就活体験記【キャリコンサロン編集部】
田舎ワーママ×キャリコン×はじめの一歩のお手伝い
キャリコンぱんだことキャリぱんです。
今回は就活体験記として、当時理工系大学院生で就活大変だった体験をつづってまいります。
キャリコンサロン編集部記事です。
★キャリコンサロン★
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就活当時の環境
氷河期から回復してきたがまだ採用は厳しい。
スマホはなくスケジュール管理は手帳。地図は大学で印刷。
殆どの学生は大手ナビサイトから企業を探したり合説に参加したりして応募企業を決める。
企業情報やツテはサークル、ゼミの先輩だより。
SNSはmixiが広まってきたくらいの時期。
携帯電話は電波が途切れやすいので企業に電話するときは公衆電話を使っていた。
エントリーシート、履歴書を20社送って面接まで進めるのは3社くらい。
理工系だから就活ラク!なんてことは無かった
■就活開始時期と学会が重なる
当時は理工系(院卒)の就活は11月~12月からES受付開始でした。
しかし12月に学会があるため実験、資料作成、学会への資料提出、発表準備に追われESも説明会も申し込みする間もありませんでした。
スタートダッシュに出遅れ、説明会も応募も締め切っている企業もありました。
■会いに行ける企業には限界があるしゼミもある
卒業するための修士論文作成のため、実験と結果のまとめゼミの発表(休めない)を繰り返さなくてはなりません。
当時はWEB説明会もなく、説明会に参加しないと選考に進めないのが当たり前だったので、昼間就活をして夕方から実験。帰宅して論文を読んだり就活用の書類作成をしたりととにかく時間との闘いでした。
そうなると
夕方までに戻ってこられる距離で、参加できる時間に開かれる説明会
条件を限定して企業を選んでいくので、志望業界、志望企業からは少し大きめに回ったり本来受けたかった企業を諦めることにもなりました。
■専門職の募集人数は少ない
理系学生が選びがちな専門職系は、募集人数は少ないのに希望する人数は多いのでどこの企業を受けに行っても高倍率でした。
■ゼミの教授は就職先をあっせんしてくれない
私の親世代くらいまでは、教授の人脈で就職先が決まると思っている人も多かったともいます。
私のいた大学だと就職のアドバイスに乗ってくれて就職先を紹介してれる教授はごく一部でした。ほとんどの学生が自力で就活をしていました。
紹介いただいても受けるのは本人の力なので就職につながらないこともあったようです。
就活を始めて感じたのは自分が世間知らずだったこと
就活を始めてから郵便物の書き方、メールの送り方、電話の書き方など、
社会人のマナーを調べて対応していました。
そこで、学友会(学園祭の実行委員)や家業で外部と連絡ややりとりをしていた友人たちとのスキルの差を体感することになります。
企業探しでも、理系出身者が多く就職しているものづくり系、研究開発系企業はBtoB企業が多く、名前が知られていないが世界屈指の技術力を持ったトップ企業がたくさんあるものの、ナビサイトでは情報が分かりにくく企業の魅力や凄さも当時の私は理解できていませんでした。
長期化するほど下がっていく自己肯定感
夏前になっても就職先が決まらず就活を続けていたため、博士課程の先輩からも研究の進捗が遅いことについて言われることも出てきました。
書類選考は通るのに一次選考で落とされるのは私の性格に問題があるから?
研究で成果を出せていないから?
有名大学じゃないから?
これまでやってきたことをすべて否定されているような気持ちに陥ることもありました。
複数社から内定を貰って
そのあと縁があって同時期に2社から内定をいただきました。
A社は希望していた職種で仕事ができる企業。当時としては珍しい技術系派遣の会社。ただし、できたばかりの会社で転勤が多い。
B社は全く異なる業界で入社後に職種が決まる企業。大企業だがどこ(地方・担当業界)に配属されるかわからない。
数日悩んでB社の内定を受けることに決めました。
元院理工系のその後
院卒の私が専攻以外の業界に就職したことで「意思がぶれてる」「同じ学科の後輩が専門職に就職しずらくなる」など言われました。
社会人になってから10年近くこの言葉に苦しめられもしましたが、人事異動で専攻以外の職種になる人も多いので、気にしなくていいと思えるようになりました。
私が働き続けたい理由が、職種へのこだわり以外にもたくさんあることが30代に入ってやっと分かってきてキャリアコンサルタントの勉強をする中でも気づきが多かったからです。
理工系からほかの業界へ就職する人の参考になれば幸いです。