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心理検査を所見に落とす|臨床心理士への随録 心理学

心理検査の結果は所見という形で報告する。「所見」を辞書で引くと、見た事柄、見た結果の判断や意見、ある事についての意見や考え、とある。

自戒を込めて言うと、現場には意見や考えの部分が抜けている所見が散見される。数値化できる検査であれば得点だけ、数値化できない描画検査などでは何々がどれくらいの大きさで描かれていたなど、客観的で事実ベースの結果だけが記載されているような代物である。それでいいならコンピューターやAIのほうが精度が高いわけで、心理士が介在する意味はない。

所見作成で大切なことは、そこから何が言えるのか、どのような解釈が可能なのかを、心理の専門家の立場から言い表すことである。情報源は検査結果にとどまらず、入室時の様子や検査中の態度、解答の仕方、果ては検査者のこころに起きた感情や考えまで、その場に起きた力動すべてに及ぶ。被検者の困り事(主訴)はどんなところからきているのだろうか、得意もしくは保てている部分をどう活用したら困難の緩和や適応力の向上が展望できるだろうか。専門用語を使わず、具体寄りの抽象語で、断定しすぎない推察のていで、文章に認める。

とまあ、頭では解っているつもりなのだが、いざやってみるとこれが本当に難しい。情報の質がばらばらなので統合しにくい。焦点化を意識すると捨ててはいけない情報まで削ってしまう。書きどころがわからないまま紙に落とした文字たちには、もれなく先輩の赤ペンが入った。

指導を受けてわかったことは、最初からまとめようとしてはダメだということ。混乱から始めるのが定石なのだ。神田橋篠治先生の「すっきりしているうちは、患者のことがみえていないということ」という言葉を思い出した。矛盾に満ちた状態でいいので、まずは全ての情報を出してみる。客観と主観、事実と想像、科学と非科学を行ったり来たりしているうちに、心理屋の頭にぼんやりと像が浮かんでくる。色濃く映った部位に肉を付けたり削いだりしてみる。筋を通してみる。そこから主訴に対する結果の解釈という軸で、所見に言葉で書き落としていく…。

言葉には魔力が宿っている。ペンは剣よりも強く、そして薬にも毒にも成る。どのような言葉で表現するのか、細心の注意が必要だ。被検者へのリスペクト、所見閲覧者のイメージを忘れないこと。姿勢は言葉を介して伝わってしまう。所見作成者にとっては数多のうちの1枚でも、受取手にとっては人生を左右する1枚になるかもしれないという意識で、誠意を込めて書き上げるようにしている。