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「きらい」が纏う可愛げについて


最近好きな言葉がある。それは「きらい」だ。「きらい」っていう響きにとてつもない可愛げを感じる。なんだか嘘偽りない響きがする。

先日、ある人とメールをしていたときのこと。

少し期待外れな返答が来て、その時の残念な気持ちを込めて「きらい」というメッセージ付きのスタンプを送ってみた。

そしたら、相手からは(笑)のスタンプが返ってきた。その直後、期待外れな返答は覆った。

そのとき、ハッとした。きらいって好きと同じくらいプラスのパワーがあるって。とてつもなく素直な「きらい」の奥には、間違いなく好きがあって、その素直だけど素直じゃない可愛げが、奥から滲み出ている気がした。

その瞬間、きらいって言えた自分まですごく可愛い存在に思えた。そこで無理して、仕方ないね、とか、大人な対応していたら、まず出会えなかった自分だし、相手の返答も覆らなかったかもしれない。

なんて愛おしいんだろう。

そう言えば娘が「これきらい」「だいっきらい!」っていう姿もめちゃめちゃ可愛かった。

「おかあさんきらい」って言われた時も、きゅんきゅんして仕方なかった。「おかあさんだいすき」って言われたときより、愛しい気持ちが湧き上がってきてたかもしれない。

今まで、ネガティブワードだと無意識に思ってたから、殆ど使ったことなかったけど、こんなにも人間の本音を纏って響く言葉だったんだ。

すてき。


そう言えば、昔、これから飛躍するって時にバンドを辞める決断をしたことがあるけど、その時にバンドメンバーに言われたことがある。

「あんたのこと、殺してやりたいほど憎い。」

なかなか強烈な言葉だと思うけど、このときのわたしは、さほど傷つくことはなかった。その言葉の奥から辞めないでっていう気持ちが、嫌というほど伝わってきていたから。

だから、字面にするとどんなに酷いように思える言葉でも、音として聴くと、逆に深い悲しみを纏った素直な気持ちが伝わることってやっぱりあるのだと思う。

もちろん、誰にでも通用するわけではないし、安易に使ってはいけない言葉もある。そこの判断は当たり前に気をつけなければいけない。だけど、言葉の奥にある本音を汲み取れることって、すごく大切なことだ。

たとえそれが的外れだったとしても、自分が心地よいように変換できるチカラを育てることも大事だって思う。

多分わたしが本当にきらいなのは、本音はNOなのに、どこまでもにごして、その場を収めようとする嘘くさい感じだ(笑)「きらい」は使ってこなかったけど、「YES NO」ははっきり伝える派なので、その清々しさにも似た可愛げだったってことなのかもしれない。

「きらい」♡

なぜかきらいの後にハートが見えてしまう。それくらい可愛い ❤︎

わかってくれる人いるかしら。

次、いつ誰に言えるかな。楽しみだな ❤︎

言葉はどんな想いを込めて放ったかで、その意味はどこまでも変容してしまう。

だからこそ、意味には縛られないで、これからも自由な発想で、自分だけの音を放っていきたいと思う所存であります ❤︎





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