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あさげの時間

 記憶のひだを丁寧に解いていくとき、そこには密やかに、だけれど鮮やかに、そしてとても大切にしまい込まれている記憶がある。
 ぼくにとってのそれは、食事にまつわるストーリーに他ならない。

 生活にはいつも食べ物や食事があった。ストーリーとまでは言えないかもしれないけれど、それはもしかしたらほんの小さな記憶の断片なのかもしれないけれど、どういうわけかそういったささやかな思い出の一つひとつが、ときに自分の支えになってきているとさえ感じる事がある。


 子どものころ、隣にはぼくの祖父母と叔父叔母といとこの姉弟が住んでいた。隣は6人家族で、うちは5人家族。ぼくには2人の姉がいたけれど、ふたりともぼくとは10歳以上も年が離れていて、また父親は早朝に仕事に出かけるために、たいてい家で食べる朝ごはんはひとりだったように記憶している。

 うちでの朝食は、トーストにマーガリンを塗ったものや、菓子パンを焼いたものが定番だった。
 朝の時間はたいてい、ラジオパーソナリティーの声と、洗濯機の回る音が聞こえていた。

 だけれど、朝ごはんの時間にぼくはしょっちゅう隣の従兄弟の家に行っていたのだ。もしかしたらそんなにしょっちゅうではなかったかもしれないけれど、そう思うくらいにしっかりと記憶に刻まれているのだ。

 隣の家とぼくの家とは間に垣根もなく、居間のガラス戸から外に出ると、ほんの数歩行くだけですぐ、隣の居間のガラス戸から入ることができるようになっていて、少なくとも小学校低学年くらいまではぼくはつっかけを引っ掛けてよく朝の時間に隣の家に行き来していたように思う。

 隣の朝ごはんは、なぜだか知らないけれどいつも茶粥ーーぼくらはそれを「おかいさん」と呼んでいたーーだった。茶粥は温かくて美味しかった。茶粥は黄色くて、当たり前だけれどほんのりお茶の香りがした。やさしい味だった。
 どうしてうちと隣とでは朝ごはんがこんなに違うのだろうっていつも不思議だったけれど、もしかしたらおじいちゃんが茶粥が好きだからだろうな、と勝手に思っていた。その家ではおじいちゃんは一番の権力者だったから。
 夕食では、おじいちゃんのおかずにだけいつも、みんなにはない「お刺身」がついていたところからもぼくはそう思っていたものだ。

 隣の家の叔母はーーぼくの母親の弟の妻ーー、ぼくが居間のガラス戸を開けて入っていくといつも、

 「おはようさん」

 とこころよく迎え入れてくれて、お茶碗に茶粥をよそって食べさせてくれた。

 ぼくと歳の近い二人のいとこもいたし、おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃん、その家では朝ごはんはみんな揃って食べていた。そんな雰囲気が好きだったのかもしれないな、と今になっては思うのだ。

 茶粥は美味しくて、ぼくはよくおかわりをした。ときどき、

 「ごめんなぁ、今日はあんまり作ってへんからもうないねん」

 ということもあったけど、そういうこともひっくるめて、ぼくの心にはいい記憶として残っている。

 朝の弱くてやわらかい日差しが、摺りガラスをフィルターにして優しく居間に入り込んでいる。部屋には、焼き魚や味噌汁や、お茶の香り。そしてみんなの声が満ちている。
 おばあちゃんはきちんと着物を着て座り、おじいちゃんはゲンノショウコの薬湯を入れたやかんをいつもそばに置いて飲んでいる。
 ぼくらはゲンノショウコのことを「くすり」と呼んでいたけれど、おじいちゃんがいないときにはよくこっそりと飲んだりしていた。独特な味がして、でもなんだか落ち着く気がしたものだ。ゲンノショウコの味はおじいちゃんの味だった。

 みんなで食べる。子どもながらにそれを求めていたのかもしれない。

 このような、食べ物や食事にまつわる光景は、生きている中で、ふとした時に幾度となく思い起こされるのだ。
 そのような時間は、まちがいなくぼくにとって大切な時間であり、かけがえのない思い出であるのだろう。

 コロナ禍の影響で、今はうちでは別々の机で、向き合わずに食べることになっている。ぼくはテレビを見、妻と娘はそれぞれにスマホやタブレットを見ながら食べている。
 2年も経てば、もうそれが当たり前になってきたけれど、いつもどこかでぼくはみんなで一緒に食べるのがいい、と思い続けてきたところがある。

 ようやくコロナも落ち着き、ふと妻に、食事の仕方を戻すことを提案したのだけれど、どういうわけか却下されてしまった。ぼくは少し寂しさを覚えたと同時に、みんなで食べるご飯の光景を、ひとつの大事な心象風景のように思い出すのだ。

 娘には、どんな食事の風景が思い出に残るのだろう。
 コロナ禍の前のように、家族で向き合って食べていた頃の光景が、心のどこかに刻まれていたらいいのにな、と思う。

 そしてまたいつか、みんなで向き合って食べることができる日が来ることを強く望むのだ。



 


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