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コルシカ島・南仏旅行記(四)

 朝九時ころ起き、シャワーを浴びて庭で朝食をとる。昼はみな居間に集まり、『名探偵ポワロ』の再放送などを観る。昼寝をした後、川遊びや海に行く。アランの幼少期の記憶を辿ってビーチ探索をすることもあった。
 ビーチには、「あたり」もあれば「ハズレ」もあった。「あたり」のビーチでは、人が少なく、波が穏やかで美しく、私たちは思う存分のんびりと過ごすことが出来た。「ハズレ」の場合は、急な岩場を降りていかなければならず、おまけにクラゲが出たりして、急遽車へと引き返さなければならなかった(それにしても、私は生まれて初めて実物のクラゲを目にした)。

クラゲ。触角(?)の部分がない。


 夜になると、私たちは星の見えるテラスでアペリティフをとった。星空を眺めていると、人は寡黙になるものだと思う。まるで星々の輝きをさえぎらないようにと息をひそめているみたいに。時折、誰かが冗談を言って馬鹿笑いをした。真面目な話をすることもあった。あるいはまた音楽を聴いたりもした。私たちの頭上を蝙蝠がすごい速さで飛んでいった。
 アランはいつのまにか松葉杖なしでも歩けるようになり、誰よりも長い時間海で泳ぐようになった。強度の食物アレルギーを持つグザビエは、普段口にすることのないチーズやソーセージを食べ、美味しいと言って笑っている。私は仕事も将来の不安も忘れ、ただ静かに息をしている自分の躰と心を感じていた。コルシカ島には聖なる霊気が宿っていると誰かが言ったとしても、私は大真面目に頷くと思う。そのようにして日々は過ぎていった。


 週末、アランとグザビエの大叔母たちの家を訪ねた。ルシアとセシリアという名のその姉妹は二人で暮らしており、九十歳を越えているのになお畑仕事をしているという。夕方訪ねていくと、先客がいた。それはジャン・フランソワといって、アランの母君の従兄弟にあたる人物だという。長身で溌剌とした人物で、肌はきれいに日焼けしている。アランとグザビエに会うのは二十数年ぶりだそうで、二人に会えたことを心から喜んでいるようだった。
 続いて舞台セットのような美しい居間に通された。久々の再会なのだから、家族のことや近況報告などに話題が落ち着くだろうと思っていたが、その予想は大きく外れた。熱心なクリスチャンであるジャン・フランソワは、宗教談義を始めたのである。講演会でも開きそうな勢いでとうとうと語られるその内容は、正統的な教義とは言い難かったが、それでも、彼の二元論的な物の見方は非常に面白かった。二時間ほどほぼノンストップで彼の話が続いた後、そろそろお開きにしようということになった。帰り際、大叔母様たちは家の庭で採れたトマトを持たせてくれた。それはずしりと重く、鮮やかに熟しており、スーパーマーケットで見かけるトマトの三倍ほどもありそうな大きさだった。
「膝が痛いのでだらしない恰好で申し訳ないけど、あなたたちが来てくれて嬉しかったわ」と別れ際にルシアが言い、「またおいで」とセシリアが言った。年を重ねても、躰の調子が芳しくなくても、人を愛し、何かを与えようとしている。人間はそのように生きてゆくこともできるのだと思うと、躰の芯がきゅっと引き上げられるような気がした。

大叔母様たちからいただいたトマト。とても大きく、みずみずしい。

 

マグロのタタキのように見えますが、先ほどのトマトで作ったサラダです。


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