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お酒はココロの痛み止め (依存症のお話です)

古賀史健さんの今日のnoteでこの画像に出会った。ストロングゼロというお酒の手軽さ、酔いやすさを揶揄した画像で、インターネット上に出回っているらしい。

出回ってる、ということなのでそのまま古賀さんのnoteからダウンロードしてここに貼ったけど、もし著作権的にまずかったらすぐ消します〜。

これはお酒の本質だなあと思った。

私たちがお酒を飲みたいのは、特に安い酒をガブガブ飲みたいのは、酒を飲んで忘れたいことがいっぱいあるからだ。酒の味ももちろん楽しいけれど、それだったら別のものだって構わない。
けれど、お酒は明らかに「しらふ」の時と違う状態にしてくれる。お酒を飲んでいる時は嫌なことを忘れられたり、「しらふ」の時には言えない苦しみや悲しみを吐き出すことができたりする。

が、それは"一時的"な話。
「酔い」が冷めれば、また「嫌なこと」に直面する。

つまり、お酒は抱え込んでいる「嫌な感情」の蛇口みたいなものなのだ。
日頃うっすら感じている「嫌な感情」を感じないように閉めるか、
または溜めておけなくなった嫌な感情を吐き出すか。
どっちにしろ、ココロの痛み止めみたいなもんだと思う。

抱えている感情があまりにも大きく、つらすぎると、
より多くの痛み止めがより頻繁に必要になる。
これが「依存症」といわれる状態。

つまり、依存症の人に「酒を飲むな」というのは、
非常に残酷なことなんだよね。
飲まないと痛みが戻ってきてしまうんだから。

そして悲しいことに
もともと忘れたいことがあるからお酒を飲むのに、
依存症になると、お酒を飲み続ける自分自身を責め始める。
なぜ飲んじゃうんだろう、やめられないんだろう、みんなに迷惑かけている...etc。
「飲んだっていいだろう」と居直るのは、心の底では「まずい」と思っているんだよね。

お酒を飲む頻度を減らす、という身体面のアプローチも大事だけれど、
「痛みのもと」をケアしてあげるのが本来の「ケア」のはず。

お酒に頼らざるをえないほどの感情を抱えこんでいるのはどうしてなんだろう?どんな風に世界が見えているの?何がきっかけだったの?何が言えずにいるの?....抱え込んでいるものに目を向けてあげることが一番大切。

「痛みどめ」がいらないようなココロの状態になることがケア。そしてそういう状態でいることが、本来のその人らしさなのだから。

そんな理解が、みんなのなかに広がっていくといいな、と思う。

それでは、みなさま、ごきげんよう。
自分にやさしく お過ごしください。



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