引き出しの中にあるもの
仕事場に来るヤクルトの販売員さんが、こないだ新しい人に変わった。
新人で、まだ慣れていないので、最初はマネージャーさんと一緒に担当のところを回ることになっている。
マネージャーに促されながら、今日からよろしくお願いします、と挨拶をし、A4の自己紹介シートを手渡してくれた。
まず、ぼくは名前を覚えようとした。なるほど、〇〇さん。そして出来得る限り頭に叩き込んだ。
やっぱり、名前で呼びたいし、呼ばれる方がいいだろうと思う。
「ヤクルトさん」
と呼ぶこともできるけど、ぼくはどちらかといえば名前で呼びたい派なのだ。
職場ではぼくは役職で呼ばれることが多くなったが、名前で呼ばれるとやはり新鮮で嬉しいものだ。
名前には人格がともなっているような気がするのだ。
彼女がくれた自己紹介シートには、彼女の出身地や今ハマっていること、学生時代にやっていたこと、推しのアーティストなどが書かれている。
一生懸命書いたのがすごく伝わってくる。いろんな思いが伝わってくる1枚だった。
きっと頑張って書いたんだろうなぁ・・・
そういえばぼくは、なかなか物が捨てられない。
特に人にもらった物についてはいつまでも取っておく性分なのだ。癖というか、傾向というか。
人事異動でいなくなる人からもらったものや、退職する人からもらったものなど。
それは例えば、もらったお菓子の包み紙だったり、箱だったり、ちょっとしたメッセージカードだったり。
そんなものに何が詰まっているということもないのだけれど、どうしてか大事にしまっておく癖がついているのだ。
まるでリスが、大事なものを自分の巣の中にしまい込むみたいに。
そこには、その人の思いが詰まっている。そんな気がするのかもしれないし、そのものの中に人格的なものを感じているのかもしれない。
その日の夕方、職場の同僚と話していて、ふと同僚のゴミ箱を見ると、そこには彼女が書いた自己紹介カードが捨ててあった。
えっ!?
瞬間、驚きとともに少し悲しくもなったけれど、
しかし、、多分これが普通なんだろうかな、とも思った。
あるいはこれくらいさっぱりとしている方がいいのかもな、とも。
その夜、残業をしながらぼくは机の引き出しを開けた。
そこには、彼女の書いた自己紹介の紙が入っていた。
その紙には、彼女の字で、彼女についてのことがたくさん綴ってある。
今はまだマネージャーについてもらっているけれど、いずれ彼女もしっかりと独り立ちをする時が来るだろう。
ぼくはその紙を取り出して、もう一度それを読み返し、彼女の描いた小さなイラストを眺め、それからまた、引き出しにそれをそっとしまったのだった。
読んでいただいて、とてもうれしいです!