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【ショートストーリー】ホワイトデー

 仕事場から家に帰る途中に、ちょっといいチョコレート屋がある。

 今日は3月14日、ホワイトデー。

 妻と娘へのバレンタインのお返しに、そのチョコレート屋でちょっといいチョコレートを買って帰ろうと思っていたのだけれど、案の定仕事が遅くなってしまい、帰るころにはもうその店はとうに閉まる時間になってしまっていた。

 妻は最近、中国のドラマにはまり、ユーチューブで中国語の勉強をしている。
 娘は娘で、今流行っているのとか、美容のとか、ダイエットのとかのユーチューブに夢中になっている。そしてユーチューブを見ながら、健気にも、運動や、筋力トレーニングなどを懸命にやったりしている。顔を真っ赤に上気させながら。

 チョコレートの店はもう閉まってしまったので、仕方がないので駅近くのコンビニエンスストアに行き、ちょっと変わったチョコレートをいくつか買うことにした。
 その時ふと、ある時娘が、プロテインバーに少し興味を持っているようなことを言っていたことを思い出した。コンビニの中を探してみると、あったあった、ありました! 何種類かのプロテインバーが。娘の顔を思い浮かべながら、試しにそれを買って帰ることにした。

 家に着くと、おもむろにさっき買ったものをカバンから取り出した。
 「一応、ホワイトデーやからさ」
 すると、いつもは何かおみやげを買って帰っても――ドーナツとか、たこ焼きとか――基本的に無関心な妻だったけれど、
 「ありがとう」
 と今夜は。
 「ガルボの、大人味のやつ。変わってるやろ」
 と妻に手渡した。
 そして、娘には、
 「カカオ72%のチョコのオレンジ味」
 と、娘に差し出すと、
 「おいしそう~」
 娘は、ユーチューブが流れているアイパッドから顔を上げて言う。
 「おお、そやろ。おいしいかどうかは知らんけどな。あと、これ、プロテインバー。 ようわからんかったから、とりあえずイチゴ味にしたわ」
 娘は、手を出して、奪い取るようにしてプロテインバーをつかんだ。
 「食べてみたかったやつやろ?」
 私が聞くと、
 「うん。○○ちゃんが、ユーチューブで食べてるって言っててん。それとおんなじやつやわ」
 と答える。
 ユーチューバーの「○○ちゃん」というのが、いつまでたっても覚えられない、というか、いっぱいいすぎて、私にはまるで区別がつかない。
 「そやろ。ホワイトデーやし、自分でやったらはなかなか買わへんやろ、こんなん」
 「うん。食べてみてもいい?」
 娘は、さっそく興味津々のようだ。
 「ええよ」
 
 それからすぐに私はお風呂に入った。そして上がってきてみると、娘はアイパッドでまたユーチューブを見ていた。傍らには、食べ残したプロテインバーがあった。
 「なんか、おいしくなかったから、もういいわ」
 と娘。
 「はは、ほんまかいな」私は笑った。「そやけど、食べてみんと、おいしいかどうかもわからんもんな。何事も経験や」
 「うん、まあね」
 彼女は言った。
 「また今度、違う味のやつ買ってきたろか?」
 私が聞くと、彼女はパッケージに書かれたデザインや成分表を見ながら、
 「う~ん、もういいかも」
 と、首をひねった。
 「でも、このオレンジのチョコ、コレはおいしいわ!」
 いつの間にか、彼女はカカオ72%のチョコのオレンジ味を開けていた。
 「ほんまかいな? よかった、よかった」
 そう答えた時には、彼女の興味はもう、ユーチューブに戻っていた。切り替えがびっくりするほど早い。一瞬の間にすっかり自分の世界に入り込み、画面を見ながらケラケラと楽しそうな笑い声を上げていた。
 オレンジ味のチョコを、まだ成長しきっていない指でつまみ、そしてそれをポイっと口に放り込みながら。

読んでいただいて、とてもうれしいです!