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事件、姉から連絡が来る。お味噌汁、感謝。

昨日、とつぜん姉からLINEがきた
姉ともほぼ没交渉だ
半年前にようやく連絡が取れて少しやりとりをした
姉とは血が半分しか繋がってない
年も一回りほど違う
私とは全く、正反対の豪快な人で、自費で海外にいる
けれど、うちは全くお金持ちではない
姉はバブルの残り香がある時代に就職して少しお給料が良かったらしい
その時に貯めたお金でなぜか貧乏留学をした
お金が尽きると(途中から学生ビザの範囲内でバイトはしていたらしいがそんなに稼げない)日本に戻り、働いてはまた海外に行く
すごくよぼよぼのヨレヨレで
帰ってきたことも少なくない
最後に会ったのは父が亡くなったときに緊急で帰ってきた後で、その後私の病状悪化とコロナで全く連絡を取らなくなった

その姉からLINEで、どうしたのかと思ったらなんと帰省するから会えないかということだった
今の私の病状なら少しだけ会えると思った
でも姉は母のところに泊まるのだ
それはわたしのOCDの震源地にいることになる
だからそこに行く前なら会えると言ったが
頑固者の妹が車持ちなので空港まで迎えにきてもハウスではずが整っていて、計画を変更すると何故、頑固な妹で臍を曲げて迎えにきてもらえないと困るから無理とのことで、一旦電話をきった

姉はしきりに無理しなくてもいいけど、どうにか会いたいと言っていた
私も久しぶりに電話で話せて嬉しかったし、最初はいつもと違うことなので緊張が走ったが、会いたいと思った

少し時間をおいてなんとか会えないかと電話してみたが繋がらず、そのまま寝た

起きて、追って連絡したのはやはり病状的に母のところに行く前でないとわたしは会うことはできないと思う
しかしながら、いろんな人の予定もあるから諦めました
気をつけて来てくださいとなるべく短くメッセージを送った

しばらくして、やはり飛行機で12時間以上かかり、日本についてからさらにこの田舎町付近の空港までまた飛行機に乗るので、体力が限界だと思う、ごめんと謝られてしまい、ホッとするんだか、私がしつこかったか??と思ったが、気にしていないのでとにかく遠いから気をつけて、と返事して終わった

これでよかったのかもしれない
わからないけど、少しモヤっとしたけど、仕方ないのだ
モヤモヤしたり、残念に思っても、その流れに乗って生きていくしかない

そんなことを思って日曜を過ごしていた
ご飯は食べたがなんとなく物足りなくて、そうだ!
お味噌汁、もう作ろう!!と思って新品の鍋を取り出し、
茄子と玉ねぎを簡単に切って沸騰しかけのお水に入れた
高野豆腐を水で戻し、なんとなく賽の目に切って加えた
野菜に火が通ったら、火を消して、出汁入りのお味噌を溶いて、もう一度火を少し入れて完成した

お味噌汁は美味しく、温まり、小鍋に作ったが明日まで持つと思ったのに全て食べてしまった
もう少し食べたいと思ったけど、もう少し食べたい、で終わらせているのが長く楽しむ、飽きない秘訣と思い、手をとめた


簡単な料理こそ美味しい

水出しした時期はずれの麦茶を飲みながら
夕方が過ぎていく
手料理を食べて、お茶を飲んで、幸せだと思った

お力添えありがとうございます。