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【掌編小説】たそがれ時の交差点で

 山の稜線が淡くなりはじめたたそがれの時だった。
 道の両側に植えられた銀杏の木は、太い幹の中から再びか細い枝を空に向けて伸ばし、小鳥の群のような小さくて黄緑色の葉を鈴なりに萌えいでだしていた。それらは冬の間に強靭な電気のこぎりの刃によって無惨にも大枝を切り取られ、まるで腕をもがれた彫像のようになっていた銀杏だった。
 一台の黄色い自転車が目の前の車道をものすごい勢いで走り去っていった。その後を何台かの車が行き、それからゆっくりと走る青年の乗る自転車が来て、その後ろを走る車は灰色の影を引きずりながらノロノロと彼のあとに付いて続いていた。

 銀杏の根っこのあたりの土からはからすえんどうの草が、地面を這うように絡まりながら生えていた。草の匂いをかすかに感じることができた。からすえんどうで笛をこしらえ鳴らして遊んだ子供の頃を思い出させる匂いだった。

 歩道には家路につく大人たちが夕陽を片側に浴びながら俯き加減に歩き、私もそのうちの一人であったのだ。
 交差点の信号が赤に変わり、私は信号待ちをする大人たちの後ろの方に佇むように立って信号が青に変わるのを待った。赤く染まった雲がたてがみをなびかせながら広い平原を駆け回っている美しい馬の姿のようだった。
 赤く燃えるような馬。それは、命にも似ていた。

 信号が変わるのを待っていると、後ろから子どもの声がしたので私は何気なく振り返った。後ろからは、3歳くらいとその子よりもふたつかみっつほど年上の姉妹が絡み合うようにしながら歩いてきていた。彼女たちのあとには大きな買い物袋を両手に抱えながら彼女たちの母親がいた。
 女の子はふたりとも、その前髪がまっすぐに切りそろえられていたが、微妙に傾いているところを見るとその髪は母親に切ってもらっているのかもしれなかった。
 「赤やから止まりよ」
 母親は大声で二人に呼びかけ、転がるような笑い声をたてて止まり、妹のほうが両手を筒のように丸め、それを目に当てて双眼鏡のようにしながら姉を見、母を振り返り、そしてもういちど姉の方にむけてケラケラと笑った。その笑顔は夕陽に照らされて朱色に染まっているようで、その声はなにかの結晶の欠片のように空中に快く散らばっていった。

 信号が青に変わり、大人たちはみな重い荷物を持ち直しながら静かに道を渡り始めた。私にもリュックの重みが肩に食い込むのが改めて感じられた。
 スクランブル交差点では多くの人が交差し、そこに自転車も交わり混沌となす中を、人々は互いに避け合いながら、触れることはなく、そこにはどこか、混沌の中にある種の秩序さえ見られるようにも思われるのだ。
 道を半分ほど渡りきったところで、私の背後に何かがぶつかり、そして両手で作った双眼鏡を覗いているさっきの妹が私を追い抜いていった。そのあとを姉が追いかけ、妹がくるりと振り返って、
 「お姉ちゃん!」
 と叫ぶと、姉の方も両手を目に当てて妹を覗く仕草をした。
 その空間は、私たちの空間と同じところにあるのだとはまるで信じられないくらい、キラキラと宝石のように輝いていたのだった。
 私がどこかに置き忘れてきてしまった、なにか大切なものを彼女たちに見ているような気さえしたのである。
 姉妹は周りの大人にぶつかりながら、母親を振り返り、ふたりでお母さんを指の間から覗き込みながら笑いあった。
 母親は、すまなさそうな表情で、
 「危ないから前見て歩きなさい」
 と娘たちに声をかけたけれど、ふたりは構わず指から母親を眺め、母親がふたりに追いつくと、一緒に母親に抱きつきながら道を渡りきった。
 ふたりは再び、手を丸めて母親の顔を指の間から一緒に覗き込み、
「お母さんもして!」
 と言い、姉と妹は後ずさりしながら色んなところを指で作った筒の間から眺めては笑い合っていた。
 夕日を背負い、彼女たちから長い影が伸びていた。切りそろえられて少し斜めになった前髪が、ふたりの動きに合わせて跳ねるように揺れていた。
 
 
 

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