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Short Story「日常」

「あぁ、よく分かりませんわ」と女がぽろり

「人の心と言うものが全て分かるわけではないというのに。
常に隣にいようとも、何事に尽くそうとも、目を見つめて手にとって生きる肌身、体温を感じようとも。

分かることはその人が私に許しているほんの一部分にしか過ぎないのよ」と。

こんなにも無常なことがあるかしら。

「きみは欲張り過ぎるんだろう。
何もそんなすべてを知れるほど人間は完璧ではないだろうよ。知ったところでぼろが出てきてきみは段々と人間というものに幻滅していくんだろうよ。」

と、男は冷たい声で返した。

「そうかしら。」と女は涙混じりで言う。
「たとえ皆がみんなのことを事細やかに理解すると言うことができなくとも、多くの時間をたった一人の人に対して費やすことはできないのかしら。
その1人が男であろうと、女であろうと。」

男言う。

「なぜきみはそんなに人に執着する必要があるんだい。そんなこと考えてたら頭の中がごちゃごちゃになって返って心が疲れるだけさ。
費やすたって、それは愛なのかい。誰かに恋でもしてるのか。」

「いいえ」と女言う。

「私はただ、さびしいだけよ。
ひとり台所に立つわたし、パンパンと洗濯物を叩いてシワを伸ばす時の音の響き、小さなテーブルに大雑把に並べられた食事を静かに口に入れるときの冷たい時間、湯船に浸かる瞬間、身体に沁み渡っていく1日の疲れさえも。

 ああ、これは何なのかしらと。
己を己のためだけに費やす時間と労力に飽き飽きして
それが空しかったの。」

男はそれっきり黙ってしまった。
「おれが相手になってやろうかだなんて。
そんな無責任なことなど、自分にはできまい。」

と心の中で思った。

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