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【読書】白鳥とコウモリ 著:東野圭吾

読書好きの友人に貸していただきました。
記憶が正しければ、初めて東野圭吾をちゃんと読みました(笑)
500ページほどボリュームがあったので読み始めるまでは読破できるか自信がありませんでしたが、後半戦は怒涛の展開で難なく読み切れました。

遺体で発見された善良な弁護士。

一人の男が殺害を自供し事件は解決――のはずだった。

「すべて、私がやりました。すべての事件の犯人は私です」

2017年東京、1984年愛知を繋ぐ、ある男の"告白"、その絶望――そして希望。

「罪と罰の問題はとても難しくて、簡単に答えを出せるものじゃない」

私たちは未知なる迷宮に引き込まれる――。

amazon 商品ページより

舞台は東京そして愛知

先の引用にもあるように今の事件と過去の事件は東京と愛知で起こりました。
岡崎、安城、常滑と、愛知県出身の私には馴染みのある地名が続いたのでより一層面白く読めました。

事件の起こった東京、被疑者の住んでいた愛知、最初は強い因果も感じていませんでした。被疑者の完璧だと思われた供述、少しの違和感。親族の気付き。そこからボロボロと嘘が発覚。明かされる衝撃の過去。
真実が明かされていくテンポも飽きずに、後半は読むことを止めたくないほどでした。
あまり書くとガッツリネタバレになるのでこの辺で止めます。

罪と罰

ドストエフスキーは読んでません(先に言っておきます笑)
しかしながら、本書の中で印象的でしたのでピックアップします。
 *この章は私の〈死〉や〈死刑〉などに関する考えですのであまり本著の内容には踏み込みませんのでご了承下さい。

殺人事件を題材にしてますので、必ず〈死〉というテーマも取り上げられます。
「時効になった事件の犯人は死刑にならなくていいのか。」
被害者の遺族はこう思います。しかし、そもそも死刑によって解決されるべき問題なのか。遺族は死刑によってのみ納得ができるのか。本人が簡単に罪を認めたからといって早々と判決を下してよいのか。必ず正しいと言える結果は無いように思えます。
日本には死刑制度がありますが、世界全体では死刑を実質的に廃止している国の方が多いようです。
確かに、国であっても人の命を奪うというのは当たり前ではありませんよね。遺族からすると死刑にしてしまいたいという思いが強いでしょうが、死にたいから死刑になってもいい→誰かを殺してしまおう、という短絡的な発想に至る人もいるでしょう。
―私は死ぬときには絶対に人に迷惑をかけたくないと思っているので、全く理解のできない思想ですが。。。(いずれかしっかりリサーチしたいですが”安楽死”についてもまとめてみたいです)

本書でも、具体的な判決よりも〈真実〉のために奮闘する人物がいます。この世の出来事において簡単に答えが出るものはたくさんはありませんよね。そして、〈罪〉に対して〈罰〉とはどのようにしてあるべきものなのか。そもそもそれぞれの語の定義ってなんでしょうか?
あえてここでは曖昧性の高いままにしておきますが、皆さんはどう考えますか?

そんな独り言でした。

東野圭吾読みます!

今までサスペンスなどの少し頭の使う小説はあまり読んできませんでした。
しかし! 今回500ページほどある『白鳥とコウモリ』を読めたので、それなりの文庫でも読み切る力はあるかなと思います。

家に母親の文庫本がたくさんあり、東野圭吾もあったのでいくつか読んでみたいと思います📚

ここまで読んでいただきありがとうございます。
少し重い内容も含みましたが、たまには考えてみるのは大事ではないでしょうか。

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