見出し画像

ウェルビーイングについて考えている

こんにちは!みき亭です。
気がつけば、1年以上ぶりの投稿となります。なんと、まぁ!光陰矢の如し!この1年というもの、30年住んだ街から引っ越す…という、大きな山を越える旅をしておりました。ようやく落ち着いて、これから新しい日常を創って行こう!と思っているところ…必要不可欠な言葉「私にとってのウェルビーイング」について考える時が来ました。

地球がまわる音を聴く展へ行ってから。。。

昨年の話になってしまいますが…森美術館で開催された「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」を観に行ってから、ずーっと考えていたことを、記憶を辿りながら綴ってみたいと思います。

一年経っても、忘れることが出来ない作品たちから放たれる強烈な魂の叫び!どの作品もハンパなかったです。アートという自由な枠組みの中で、伝えたいこと、表現したいことを自問自答して模索を続けながら、形にしていこうという強い信念に圧倒されました。そのパワーはまさに「人生を賭けてアートし続ける」力。作品そのものが作者のライフヒストリーになっていて、生半可ではない記録になっていたように感じました。

作品を鑑賞することは、すなわち、作者のライフヒストリーを見せていただくということでもあるのだという、鑑賞のセオリーが生まれました。そして、人生をかけて作品を生み出す行為(アート)が、作者のウェルビーイングなのだということも、作品を通じて感じました。そこには、他者からの評価が入る隙が無いほど、密度の濃い、全身全霊をかけた自分と作品との対話から生まれた時間…目に見えないはずの時間を見せていただいている感覚がありました。

堀尾貞治「色塗り」シリーズ
1985-2018年

私にとってのウェルビーイング

ここ数年の、閉塞を余儀なくされた日常や社会生活は、たいへん辛いものであり、「よく生きる」チャンスを奪われ続けた日々でした。特に音楽を仕事としているので、音楽を通じて交流することができない日々は、毎日が八方塞がりでありました。ただ、逆に、「私、と音楽と私、と」について、密に考える時間を与えられた貴重な時間でもありました。

音楽作品を作ることは、自分との対話であり、ウェルビーイングの源になるのですが、やはり、作品を通して、誰に何を伝えたいのか?という「想い」と「伝えるチャンス」がなければ、達成しきれない、完成しきれないものがある。と、切実に思ったのです。コミュニケーションを通じて、広がっていく…膨れ上がっていく…エネルギーは、創作活動にとって、未知なる世界を飛び回るための燃料になる。と身をもって感じたのです。

「地球がまわる音を聴く」

この展覧会に絶対に行こう!と決めた理由は、タイトル「地球がまわる音を聴く」に心がうずいたからです。なんて素晴らしい響き!と。
このテーマは、オノ・ヨーコさんののインストラクション・アート(オノ・ヨーコ 《アース・ピース》1963年春 オノ・ヨーコ『Grapefruit』(Wunternaum Press、東京、1964年)よりから引用されたものと知りました。宇宙の中の地球。地球で日々起きている出来事。生物の営み。小さな星の小さな生き物である私が、その音に耳を澄ませることが出来る!その壮大なロマンに、胸が騒ぎました。私にとって、一生忘れることが出来ない言葉になりました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?