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「子なしハラスメント」と正義の所在

お寺界隈の事情

 嫁いだ女性が跡取りを産まねばならない、というのを慣例として是とするお家柄は種々様々あるだろう。世襲制のお寺も、間違いなくその一つだ。

 30歳を過ぎて田舎のお寺の跡取り息子である夫と結婚した私は、幾度となくこの言説に晒され、その度に大なり小なり傷ついてきた。明らかな人権侵害の言葉が当然のように浴びせかけられる日々に、私は家畜ではない、とか、私の子ども云々に口を出せるのは夫だけ、とか、今の世の中それは明確なハラスメントだ、とか言ってみたところで、どこ吹く風。すべてのとは言わないが、九州の山間の地に暮らす年配者にとって、そもそも子どもを産むことはこの世の正義で、それがお寺の嫁であれば選択の余地などない、それは義務のひとつなのだから努力して果たせ、と言われ続ける。

 ある時、夫に「このままだと、もう保たないかもしれない」と伝えたところ、すぐに、婦人会の集まりで「僕たちは子どもをもたないことにしました。跡取りのこと、心配かもしれませんが、その時がきたら然るべく対処します。見護ってくだされば有り難いです」と、一大発表がなされ、以来随分マシにはなったものの、思い出したように無知な善意の人が現れて「頑張れよ!」と刺していく。
  37歳。都会であれば、出産したと聞いて驚くような年齢ではないが、田舎ではそうはいかない。ご葬儀後のお礼参りに来られた70代の女性が「〇〇さんとこの娘、子ども産んだげな。37歳」に次いで私に顎を振りむけながら「頑張って!」と言って帰っていった。「ははは」と笑ってやり過ごすが、傷んでいないからではない。スルーすることには慣れているが、じわじわと身に染み入る不快を払拭するには、今もそれなりにパワーがいる。


イマジン オール ザ ピーポー

 子どもを産む、ということは、結果としては「1」か「0」だ。だが、その前、その過程において、その「1」と「0」の間には無数の感情的体感的経験的事象がある。簡単に言えば、世の中には、子どもが欲しい人と欲しくない人の2種類しかいないわけではない。その間があるのだ。想像してみてほしい。思いやりとは想像力だ。私はあなたではないし、あなたは私ではない。そのうえで「1」と「0」の間の無限には、どんなものがあり得るのか。

 私は、生まれてこのかた子どもが欲しいと思ったことがない。はっきりとした理由はないが、ただずっとそうだった。10代の頃は、自分が子どもを産むなんて想像するだけで気持ちが悪かった。20代になっても、結婚願望のひとつ湧くでもなく、仕事に打ち込んだ。30歳を過ぎ、縁あって夫と結婚したものの、だからといって子どもが欲しくなることはなかった。九州のお寺に住むようになってからは、正直それどころではない環境で、その割に産め産めと言われることに呆れるやら腹が立つやら、とにかくやるせない思いだった。
 その後、暮らしにも慣れてきた35歳頃から、出産のタイムリミットが無意識から意識の内にのぼってくるようになった。このままで良いのか。考えるともなく考えることが増えた。相変わらず子どもが欲しいという気持ちにはならないが、漠然とした不安を無視できなくなっていた。
 4つ年上の姉に相談したところ、「絶対に出産はせん。その人生を選ぶ。と今言い切ることができんのんなら、チャレンジしたらええが。頑張っても子どもなんかできるとも限らんのんじゃし。できたらできた、できんかったらできんかったで、スッキリするじゃろ」と言われ、腑に落ちた。夫と相談し、とりあえず病院でお互いの身体を調べてみた結果、私が子宮筋腫の手術をしないと妊娠は難しいということが判明し、現在手術を控えて諸々の検査や治療を受けている。


「1」でも「0」でもその間でも

 教育者であり、作家の鳥羽和久さんが、こんなツイートをしていたことを思い出す。

 恥ずかしながら、ハッとさせられた。東京のビジネスマンだった私が経験してきた実社会が真の理想、あるべき社会なのではない。考えてみれば、当然のことだ。実社会を構成する大人の一人である私は、頑張ってはいる。確かに頑張ってはいるが、それは最高でも現状の社会の中で、であり、私にわかるのはただそれだけなのだった。どちらが上でもない。俯瞰して考えてみれば、シンプルにどちらも必要な存在なのだ。

 首相が「異次元の少子化対策」なるものを今更ながら叫ぶ社会で、子どもは生まれた方が良いし、世の子どもたちが社会の宝であるということに、何の疑いもない。それでも「子どもを欲さない」という、本能とは異なる自由を持てることは、人間を人間たらしめる要素と、同根ではないかと思う。
 私たちに子どもが生まれるにせよ、生まれないにせよ、今はどちらでも肯定的に考えることができる。いずれにせよ、ご縁だ。この曖昧で不確かな無限のグラデーションは、誰に否定されるものでもない。この正義はただ、我にのみあるのだ。

精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。