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【小説】『坊ちゃん』夏目漱石

久々にnoteに書きたい!と思うほど良い小説だった。教師の私にはより面白く感じられた。教師にはぜひ一読してもらいたい。夏目漱石自身が松山で教師をやっていた頃の体験を下敷きにして生み出された物語。

親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。

あまりにも有名なフレーズから始まるこの物語。主人公は生粋の江戸っ子、坊ちゃん。坊ちゃんは愛媛の中学校に勤める。そこにいるのは、個性豊かな教師陣。校長の狸、教頭の赤シャツ、野だいこ(げす)、山嵐、うらなりくん…。え?本当に明治時代の小説なの?と思わせるネーミングセンス。

数々の事件が坊ちゃんを襲う。例えば、宿直室イナゴ事件。布団の中には大量のイナゴ(坊ちゃんはバッタかと思っている)。完全に生徒の悪戯。校舎にいる生徒を呼び寄せ詰め寄ったら「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気に遣り込めてくる。ここでの坊ちゃんの言葉が印象に残る。

おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘をついて罰を逃げるくらいなら、初めから悪戯なんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよくできる。いたずらだけで罰はご免蒙るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思ってるんだ。金は借りるが返すことはご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡麻化して陰でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと勘違いをしていやがる。話せない雑兵だ。
おれはこんな腐った了見の奴等と談判するのは胸糞悪いから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学へ入って、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人を逐っぱなしてやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも遥に上品なつもりだ。

坊ちゃんが正しい!江戸っ子の主張が気持ち良い!しかし、筋が通らない。悔しい。こういった感じの場面が、この小説にはいくつもある。
フラストレーションが溜まりに溜まって、最後にスカッとする池井戸潤的な話の構成。

表面上はよい顔をしている人々。裏で策略を回している。取り繕って、陰で好き放題している(これは、現代に通ずるところがかなりある)。そうした現状に真正面から立ち向かう坊ちゃん(江戸っ子)と山嵐(会津っ子)。物語の結末は上述したように一見スカッとしている。かと思いきや、社会的には負けているんだよなあ。う~ん、悔しい。

江戸時代の良き心構えが、時代の流れに取り残されていくニュアンスが描かれている。でも、だからこそ、坊ちゃんや山嵐の生き方に触れると、大切なことを思い起こさせてくれるのだろう。

山嵐のセリフも心に響いたな。

教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると思います。もし反動が恐ろしいの、騒動が大きくなるのと姑息なことを云った日には、この弊風はいつ矯正出来るか知れません。かかる弊風を杜絶するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃すくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。

時代の流れに呑まれ、忘れ去られていく大切なことに触れさせてくれる物語であった。人情味溢れる坊ちゃんを好きになること間違いなし。


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