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1m後ろを歩いていた私と、5m後ろを歩く息子

ステイホームは慣れている。
2年前、コロナ渦で世の中が自粛生活になったが、私の生活にはほとんど影響がないと思っていた。

二女が特別支援学校を卒業してからは、年を重ねるたびに、引きこもりがちな毎日になった。
二女は、体調が良ければ週に3回、午前中だけ通所施設に通っているが、ほとんどの時間を自宅のベッドの上で過ごしている。
私の22時間くらいは、ずっと彼女とまったり一緒。


私も自分の時間が無いわけではなかった。
でも、没頭できる趣味は持てなかった。
「趣味」という言葉を忘れるくらいに、3人の子どもの育児で精一杯だったからだ、と思う。

緊急事態宣言が出ると、二女も通所施設に全く行けなくなり、訪問看護や訪問リハビリのサービスも止まった。
高校2年生だった息子もオンライン授業になり、想像以上に時間を持て余すことになった。

せっかくできた時間。
息子は何かの資格を取ろうと通信講座の資料を集め始めた。
私も一緒にそれらの資料を見ていて、以前から興味のあった絵手紙の講座に、ふと目が留まった。




数年前、地域の小さな地区センターで、私は乳がんの集団検診を受けた。
かなりの行列ができていて、自分の順番が「まわってくるのは、しばらく先だろう」と、げんなりしていると、たまたま隣に並んでいた年配の女性に話しかけられた。
その女性は絵手紙の講師をされていて、この地区センターの和室でも、週一度、絵手紙を教えているとのことだった。

「趣味で続けていたら、講師を頼まれてね。この地区センターで、火曜日に絵手紙を教えているのよ。絵手紙はおもしろいですよ。あたなもよかったら、どう?」

と、ふくよかな笑顔で気さくに私を誘ってくれた。
年齢を重ねても「おもしろい」と思える趣味があることを、とても羨ましく思った。
でも、昼間に習い事に行くのは、今の私には夢の話。

「よかったら、駅前の銀行に生徒さんの作品が展示されているから、銀行に行かれた時は、ご覧になってくださいね。」

最初から最後まで、品のよいおばあさま。
もっとお話してみたくなるような、魅力的な人だった。
習ってみたいなと、心を引かれた。
でも、それは最初からあきらめている。
「またいつか」と社交辞令に聞こえないように笑って、それぞれが検診のバスに乗り込んだ。




そんな、絵手紙の先生に出会って興味を持ったことを息子に話したら、手に持っていた通信講座の冊子の「絵手紙」のページ開いて、受講を私に勧めてきた。

「母さんも、やりたいことをやってみたらいいやん!」

「でも、続くかどうかわからんから、お母さんには、高い受講料はもったいなわ。」

子どもには何でもやらせてやりたいけど、自分には投資ができないお年頃。

「それなら、独学でやってみたらいいやん!今なら、時間もあるんだから。」

息子は「絵手紙の初心者セット」をスマホでサクサクと検索して、私の躊躇を無視して、ポチっとした。
いや、してくれた。
「えー!注文したん?」といいつつ、顔が緩む私。
ちょっと嬉しい。
まずは形からやってみるか!
私は息子に背中を押してもらい、30年ぶりくらいに、錆びついた学習意欲に火を付けた。




真新しい絵手紙の道具が届いたのは日曜日のお昼時。
たまたま、家族がみんな家にいて、キッチンでのんびりしていた。
ダイニングテーブルの上で、わくわくしながら開封してみる。
「最初は、お決まりのピーマンから描こうかな」と、冷蔵庫をごそごそしていると、新しい物好きの夫が、私より先に箱を開け、道具を出している。
しかも、私より先にピーマンを描き始めた。

「ちょっと、ちょっと!私の絵手紙セットなんだけどぉ。」

夫は気にせず、一枚、あっという間に描き上げた。
めっちゃ下手くそだ。
「これも味だな。なかなかいいやん!」と言いつつも、自分も下手を認めているようだ。
続いて私も、穴が開くほどピーマンを見つめながら、慎重に描いてみる。

「おお、母さんの方がうまいな。」

と息子が言うと、長女も、

「両方微妙やけど、お母さんの方がマシかな。」
と苦笑している。

気をよくした私は、次にトマトも描いてみた。
「構図がいまいちやな。」と言って、もうすでに描く気を無くした夫が、次は箱の中に入っていた筆ペンで遊び出す。
子どもよりも子どもだ。

絵手紙は、本来は奥が深そうで難しいけど、下手もそれなりに味がある。
思っていたより自由でいいぞ!
私はすっかり、絵手紙にハマった。


それからの毎日は、庭の木や草花を描いたり、YouTubeで描き方を勉強したり、時々、駅前の銀行に展示作品を眺めに行ったり、どんどん絵手紙がおもしろくなっていった。
夕食を作る前の30分間、二女のベッドの隣で絵手紙タイムを過ごすのが、ステイホームの日課になった。
いつの間にか、冷蔵庫の扉は私の作品展。
私の新作への家族の「悪口」が楽しくて、逆に私の創作意欲を掻き立ててくれる。


絵の題材も家のまわりだけでは限界がある。
外出先で、絵になる題材を探すのがすっかり癖になった私は、どこに行っても獲物探しにキョロキョロ。
不審なおばさんになった。

どこの部分を切り取って長方形のハガキに収めるか、いつもそんな視点で物を見ている自分がちょっと、画家みたいで好きだった。
普段は気にも留めなかった道端の草花も、近所の庭の花も畑も、郵便ポストや工事車両だって、とても美しくておもしろい。
スーパーに並ぶ果物も野菜も、描いてみたくて、つい買ってしまうこともあった。
習慣になっている週末のお散歩タイムは、カメラマンみたいに描きたい物を写メで撮るのが楽しい。

四季折々、世界はおもしろい色や形の題材で溢れていることを実感する。





「あんたも、家ばっかりじゃ体に悪いよ。お母さんとお散歩デートしよ!」

週末も部活ができず、パジャマでウロウロしている息子に声をかける。
毎回散歩に誘う私にあきれつつ、5回目の誘いで、息子は一度だけ、町内一周のデートに付き合ってくれた。
が、少し後ろを歩く。
少しじゃない、5mくらい離れて私の後ろを付いてくる。
というか、他人のふりして、後ろにいる感じ。

わざとゆっくり歩くと、彼もゆっくりになる。
不意に振り返ってみると、彼は止まる。
回れ右で歩き出すと、彼も回れ右して歩き出す。

なんだこりゃ?

「ちょっと!何でなん?そんなに離れなくてもいいのに。」

いや、ソーシャルディスダンスってことで。」

つれないヤツだな。
でも、高校生男子。さすがに母親と歩くのは恥ずかしいはず。ついてきてくれただけでありがたい。
小さい頃は、絶対、お散歩中は私と手を繋いで歩いた息子。
少し走れるようになると、私の手を離してチョロチョロ走りまわっていたな。
私は、彼の1m後ろを、いつもついてまわった。

そんなことを思い出して、歩きながら、ひとりしみじみする。

「おい、母さん、車来るぞ。」
「また、よその家の花を勝手に撮ってるの?怪しすぎるぞ!やめなよー」
「畑の中まで入るんかい!」

息子の小言が心地いい。
そんな見守りを背中に感じて、ちょっといい時間を過ごせたデートだった。(私的には、だけど)


遠くにお出かけできなくても、幸せはあるなぁと思えた日。


その後は、平常の授業が再開して、彼は全くお散歩に付き合ってくれなくなったけど、時々、めずらしい花を見つけると、写真をLINEで送ってくれるようになった。

自己流の絵手紙歴も2年になる。
noteを始めたとき、調子に乗って見出し画像に絵手紙を使ってみたら、大惨事になった。
なんだか、ダサい。
皆様の投稿と、違う。
なんていうか、古くさい。
おどろおどろしい。
それなのに、絵手紙付きで、5本も記事を投稿してしまった。

耐えきれず、見出し画像を「みんなのフォトギャラリー」から使わせていただくことにした。
すると、雰囲気がガラッと変わった。
すごい!
やっぱり、クオリティが高い!
すてきな写真やイラストのおかげで、イメージが明るくなり、見た目だけは3割増しにいい記事に見えてくる。

こんな画像を使わせていただけるなんて、ありがたいこと!
それを気づかせてくださった、素敵なクリエーターの方にも、心から感謝した。



見出しの画像を変えたことを息子に話すと、早速スマホでチェックして、

「なんや、変えたんかぁ。あのままも下手くそでおもしろいのに。でもなんで、俺の絵だけ変えてないの?」

「あんたの絵だけは、私、わりと気に入ってるから、そのままにしたわ。」
と、息子に言ってみた。

「ふーん、いいんじゃないの。」
興味なさそうな口ぶりだ。

「それより、あんたも私の記事にスキしてみてよ。一個だけでいいから。」

「無理無理。家族に甘えるなー。」
だと。
いじわるだ。やっぱり意地悪だ!

「ま、でも、母さん、すごいと思うよ。ほんとにnoteを始めて」

もう、だから、息子には甘くなる。

ならば、息子よ。
ご褒美に、母とお散歩デートをしてくださいませ。
5m後ろでいいので。


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