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休むとは|臨床心理士への随録 心理学

うつ病になったら「休みましょう」と言われる。この時の休むとは、どんな休むを指しているのだろうか。身体を休める、頭を休める、こころを休める、気を休める。ひとことに「休む」と言っても、いろいろな休むがある。

例えばベッドに横になっていても、心配事が頭から離れていなければ、いい感じには休めていない状態である(身体は休めているけど、頭は休めていない)。気晴らしに趣味の買い物に繰り出して、疲れで翌日動けなくなってしまうのなら、それもうまく休めているとは言えない(気は休めているけど、身体は休めていない)。

うつ病の休み方のセオリーとしては、まず環境調整である。職場にストレス源があるのなら、物理的・精神的に距離がとれるよう整える。こころ休まる環境をつくったら、寝る、寝る、寝る、ひたすら寝る。医師が処方する薬も使いながら、しっかりと身体を休ませるのだ。環境調整と寝ることのふたつがうまくできれば、やがて欲(食欲、性欲、意欲、活動欲など)が湧いてくる。回復の兆しである。

さて、「休む」を辞書で引いてみると「仕事・活動を中断して心身を楽にすること」と書いてある。うつ病などでなければ、なにも寝るだけが休む活動ではなく、こころが充足する積極的な身体活動も、休むことになり得る。こちらのコラムでは「休息」と「休養」という言葉で区別していた。

寝て身体回復を目指す休息も必要だが、こころにエネルギーをチャージする休養も大切だ。

SNSのタイムラインをみていると、平日は仕事で多忙の友人が、週末に飛行機に乗って弾丸旅行をしていたり、子どもと一緒に割とハードなアクティビティをしていたりする。そんなに活動的で疲れないのかな、週末くらいゆっくりしたら?なんて思ったりもするのだが、こころが充実するなら、それも立派な休み方なのだ。

精神衛生の維持に、気晴らしは重要だ。私の場合は土曜夜のサッカー。臨床心理の仕事は、物量は会社員時代よりは少ないけど、質感は人の生死に直結するような、また人に合わせて個別カスタマイズを要するので気と手が抜けない。精神がかなり疲弊する。これをサッカーがほぐしてくれる。運動すれば肉体疲労は溜まる(翌日の筋肉痛たるや)のだけれど、精神的にはすっきりとリフレッシュされる。

休養について考える中で、「サード・プレイス」という言葉を思い出した。職場、家庭、その他にもうひとつ、自分が自分でいられる寛げる場所や役割をもつと精神的に安定するという。例えば1日24時間の中でも、職場から家に帰る前にカフェに寄るとか、家での夕飯後にひとり読書の時間を持つとか、仕事人や家庭人の仮面を外せる休養時間を持てると、毎日の充実度が高まると思う。

休み方はいろいろある。自分は今どこを休めているのか、を意識することが大切なのだろう。程良く休みながら、ご機嫌な日常を送りたいものだ。