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大型ウイルスによる閉鎖が中国インターネット業界に与えた影響  2003年と今年

こんにちは!「古今中国」のCoconです。

今回は最近世界を騒がせた新型コロナウイルスに関連する話をしたいと思います。

今年年始に中国武漢市で発生した新型コロナウイルス(通称「武漢肺炎」)は世界で流行しつつあります。今や、世界各国の政府や民間機構は全力で感染を防ぐための対策を打ち出しています。事態はまだ極めて深刻で、予断を許さない状態です。

今回の新型コロナウイルスで、多くの人々は2003年に中国で発生した新型肺炎のSARS(正式名:重症急性呼吸器症候群)を思い出しました。中国を中心に約8500人が感染し、700人以上の感染者が死亡したという残酷な感染症でした。今と同じように、2003年の最初の6ヶ月は疫病の恐怖に包まれた時期で、多くの人々にとって外出はおろか、普通の生活もできなくなりました。実は、SARSは様々な面で中国社会に深刻な影響を与えました。今回の記事では、その一つの面、すなわちインターネット業界に与えた打撃と機会、を取り上げて紹介したいと思います。具体的には、当時まだベンチャー企業だったアリババテンセント、そしてJDについて語っていきます。

アリババにとってSARSが最初に与えた影響は非常に酷いものでした。SARSは、2003年年始に中国南部の広州市で発生したもので、4月ぐらいに全国の注目を集めました。その時に、広州市で、あるEC業界の展示会が開催されることになりました。元々出展する予定だった企業の大半は、広州市をできるだけ避けるべきだと考え、出展を見送りしました。しかし、既にEC大手になっていたアリババは、なぜか出展することを断念せずに、出展のために社員を広州に送りました。

その結果、広州に行った社員の一人がアリババの本社の杭州市(発音は「広州市」と同じですが、1200キロも離れています)に戻った後に、SARSに感染したことが判明しました。当時、まだSARSが広く流行していなかった杭州市の4人目の感染者でした。それによって、アリババは厳しい社会的な批判を受けるようになりました。「あなたたちのせいで、SARSを杭州市に持ち込んでしまった」と罵倒されていました。アリババの社員だと分かった瞬間、逃げる人も珍しくはなかったです。

まもなく、アリババの本社が入居したビルも閉鎖し、アリババの全社員は在宅勤務を強いられました。当時の当事者によれば、まさに災害から避難するように、両手で電話やパソコンを運んで、ビルから慌てて走り出すという光景だったそうです。

社会からの反発でオフィスで働けない窮境に直面していました。設立してから4年も経っていないアリババがこのような難関を乗り越えられるかどうか、当時誰も分からなかったでしょう。

結果としては、アリババは見事に状況を逆転させました。自宅で働いた社員は何とか運営を維持しました。それだけではなく、SARS期間中に外での行動を自粛せざるを得なかった多くの中小企業はアリババのサービスを使うようになりました。それにより、飛躍的に成長することができました。

次に話したいのは、テンセントです。今アリババと同じように中国屈指のインターネット企業になっていますが、テンセントはSARSからどのような影響を受けたのでしょうか。

SARSが発生した2003年には、テンセントが運営していた「QQ」というインスタントメッセンジャー ソフトは既に中国のダントツナンバーワンになっていました。容易に想像できるように、SARSによって外出できなくなった人々は、自宅でも外の世界と繋ぐサービス、すなわちインスタントメッセンジャー ソフト、に依存するようになりました。それで、言い方が悪いかもしれませんが、SARSはテンセントのビジネスにとって絶好の機会でした。実は、アリババの会員数のように、QQの会員数も飛躍的に増加しました。

それだけではなく、テンセントがオンラインゲーム事業を開始したのも、2003年でした。当時中国には既にNetEaseやShengdaなどの大手オンラインゲーム会社がありました。テンセントは彼らと違って、大型対戦系のオンラインゲームを開発、運営しませんでした。この代わりに、QQゲームプラットフォームというたくさんのカジュアルゲームを提供するプラットフォームを運営しました。ユーザーはそのQQゲームプラットフォームを通じて、カードゲームや囲碁ゲームなどを楽しめました。

本来なら、当時の中国の多くのインターネットユーザーは大型対戦系のオンラインゲームを好んでいたコアゲーマーでした。従って、テンセントが提供するようなカジュアルゲームプラットフォームは成長するスピードが遅いはずでした。しかし、前述のように、SARSによって、元々インターネットをあまり使用しなかった人々はインターネットの世界に入るようになりました。彼らにとっていきなり大型対戦系のオンラインゲームに参加するのはハードルが高すぎたので、カジュアルゲームの方が手を出しやすいと感じました。それで、テンセントは一気に大量のカジュアルなユーザーを掴め、自社のカジュアルゲームプラットフォームを急速に成長させました。

最後に紹介したい企業はJDです。日本であまり知られていないですが、中国のEC業界に置いて、上記のアリババに次ぐ二番目の大手です。

最初からEコマースのウェブサイトとして事業を始めたアリババとは真逆で、1998年に設立されたJDは元々実店舗を抱え、伝統的な販売を行っていた会社でした。パソコン部品やディスクなどの販売に特化していて、2003年までに、北京で12店舗を保有するようになりました。ある意味、中小企業として順風満帆な成長を経験してきました。

しかし、2003年のSARSの到来は、JDに致命的な打撃を与えました。SARSのせいで、全国がパニックな状態に陥り、北京で多くの人々が外出しなくなりました。そのため、顧客も店舗を訪れることがなくなりました。後日に公開された資料によれば、JDはたった21日間で、800万元(約1.2億円)の損失を受け、そのままで続くと、破綻するに違いませんでした。

そういった苦境に陥ったJDの創業者の刘强东さん(以下、「リュウさん」と呼びます)は、頭を抱え、どうやったら顧客が来られるか、途方に暮れました。その時、従業員の一人はある提案をしました。「対面販売が出来なければ、インターネットで販売したらどうですか」という提案でした。メールアドレスさえ持っていなかったリュウさんは、その話を聞いて、躊躇しました。見知らぬインターネット領域に踏み出すべきでしょうか。結局、他に打つ手がなかったので、その提案を採用しました。

もちろん、自社のウェブサイトがなかったので、JDの作業員は他のEコマースサイトやBBSサイトで投稿しました。注文を受けたら、この注文情報を紙で書き下ろして、着金状況と照合しました。着金確認できたら、顧客に電話で、郵送の方法を伝えました。顧客の住所が遠くない場合、創業者CEOのリュウさんも含めJDの従業員がバイクで配送したようです。なんと、アナログなEコマースでした。その施策のおかげで、JDはSARS期間中もある程度の売上を達成し、無事にその困難を乗り越えました。

2003年6月に、SARSがある程度収まり、実店舗の販売数もSARS前のレベルに戻ったものの、JDはEコマースを継続していました。リュウさんも恐らくインターネットのパワーを感じたのでしょう。少し本題のSARSの時間軸を超えますが、リュウさんと彼が率いるJDは、2004年末に重大な決断をしました。当時の収入の90%は実店舗から得たていたにも関わらず、大多数の従業員の反対を押し切って、全ての実店舗を閉鎖し、オンラインショップだけに注力することに舵を切りました。当時、かなり大胆な決断でした。実は、JDのようにSARS期間中にEコマースに参入した業者はさほど珍しくありませんでしたが、彼らのほとんどにとってEコマースが暫定的な手段に過ぎませんでした。リュウさんのようにどっぷりEコマースに浸かる業者はまれでした。その後、様々の困難を克服し、今年間売上7兆円の中国ナンバーツーのEコマースになっています。

2003年期間中のアリババ、テンセント、JDの物語は以上です。

2003年のSARSの結果は、ある意味、中国インターネット業界にポジティブな刺激を与えました。多くの人々が従来の対面的なコミュニケーションを取れず、インターネットによるコミュニケーションを強いられました。SARSによって、初めてネットで買い物をしたり、初めてネット新聞を読んだり、初めてオンラインゲームをしたり、初めてメールを送ったりする人は少なくなかったと思います。それによって、インターネット使用の普及は一気に加速しました。

その加速のパワーをよく表すデータがあります。SARSが大暴れした2003年に、中国のインターネットユーザー数は、前年の5000万人ぐらいから50%以上増加し、8000万人ぐらいになりました。

今回の武漢肺炎も様々な面で中国のインターネット業界に影響を与えています。例えば、旧正月は本来、映画館にとって一年で最も重要な時期です。しかし、今や中国のほぼ全ての映画館が閉鎖されています。それによって、映画館を運営している会社の株価は暴落しました。それとは対照的に、インターネットでドラマを配信する会社の株価は高騰しました。もう一つの例はMeituanというライフスタイルプラットフォームサービスを展開している会社です。「中国の楽天」と考えたら、大まかなイメージが付くと思います(実際、Meituanと楽天の事業にはいくつかの明白な差がありますが)。武漢肺炎による旅行予約のキャンセルは、Meituanの一つの収入源である旅行予約サービスに大きな打撃を与えました。しかし、それと同時に、自宅で引きこもらなければならない人々によって、Meituanのもう一つの収入源であるデリバリーサービスに対する需要が高まりました。

もちろん、2003年のSARSのように、今回の武漢肺炎も、インターネット業界のみに影響を与えるわけではありません。政府政策、医療、武漢と他の地域との関係、中国の外交、などなど、様々な角度で深刻かつ長期的な影響を残すでしょう。例えば、政府の対応に落ち度があることを強く批判する声はネット上で雨後の筍のように現れています。習近平政権を直接糾弾する意見はさすがに見られませんが、武漢の市長や中国赤十字会への批難はWeChat MomentsやWeiboにあふれた時期もありました。今回の経験によって、中国政府は今後、国民が政府の動きに対する意見を発信することをより歓迎するか、もしくはより制限するかは注目するポイントの一つです。


写真は2003年アリババ本社。おそらくオフィス閉鎖直前でしょう。真ん中の人はジャック・マー

写真の出典:https://tech.sina.com.cn/roll/2020-01-30/doc-iimxxste7668406.shtml 

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