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祝祭日や記念日
悲しさを訴えているのではない。と、あえて前置きさせてもらいます。
世間が浮かれるその日、子供の頃から俺はいつも憂鬱だった。
何も期待できないし、仕事をさせられるし、心が曇るからだ。
最大の記念日の一つと言えば、それは自分の誕生日だろう。
だけど、子供の頃に一度も誕生日をしたことはない。
ある意味で、産んでくれたことへ感謝する日と言えばそれで合っている。
だけど、世間とのズレや兄妹での格差があれば、納得できるものではない。
兄弟の中で、一人だけ誕生日イベントがない。
その兄妹の誕生日イベントに俺は参加すらさせてもらえなかった。
父の考えは明確で、「男にそんなものは要らない。」である。
次は、クリスマスだろうか。
ケーキはあっただけマシだが、子供心に一度だけ大きい靴下をぶら下げてみた。
無邪気に子供らしく振る舞ってみた記憶さえある。
しかしこれを実行したことで悲惨な気持ちにさせるトリガーになる、、、
朝、靴下に入っていたものは、現金50円だった。
お正月、、、
俺の家はただでさえ特殊である。年末年始はずっと手伝いだ。
行事や煮炊きや甘酒の用意や、汗が出るほど忙しい。たくさんの人が訪れる。
親は対面もあるから家族と正月気分を味わうなんてことはない。
そしてあっという間に冬休みは終わってしまう。
そんな子供時代を過ごしたためか、記念日の類はほぼ記憶できなくなった。
若かりしアルバイト時代には、クリスマスも正月も時給アップ目当てで喜んで仕事をしていた。当時の彼女は、一緒に過ごすこともしない男に、さぞ変人だと思ったことだろう。
記念日を忘れるとか覚えられないというレベルは、結婚記念日、元奥の誕生日はもちろん、自分の誕生日に仕事で帰ってこないなどである。
そんなのは、ザラであった。そういう日に何の期待もないから当然である。
しかし子供には、忘れないようリマインダを設定し頑張ってしてあげた。
元奥が口酸っぱく言うのでどうにか人並みに出来たと思う。
元奥とPCやスマホの進化に感謝である。
そして、今である。
インナーチャイルドを解放する結果になった今の彼女と出会い、
なんと‼️
彼女の誕生日も、初めてデートした記念日も忘れないようになった。
そうなのです。
祝祭日や記念日は、とてもとても、たいせつなものになったのです。
その心の変化は、過去の忌まわしい記憶や感情を凌駕しました。
さて、今日は楽しいクリスマスです。
未だにこのイベントは重要ではないのですが、、、でもね。
せっかくなので、楽しく過ごしましょう。