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生きている実感

もし、自分の左手が

触れた人のあらゆる怪我や病気を
一瞬でパッと治せる奇跡の左手だったら。

擦り傷、切り傷はもとより骨折すら完全回復。
癌細胞が複数あってもキレイに除去できるし
脳細胞が失われたとしても即刻元通りになる。

そんな奇跡を通り越してチートまっしぐらな
力が、自分の左手に宿っていたらどうだろう。

大事な人にだけ、その力を使うだろうか。
見ず知らずの重病人には、使うだろうか。
誰もが憎む凶悪犯を治す未来はあるのか。

「そんなの、わからないよ!」

確かにそう。これは机上の空論。
(もしも)をいくら考えても答えはない。

でも確実に言えることがある。
私がそんな力を持っていたとしたら必ず使う。
誰彼構わず治す。飽きるまで治す。

それは善意とか正義とかカッコつけとか
そういったものじゃ全くなくて

ただ自分の力を100%出してみたいから。

私たちは、自分の能力がフルに出せる環境で
出来る限りの全力を出すことに喜びを感じる。

部活で県代表を賭けて試合したときの緊張感
誇張抜きに全身全霊を使って行った試合は
どんなときでもすぐに思い出せてしまう。

数年にも及ぶ反復練習、自分のための努力。
できなかったことができるようになる喜び。
自分のパフォーマンスを最高に高める試合。
一瞬だけでもいい、過去最高の自分の瞬間。
あの幸せの記憶はちょっと替えがきかない。

別に、運動系の試合じゃなくてもいい。
囲碁や将棋の頭脳戦でもそれはあるし
パズルゲームや格闘ゲームだってある。
イラスト・マンガだってもちろん良い。

とにかくのめりこんで、ハマって、やりこんで
研究して実践して挫折してレベルアップしてを
延々と延々とそれだけを繰り返して得る自信。

その自信を武器に挑んで見事返り討ちにあって
泣いてわめいて怒って叫んで、また努力。
その努力が実る保証なんてどこにもないけど
ひたすらに自分を磨き上げて本気を出し切る。

それって最高に生きてるって感じがする。
全力を出すのって気持ちが良い。

別にNo.1を目指すってわけじゃない。
ただ本気で挑むことが面白いってだけ。
だってこの世の中の良い所は、人が多い所。
人が多ければ多いほど自分より上がいる所。

その辺のなろう小説じゃあるまいし
生まれた時から最強なんてありえない。
だからいい。絶対に挫折を味わえるから。
全力で挑めるって、結構優良コンテンツ。

noteひとつ取ってみてもそう。
(この人の文章おもしろすぎる・・・)
って驚くこと、めちゃめちゃある。
素人だろうがプロだろうが
自分に刺さる文章を書く人って結構いる。
それが嬉しくて、でもちょっと悔しくて。
挫折といえば挫折だけど、糧といえば糧。
「上」がいるのは確定事項なんだから
それをどう捉えるかは自分次第。

迷ったら左手を見てみればいい。
自分の左手は奇跡でチートな左手じゃない。
その時点でチャレンジャー確定。
だったらやるしかないでしょ。

まさか、自分の左手は普通の手だからって
なにもしない、なにも動かないってことは
ないですもんね。


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