヒーを飲み、そしてキーボードを叩いた。

 いくつになっても、初めての体験というものはドキドキするものだ。

 初めてスタバでコーヒーを頼み、

「トールサイズで」

 と言ったときにも(恥ずかしながら)かなり緊張した覚えがある。

 スタバでものを書く以外にも、いつかやってみたいと思っていることがある。

 例えば(くだらないことばかりなのだが)、

 ひとりで居酒屋に入って酒を飲むとか、
 雪で作ったかまくらの中で暖かい鍋を食べたいとか、
 いつか東北の民謡酒場に行き、太棹三味線を聞きながら地酒を飲みたいとか、
 いつか娘とキャッチボールをしたいとか。

 でも一方では、「やりたいこと」はいつまでも、「やりたいこと」、のまま置いておくのもいいのかもしれないな、とも思う。

 おかしなものである。
 

 気が付くと、すでにトールサイズのコーヒーが空っぽになっていた。なんだか物足りないな。次はもうワンサイズ上の、グランデサイズを頼んでみようかな、とぼくは思った。

 あ、またひとつやりたいことが増えたかもしれない。




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