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100点とるより大事なこと|臨床心理士への随録 心理学

子どもの期末テストが返却されてきました。40点台をとったりして、落ち込んでいるわけです。大人としてここでどんな言葉を掛けるのか、教育の場面です。

そりゃ40点よりは100点のほうがいいですよ。けど、絶対値だけに価値を置いてしまうと、そうならなかった時に逃げ場がなくなってしまい、つらいんです。退路を断つことで推進力が増すこともありますが、他の道を用意しておくことで救われることもあります。2位じゃダメなんでしょうか? クラス平均が30点台だった事は無視していいのでしょうか? 失敗には意味がないのでしょうか?

認知行動療法では、偏った認知の仕方を「推論の誤り」と捉えます。その内のひとつ、少しの失敗や例外を認めることなく二分法に結論づけをすること、つまり100点以外は価値がないと信じこむ思考(スキーマ)は、「全か無か思考」と呼ばれます。極端過ぎる物事の捉え方の癖は自分自身を苦しめます。

癖、と書きました。生まれながらに「全か無か思考」を携えている人はいません。子どもの頃は親に褒められたかったですよね。100点とってきたら褒められましたよね。行動主義の学習理論(オペラント条件付け)に従えば、100点をとる→親に褒められる→気持ち良い状態になる、と正の強化がなされています。100点をとる以外に親から褒められなかった(と本人が認識していた)ら……いつしか100点至上主義の「全か無か思考」が出来上がってしまいます。

私個人の価値観でいえば、100点をとるより先に、転び方を学んでおいたほうが良いと思っています。

柔道って受け身から習うじゃないですか。正しい倒れ方を身につけておかないと怪我をするからです。また、技を掛けられながら受け身の練習をすると、逆説的に技の掛け方が理解できるという利点もあります。

転ぶのは格好悪いし、情けない気持ちになるし、できることなら転ばぬ人生がいいと誰もが願っています。けど、100点を取り続けらる人生なんて存在しません。転ばない人生を送りたければ、転び方を学ぶという逆転の発想。転んで当然、転んでも大丈夫、転ばない人生なんかないと構えておけば、転んだら立ち上がればいいじゃないかという余裕が生まれてくる。

テストに関していえば、点数だけが全てじゃないと教えることは、側にいる大人の役目だと思います。今感じている気持ちを引き出して受け止め、反省点や今考えている次回の改善点を聞いてみる。その上で、出来た部分を褒めて惨めさを和らげ、一緒になって次回の取り組み方を可視化させていく。酸いも甘いも学びが沢山あったね、次はこうやって頑張ろうぜ、と声を掛けることが大切ではないかと。

テストも柔道も人生も同じです。逞しくしなやかに生きていくには、転び方を知っていることや、失敗から学べるしたたかさが必要だと思うのです。

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さて、「推論の誤り」は、後天的に学習によって身についた思考であるため、変容は可能です。染み付いたスキーマを柔和化するには時間はかかりますが、認知行動療法などを使えば、本人の意思があれば、一定の効果が見込めます。思考の癖に苦しむ方はメンタルクリニックやカウンセリングルームに相談してみてください。