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「認知が変わると景色と行動が変わる」 臨床心理士への随録 心理学

あるところに、3人のレンガを積む仕事をしているひとがいました。同じ内容の仕事をしているのに、3人の表情は三者三様です。それぞれに「あなたの仕事は何ですか?」と聞きました。不満げな人「レンガを積んでいます」、普通の人「建物を造っています」、活き活きな人「多くの人が後に完成したこの建造物を観てこころ救われるような大聖堂を創っています」

企業人事の仕事をしているとき、セミナーに登壇してもらった採用コンサルティングの先生が例示したこの逸話を、ものすごく覚えています。「世の中には面白い仕事なんてなくて、どんな仕事でもそれを自分が面白がれるように意味づけできる人間とそうじゃない人間がいるだけなんだ。そして幸せなことに、どんな人間になるかは、自分で決められる。さて、あなたはどちらの人間になりますか?」学生さんに向けられたメッセージが、自分にグサリと刺さったのです。

時を経て、臨床心理学の世界で、認知行動療法の理論に触れた時に「ああ、似ているなあ」という感想を持ちました。(以下、認知行動療法についてのコラムをリンクしておきます。)

例えば既読スルーをされたとき、あなたのこころに湧き起こる感情/自動思考は何でしょう。怒り/すぐに返信しないなんて非常識だ。哀しみ/無視された。落ち込み/私は軽く扱われている。。。本当にそうでしょうか?相手はその時ちょうど手が離せなくて、スタンプで返すには失礼かなと思って、あなたに敬意を評しているからこそすぐに返信しなかった、というケースは想定できないでしょうか。

本当のところはこちら側にはわかりません。勝手に自分の中に浮かんでくる感情や自動思考を消すことはできないけれど、そうじゃない想定をいくつ考え出せるかで、傷つき度合いや次にとる行動が変わってきます。「そういう反応するんだ、なんでだろう」とひと呼吸おく努力は、我が身とこころを救います。

待てない人は自分の苦悩や不安を抱えられない人です。「人生は待ち時間でできている」とは誰の言葉だったかな。待てることは成熟の証。待てる人になりたいなと思うのです。

最近の社会情勢により、終日家にこもる日々だと思います。確かに退屈だし、苦痛だし、孤独感や閉塞感に耐えられなくなりそうになります。そんな時、どうでしょう、こう考えてみることはできそうですか?「今、私は、世界中の人と協力し合い、COVID-19ウィルスとの戦いに挑んでいる。自宅待機こそが我がミッション。二週間後の私たちのために、今を生きる。」

皆で乗り越えましょう。