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『もっとわがままになりなさい』がうまく出来ない人って沢山いるんじゃないかなって思う。



私自身が私に合わせることが大切だと思った。
もしかしたら『?』となる人もいるかもしれない。
これはきっと考えることもないほど、当たり前にできること。出来てていいこと。
でも『もっとわがままになりなさい』がうまく出来ない人って沢山いるんじゃないかなって思う。
"他人"に話を聞いてもらうのってすごい気持ちが楽だったりする。何も考えず、頭の中で起きていることを包み隠さず話せることは歳を重ねる度にどんどん少なくなるからだ。
"思っていることを口に出す"、"好き嫌いをはっきり言える"、"ママ抱っこと甘えられる"、子供心をいつまでも忘れないというのは本当に大切なことだと思う。だからこそ"感覚的に話せる人"というのは本当に貴重だ。
私の気持ちをわかってたまるものか!はとても大切な感情で、これは人に押し付けるものではなくて、心の奥底のものと会話をする材料になる。
やっぱり"抱え込みやすい人"は人を頼ることのできる器用さみたいなものがないことの方が多い。
だから正直沢山誤解もされるし、こっちの言葉が相手まで届く前に辞めてしまう、諦めてしまう。私もその一人だった。
怒鳴り声を上げれる人は、自分の中の静かな声を聞き逃しているのかもしれないなと思う。
『私自身が私に合わせる』というのはその言葉の通りで、相手の気持ちを汲み取りすぎないことを意識することで少しは楽になれた。
どんな言葉でも拾えるように耳を広げていると、些細な一言がずっと引っかかったり、その人の言葉から読み取れるあらゆる感情に圧倒されて、ぼーっとしてる間にもう周りは次の話をしていたり、なんか常に追いかけている感覚というか。昔は特にそうだった。今はそれでも追いつこうとはしてないというか。
アンテナを広げたまま閉じることを忘れてしまうと大変なことになる。そんなときは自分をゆっくり休ませてあげてください。私もそうしています。まだ休むがよくわからないときもあるけど。
時に人は、大きな声で言葉を発せられる人を"英雄"と呼ぶのかもしれない。
でも自分の目の前にいる人を助けられないような人にはなりたくない。なっちゃいけない。ここはしっかり強く思う。
自分がこうしたい!と思うことにもっともっと素直になっていい。遠慮することなく加減することなく。
真っ直ぐにぶつかっていい。汚くなったって、どう思われたっていい。大切なのはそこに向かう自分のことだけ。それだけに集中していい。
そんな感覚で曲を創ってきた分、沢山傷ついたし、そんなこと言ってたってやっぱり"評価"はされるわけで。
でもその反面、当時感じることのなかった"生きている喜び"を沢山、本当に沢山貰った。
"表現の自由"は誰しもが持っている。
小さな頃から目立たないようにひっそりとしてきた。唄を唄ってきたからと言って人前が得意なわけではなかった。
"もしかしたら自分がそうすることで相手が嫌な思いをするかもしれない"はいつだって頭の中を行ったり来たりしている。
心の中の自分の声が溢れてしまったのだと思う。押し殺してきた感情や言葉。想いとか悔しさ。悲しみ、寂しさ。
きっと苦しかったよね、とごめんねとありがとうを繰り返している。
『自分の心に素直に生きる』それが私のずっとあるテーマの『孤高』に繋がる。生きてていい。生きていいんだ。昔はそれさえも言うのに抵抗があった。
自分の言葉を削って削っていって、継ぎ足して、また削って、その先に見えるものが一番のその人の本質。
あらゆるものを削ぎ落とした、シンプルで芯のある、人間味のある人。そんな人で在りたいと思う。
すぐ折れそうになったり弱いかもしれない、弱く見えるかもしれない。だけど、芯があるから折れない。自分だけが知っている。そんな強さを持っている人を私は心から尊敬する。



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