人それぞれに時間がある。でもそれは見る人によるものだ。
全く同じ「年、月、日、時、分、秒」には、全ての人のその時が起こっている。
共有した点の連続も存在する。
通常、過去も未来も知ることは出来ない。何故なら、全ては今の点の住人にすぎないからだ。
仮に「2021年12月12日12時12分12秒」の住人だったとして、未来も過去も彼には知ることが出来ない。
死の間際には、一編の映画のように、人生を見る事はできる。辿った瞬間の連続を経験しているからだ。
時は、宇宙的なものだが、命あるものにとっては人生の記憶だ。
植物にとっての時が何であるかを知りたいと思うが叶わないだろう。
長くて100年という時のために生きる目的は何であろうか。
生物学的には、分かっているのだがもっとロマンを感じたくなるものだ。
雌雄を選択した生き物は、種の保存と進化や多様性の道を選んだ。
しかし必ずしも、正しい選択を繰り返すとは限らない。
究極的に言えば、善悪なんてものはないのだ。
人間には、時を支配することも不可能だ。
命を究極に理解し科学を超える力を得ることはできないだろう。
[ 時を支配する] = [命を自在に操る]
そういう意味になり、神の領域なのだ。
では、神と表現したが神とは何か。時にとってそれは何者なのか。
知りたければ、人生を賭して探してみたら良い。