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【配信ライブ】凛として時雨 Perfake Perfect Tour 2021 Streaming Edition【感想レポ】

2021年3月5日、凛として時雨が凛として時雨の歴史を変えた。キャリア初のフル尺ワンマンライブの映像解禁だ。

昔のフェスでのライブ映像はたまにYouTubeに残っていたり、ライブの様子はシングルの「Telecastic fake show」の初回限定版に抜粋した5曲のみ残っていてそれも10年以上前の話、ワンマンライブをまるごと映像に残しファンに見せると言う行為は結成して20年近くなる彼らが今回が初めての試みた。

他のアーティストが当たり前に一夜限りのライブを終わらせまいと円盤化していることとは対照的で、”ライブ映像を残す”ことは凛として時雨にとって異例なのだ。

今回は緊急事態宣言下でも全国5箇所のライブを完遂した「Perfake Perfect Tour 2021 」のZepp Haneda公演のライブを映像配信。

初日のZepp Yokohamaに現地に行ったので見る必要もこうしてレポートに書き残す必要はないのかもしれないが、時雨が歴史を変えた瞬間というのは絶対に見たいし、客観的にいつものライブハウスで凛として時雨を見たらどう変わるのだろうと思った。

鮮やかで"Perfect"なパフォーマンス

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本番直前の楽屋裏のメンバーの様子からのテイクがはじまる。Tシャツにスキニーと着飾った様子のない親近感を感じるシンプルな服装。3人とも固まった緊迫した表情で客前に姿を現す。

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「鮮やかな殺人」「テレキャスターの真実」「トルネードG」では10年以上経った今でも色褪せない衝撃的な斬新さ。

今回のライブは特に凛として時雨の歴史が詰まったように見えた。音楽シーンに強い衝撃を与えた”あの時”の凛として時雨と、タイアップやメディア露出を増やし次々と進化を遂げてきた”今”の凛とし時雨が交差していた。

凛として時雨のライブは、映像やグラフィックなどの一連の技術をほとんど使わず、使う機材は楽器と照明のみ。ありがちな観客を抜くシーンはほとんどなく、映し出されているのはメンバーの演奏している姿や手元で、映画などの芝居では絶対に現すことが出来ないきめ細やかなカメラワークと鮮やかな照明が相まった芸術なまでのエモーショナルでクールで先鋭なスクリーンは、凛として時雨が産んだ天然の産物である。

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化物だ。モンスターだ。緩急のある転がるような激しい曲展開に一切の乱れなく息を揃えて、時空を歪ませ、ライブハウスの天地をひっくり返す。

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「I was music」「DISCO FLIGHT」「Telecastic fake show」の定番曲では血が騒ぐどころが、頭から爪先までのありとあらゆる毛細血管までランダムに沸騰していた。

今までもそうだったとは思うのだが、浴びた轟音はモッシュでもダイブでも拳を声を上げることなど何かしらの方法で放出できていたが、それら全てを禁止された今はライブハウスで浴びた轟音は自分の内に秘めるしかなく、自然と感覚が研ぎ澄まされていたのだ。

指先も、爪先も、頭のてっぺんも、心臓も、凛として時雨が音を鳴らしている時、ただ巡回しているだけのはずの血がボコボコと生きているような気がしていた。

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「PerfakePerfect」「laser beamer」の近年発表された曲は特に起承転結が激しく、自我を保つのに精一杯だ。マイナスから零度を超えない凛として時雨の冷徹さが、この2曲が演奏されている時は特にステージと客席の間にガラス張りの壁が一面に貼ってあるかのような、見えない境界線がより強く張られたようだった。

時雨がステージに立てば、そこは凛として時雨が長い年月築き上げてきた絶対零度の絶対領域であり、誰も足を踏み入れることが出来ないような気がした。彼らが”唯一無二”であり”高貴”な存在であることを強く目の当たりにした瞬間だった。

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「傍観」がライブ映像として見れる日が来るとは思っていなかった。時間の経った鮮血のように真っ赤に染まった中で際立つシルエットの3人、メンバーの顔なんて一切見えやしなくて、悲痛に叫ぶような音楽と悲痛に叫ぶTKが、目に見えない苦しみに襲われているのを見守るだけだ。

限定公開された曲はリハーサル時に演奏した「Who What Who What」「Neighbormind」の2曲。本番さながらのテイクは必見だ。

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音楽を終わらせないベテランのプライド

実際のライブと配信ライブを見て、どちらもその名の通りあっという間に終わってしまったのだが、現地で生で見るライブの方が一音一音ずっしり重く、アンバランスな空間のなかひたすら重心を探していて、TKと345の歌声はストレートに刺さった。

服のまま濡れてもいいと浴びる豪雨が気持ちいいのと同じように、轟音のゲリラ豪雨はライブハウスでしか味わえないと再確認した。

あまりの再現度の高さに途中から気を抜いた瞬間に音源なのでは?と何度も思った。それほどの再現力にも関わらず、音楽が生きていると思った。

そう感じたのはTKと345の亀裂的なハイトーンボイスだった。時に鋭く、柔らかく、ダークで、ミステリアスで、激情的。確固たる冷徹な世界観が確立された凛として時雨に人間味を感じるのは、音に切迫しながら逃げ切るようにもがき歌う彼らが、”音楽は生きている”と思わせるのだと思う。

凛として時雨はいつもロックバンド本来のあり方を教えてくれる気がする。アンコールをしない、映像を駆使せずライブハウスにある照明だけで魅せる。
原点回帰、初心を忘れない、ロックバンドの持つ武器はライブハウスと楽器、それだけで十分だと。

凛とし時雨の猛攻撃は、コロナが収束しても続くだろう。

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