見出し画像

あけましておめでとう。嫁ちゃんと母。

「あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします」

いつからだろう。

私と嫁ちゃんは
特に示し合わせたわけでもなく

1月1日の朝に
お互いが起床するとベッド上で

両手をつき深々と
新年の挨拶をするようになった。

私は普段、まったく礼儀作法に明るくない。
季節の行事の準備、片付けはさっぱりだし
神社仏閣へ赴く際も、もっぱら嫁ちゃん頼りだ。

そんな逆マナー講師的存在の私だけど
「いただきます」と「ごちそうさま」
そして「あけましておめでとうございます」は
誠心誠意、真心を込めて行っている自負がある。
それはなぜかというと、明確な対象がいるから。

嫁ちゃんと母がいるからできるのだと思ってる。


少し母のことを書いてみよう。

私の母は大分前に他界しているんだけど
不思議と遠い感じがしない。
私の夢によく出てくるからかもしれない。

夢の中の母は生前と変わらぬ姿と笑顔。
あまりにも当たり前すぎるその存在に
(あれ?お母さんて生きてるよね)と
何度も夢の中で、私は問いかけている。
そしてそのたび、母に爆笑されている。
(当たり前じゃないの)と嬉しそうに。

父はまったく母の料理を褒めない男だった。
料理を褒める習慣なんてとんでもない話だ。
母が食事の準備、片付けするのが当たり前。
それにねぎらいの言葉をかけることもない。

そのせいか私は食事の時間が好きではなかった。
なんかよくわからないけど、満たされない感覚。

牛肉とかカレーとかは「ウマいな」と思うけど
お腹が減ったから仕方なく食べる、的な感じで。

たまに、母が少し冗談っぽく
「何か言ってくれると作り甲斐あるのよ」
とこぼすことがあったが、本心だったのだろう。

年に1~2回、はちゃめちゃにウマい料理が
食卓に並んだ時に「うわこれウマ~い!」と
思わず口にした時、母は本当に喜んでいたから。

母は特に料理が下手だったわけじゃない。
料理を覚える機会がなかっただけの人だ。

やがて私と兄が成長して手がかからなくなると
料理番組をメモして新メニューに挑戦していた。

私が嫁ちゃんと結婚する前
嫁ちゃんと母は料理の話で盛り上がった。
お互いのレシピを教えて作り合っていた。

「もっとお義母さんと料理を作りたかったねぇ」

たまに母のことを嫁ちゃんはそう語ってくれる。


・・・なんだか湿っぽくなってきたなぁ。
ま、たまにはこういうのもいいでしょう。

とにかく、私は嫁ちゃんと出会って
料理の美味しさと素晴らしさに気付いたけど
もっともっと早く気付ければ良かったなぁと
母を思い出してにがい感情になることがある。

だからなのか、母の言った言葉は忘れないし
ずっと守ろうと思っている。

「嫁ちゃんといっぱいお話をしてね」
「嫁ちゃんとケンカしたら折れてあげてね」

はじめて聞いた時は「はあ?心配うざー」と
思ったけど、なんだか強く心にひっかかった。

そしてその言葉が、いかに大事なことか。
私たち夫婦の根幹に関わる重要なことか。
年月を経るたび実感が増すのがわかった。

だから私は嫁ちゃんに伝える。
「いただきます」「ごちそうさま」
「いつもありがとう」そして

「あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?