そこに他意はあるんか【繊細さんへ向けて】
こんにちは。
“毒親生まれ、貧乏育ち。自信無さそうな奴は大体友達”、cocoroです。
今回は、周囲の他人からの些細な言葉に必要以上に反応してしまう繊細さんへ向けての記事です。
他人が何気なく放った言葉を、何重にも捻じ曲げて解釈している癖はありませんか?
この癖は自分が思っているよりもはるかに自分自身を何重にも苦しめます。
その癖について考え、一緒に見直していきたいな〜と思います。
この癖を見直すことによって、だいぶ気楽に生きられるようになる(なってきた)ので、自分は繊細で傷つきやすいと感じている方に、届いたら嬉しいです☺️
結論から申し上げると、この癖を治す即効性のある方法というのは、存在しません。
何より、これまで数十年一緒に生きてきた癖と、そう簡単にお別れするのは難しい。。。
根気よく向き合う、私はこれに尽きると思っています。
コミュニケーションを難しく感じたり、人間関係で悩んだり、というのはどこの誰にでもある、普遍的な悩みですよね。
他人と関わっていく以上、学校や職場、または家庭内でモヤモヤすることがあるのは避けられません。
日常で関わる他者の中には、悪意を接してくる厄介者が存在することも事実です。
ただ、今回考えていきたいことは、「他者の何気ない一言に過敏に反応しすぎてはいないか」ということです。
厄介者が悪意を持って放った言葉に対して、
ではなく、何気なくみんなとワイワイ会話している最中に、なんかグサっときたり、モヤっとしたりした経験はありませんか。
その場はなんとなく笑ってやり過ごして、家に帰って1人になってから、言われた言葉を頭の中で反芻してもんもんとしたことのある方、
あなたは自分の癖によって必要以上に苦しんでしまっているのではないかなと思います。
友人など他者が放った言葉には、あなたが受けとったような意図が本当に含まれているのでしょうか。
友人にはあなたを傷つける意図はなかった、ことがほとんどではないでしょうか。
「受け取り手が傷ついたと思っているんだから、それが全てじゃないのか」
そう指摘されると、それは確かにそうかもしれません。
確かにあなたは友人の言葉によって傷つきました。
でも、よく考えてみてください。
それは被害妄想と何が違うのでしょうか。
今、少しグサッときたあなた。
繊細なあなたを責めたいわけではありません。
友人が放った言葉には、裏も表もないし、その言葉に付随する他意はないのです。
家に帰って一人で延々と深掘りするほどの意味は持っていないのです。
この癖を飼いならすことには私もずっと苦労してきました。
未だに調子が悪いとこの癖は平気で顔を覗かせて、私を苦しめてきます。
そこで、周囲の他人からの些細な言葉に必要以上に反応してしまう繊細さんが、
この癖と上手く向き合う上で、大切な視点とは何か。
それは、「そこに他意はあるんか?」という視点です。
そう、某消費者金融のCMでお馴染みのあれですね。
自分を必要以上に苦しめそうになった時に、心の中で、こっそりつぶやいてみてください。
自分の脳みそが要らん情報を勝手に肉付けしたことによって、必要以上に傷付いていないか、これを今一度問うてみてほしいのです。
「そこに他意はあるんか?」
本当にこの解釈が適しているのか、曲解していないのかどうなのか。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
本日のひとこと:他人の発する言葉には、案外、深い意味はないかもよ
cocoro|昨日よりほんの少しだけ気楽な今日を
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