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noteが私にもたらしてくれたもの

最近一部のフォロワーさんのnoteばかり読んで
それ以外のnoteを全く読んでいなかったことに
あれっと気が付いた。

はて、以前は見境なしに読みまくっていたのに
どうしてこうなったんだろう。

すこし考えてみた。
単純にnoteに割ける時間がないからでは?

活字は好きだし、読み物を読むのは楽しい。
時間があれば際限なく読み続けられるだろう。

でも、noteはnoteでも読むだけのnoteは
YouTubeやアニメなどの受動的娯楽と同じ。

言葉は悪いけどボーっとテレビの前に居て
動かない人となんら変わりがないではないか。

ただ情報を受け取ってばかりで終えた一日は
しばらくするとひどい無能感に襲われる。

「結局、おまえ、何もしてないじゃないか!」

そんな声が自分の中から聞こえてくる気がする。

私は口先だけで動かない人が嫌いだ。
自分がそうであったことを思い出すから。

・・・

noteが私にもたらしてくれたものがある。
アウトプットの場所だ。

他の人はどうか分からないけど
どうやら私は、インプットした情報を
アウトプットして吐き出す場所が必要らしい。

床に散らばった本を拾い本棚に仕舞うように
キッチンの使い終えた調理器具を洗うように
一度ニュートラルな状態に戻すことが必要だ。

嫁との会話、珈琲の美味しさ、本の面白さ
蓄積された情報は少し放っておくと飽和状態。

無理に詰め込めば何かが欠落する。
欠落するものが大切なものであったとしても
やっぱり無慈悲に情報は入るし押し出される。

私の心の部屋はおそらく、四畳半ほど。
部屋に入らないものは捨てるしかない。
でも捨てられずに、限界まで床に置き
足の踏み場の無い汚部屋がいつもある。

そこに現れたのがnotaだ。

四畳半の中央に置かれた卓袱台ちゃぶだい
ちょこんと置いたノートパソコンが私のnote。

部屋に散乱する行き場のない情報モノ
少しカタカタするだけでnoteに吸い込まれる。
見る見るうちに部屋からはモノがなくなった。

わお!広い!手足を伸ばして寝そべられる!

それだけではない。
部屋に嫁を招けるようになった。これがデカい。

今まで私一人だけの部屋(汚部屋)だったけど
整理すれば人を招くことができるんだ!と
部屋の新しい(本来の)使い方に気付けたのだ。

・・・

ここまで書いて、ようやく分かったことがある。
私はアウトプットをして部屋を片付けたいのだ。

ちなみに、私の心の状態は
noteをはじめてからずっといい
たぶん、これからもいい状態は続くだろう。

私はその時、その状態に合わせて
noteでインプット&アウトプットをしてきた。
絶妙なバランスを肌感覚で獲得できたと思う。

これからも身の丈に合ったやり方で
noteを使い続けていきたい。

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