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やってもできないことはある

「なんで、みんな分かるの??」

私は、外に出るのが怖い子供だった。

外が怖いというか・・・
たぶん迷子になるのが怖かったのだ。

自宅周辺ならいつも遊んでいたので
ぜんぜん怖くもなんともないのだが
知らない場所に行くと、もうアウト。

(どうやって帰ればいいの!?)と
毎回パニックを起こしていたほどに
知らない景色は「怖いトコ」だった。

幼稚園児の記憶が鮮明に残っている。

あのころの私の『せかい』は安全だ。
知っている範囲の中にみんながいる。
でも小学校に上がって状況が変わる。

『せかい』がグンと広くなったのだ。

友達が増えて、行けるトコが増えて、
知らないトコへいつでもいける恐怖。

友達や親が一緒なら安心なんだけど
知らない景色でひとりになる感覚は
世界に独り取り残されるようだった。

・・・
小学4年生のとある日曜日。
友達4人と一緒に自転車で遠出をした。
遠出といってもそこは小学生。
せいぜい5~6kmくらいのものだけど
私の頭は警報が鳴りっぱなしだった。

(ヤバい!友達を見失ったらヤバい!)

友達の列の一番後ろで、前の自転車を
見失わないように必死についていった。

私は思った。
(どうしてぼくはこんなに必死なのに
友達のみんなは楽しそうなんだろう?)

私はきっと、他の同年代の子に比べて
道を覚え地図のように把握する能力が
極端に低かったのではないか。

かんたんに言ってしまえば方向音痴だ。
今はスマホでナビが見れる時代なので
方向音痴でも周りに気づかれにくいが
当時の私は方向音痴で苦労が多かった。

なんせ、周りの友達に方向音痴は皆無。
私一人だけ違う世界を見ているようだ。

年の近い兄でさえ私に怪訝な眼差しで
「お前、努力が足りないんじゃない?」
と私を否定するような言葉を浴びせた。
もちろん兄に悪気はないのだが・・・。

(なんでぼくはみんなができることを
できないんだろう?欠陥があるの?)と

かなり真剣に自分が異常者の類なのかと
自問自答を繰り返していた記憶がある。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

やってもできないことはある。

たとえ、周りのみんなが全員できたとしても
自分だけができないことなんてごまんとある。

逆に、自分は簡単にできるけど
周りのみんなができない、ってあるでしょう?

私たちは誰でも『得意』『苦手』があるから。

そんなの当たり前で、分かってるはずなのに
他人の『苦手』を見つけるや否や目を輝かせ
全身全霊でおせっかいをしてくる人種がいる。

「やればできる!がんばれ!ほら!」ってね。

いや、がんばってもできないから。
自分基準で物事を考えないでくれ。

君は簡単にできるかもしれないよ。
でもぼくにとっては難しいんだよ。

がんばりや努力で全て解決したら
この世に悩みなんてないじゃない。

出来ないのは努力が足りないって?
それは食品アレルギー持ちの子に
「食わず嫌いだ!喰えば大丈夫!」
って言ってるようなものなんだよね。

先天的にダメなことは確実にあるよ。
だから、軽々しく「やればできる!」
なんて言わないでほしいんだ。

・・・こんな感じのことを言う人が
子供時代の私のそばにいてくれたら
私はとっても救われたんだろうなあ。


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