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上を目指して向上することを目指さない幸せ。自分自身の満足を目指す幸せ。

オリンピックやパラリンピックのテレビのコメンテーターのコメントを聞いていつも違和感を感じることがある。努力の大切さ、金メダルをとった選手への称賛の声、それはそれで全否定されるものではないことはわかっている。けれど、そこにものすごい違和感を感じるのだ。それって、他人との競争に過ぎない。他者よりも優れたものを何かしら持っていないとダメなの?そうしないと他者から受け入れてもらえないの?そのために日々努力することって偉いの?っていう、うまく表現できない漠然とした、違和感。ただ、一方で、それって、全然否定されることじゃない。という想いも、もちろん、自然な気持ちとしてある。もちろん、私だって、日々いろんなこと昨日よりより良くしたいんだけど。。

それが叶わない状況になった人もいると思うんだよね。金メダル取れなかった人、大会に行けなかった人、スポーツすることさえ許されない状況の人。。たくさんの普通の人がいるんだよね。閉会式でそのことにも触れられていたけれど。。一言でいうと、何かができないと認められないの?という違和感かもしれない。

ただ、存在する。ただ、日々生きていく。ただ、日々自分にとって満足がいく生活をしていく。そこに、何かとびっきり嬉しいことがやってくる日も、もしかしたら、あるかもしれない。でも、別に求めない。それに向かって努力するのではなく、金メダルがとれないと不幸なわけじゃなく、自分自身が日々自分の満足のために生きていく。そんなことが大切なんだろうなあ。と勝手に思う、私であった。

ここまで書いて思った。これは、私が50代だからこその感想かもしれない。若者は違うよね。きっと。私も若かった時は違っていた。でも、今は、どうあがいたって、年齢には勝てない。体の不具合が増えてくるのはいたしかたない。もちろん、運動したり栄養に気を付けたり、しているけれど。。人間はいつか死ぬ。どんなに若いころ健康だった人でもゆっくりと衰えていく。自然の摂理。そんな中で、生きているうちにやりたいこと、やりたいと自分が思えることを、地球の片隅で地味に積み重ねていけたら、それが私にとっての幸せかもしれない。諦め。かもしれない。けれど、それは、幸せへのパスポート。



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