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『鬼滅の刃』 現代の鬼再び 4家族の絆


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今回は、「鬼滅」の家族の絆をテーマに話そう。

社会の最小単位である家族の形。組織的なつながりや意識の成り立ちなど「社会組織科学」の知見も交えてお話する。

1)絆の描写

アニメの第一話を見たとき、かなり抵抗感があった。正直あまり心地よくなかった。禰豆子を除く家族全員が惨殺される衝撃的な映像が深く印象に残る。

物語の原点を、極端にシリアスに描く。情動を揺さぶるには十分すぎる演出だ。自分がその立場ならどんな心境かを、ありありと想起させられる。

物語は最初から血生臭く、ストーリー展開もめまぐるしい。感情が揺さぶられる中、風景にはある対比があった。

情景が素晴らしく綺麗なのだ。泣きたくなるほど美しい。

雪の情景を描くのに実際に栃木の山間部を訪れ、参考にしたという。アニメスタッフの意気込みがうかがえる。

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美しい雪の描写に血痕が鮮やかに映える。赤と白の対比。その風景が知らず知らずのうちに、残酷なエピソードを浄化してくれる予感を与える。

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家族を失った者の深い悲しみと純粋な怒り、殺された者への悲痛な叫びが、辛さに追い打ちを掛ける。強い絆を結ぶ原動力として、ここまで残酷な第一話を挿入する必要があった。

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負傷した禰豆子を背負い、炭次郎は半ば錯乱状態のまま、いま来たばかりの雪山を降りていく。そして、禰豆子がまだ生きていたことで、家族を救えるという一縷の望みを抱く、が・・・。

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禰豆子が豹変する。炭次郎に畳みかけるように襲いかかる不可解な出来事。混乱する炭次郎は、やっと禰豆子の正体を知る。

「鬼だ・・・」

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救えると思っていた。一縷いちるの望みを持っていた・・・しかし、たった一人生き残った家族も「鬼」と化した現実。

この絶望感に打ちひしがれる間もなく、炭次郎は襲いかかる禰豆子に正気に戻るよう叫ぶ。

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執拗に強襲が続く。だが、禰豆子の目から突然涙がこぼれる・・・。ナニカと必死に戦っている、こころをかき乱す心情が伝わる。

物語のテンポが速く、ここまで過酷なストーリー展開に、正直こころが付いていかず、ただ茫然と物語の進行を傍観するしかなかった。

この時点で、すでに冒頭の不快感は吹き飛び、物語に吸い込まれ、「こ、この先どうなるんだ?」と片津を飲んでいた。もの凄い展開だ。

非常にベタな言い方をすれば、定義通りの『つかみ』にハマったということだろう。同じモノも、『ジャパネットたかた』だと2倍売れる仕組みと同じだ。つかみすぎだ。

こういったエピローグにより、物語に家族の絆をテーマにした部分が出てくる。

今回は、第十五話、「那田蜘蛛山」以降から現れる鬼、「累」の家族にも触れてみよう。

ストーリーは既に了解済みとして話を進めたい。

2)家族の絆
① 炭次郎の家族

今回、「家族の絆」について紹介するにあたり、炭次郎の家族と、鬼「累」の家族について、社会組織科学をもとに集団意識の構造を見ていくことにする。

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組織の頂点に立つ人間は、社会的ミーム(組織的意識段階)の雰囲気を調整する絶大な力を持っている。

フレデリック・ラルー著『ティール組織』には、ヒエラルキー構造の一側面が論述されている。

組織社会の最小単位である家族においても、それは例外ではない。

ティールとは、「集団意識」の世界観を指し、その意識段階を一つの色として表現している。ちょうどこの本の表紙がその色になっており、次世代を担う新しい組織の形として紹介されている。

もともとは、ドン・ベックとクリス・コーワンの提唱したスパイラルダイナミクス理論をベースとしており、ティールは、意識的に第二層に相当し、下位の第一層とは大きくたもとを分かつ。

層とは、単純に「集団意識の種類」と見做してよいだろう。わざわざ層を分けているということは、集団の振る舞いがこの段階でかなり変わることを示唆する。

下にベック・コーワンの提唱するスパイラルダイナミクスを示そう。

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下位の1から上昇し8に向けて意識が開ける世界観が表現されている。右にそれぞれの世界観を持つ人口と勢力が大まかに記載されているが、大部分の意識段階は、ブルー(アンバー)からオレンジにかけて、それが全体の7~8割を占める。

神話的なブルー(アンバー)段階から、合理的なオレンジ、多元的なグリーンを経て、統合的なティールに至る。ティールに至っては人口全体の1%で、その勢力は5%とされている。

下の表は、もう少し幅広く、認知や価値、意識の秩序、自己意識などの成長発達段階を集団の意識の色と対比させたものだ。黄色の部分が、前述の図、スパイラルダイナミクスに当てはまる。

ケンウィルバー著:インテグラル・スピリチュアリティ、挿入図より抜粋。フレデリックは、基本的にウィルバーの公案した組織図からティールの色を採用している。

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この表には、第三層まで載っており、最上位は認知の段階を指すクリアーライトのスーパーマインドである。

炭次郎の家族は、おそらくグリーンの集団意識段階に近いと考えられる。第一層の最上位であり、人間の絆を重んじ、相対主義的、個人主義的で、内なる自己を探究し、他者を平等に扱おうとする意識を持つ。

一家の主である、炭次郎の父親がそのような意識を持っており、温厚で公平を旨とする、その影で自らの内面と対峙し、一つのことを貫き通す強い意志がある。

しかし、それ故にグリーンにも多くの課題はあるのだが、それは後ほど論述するとして、次に鬼「累」の家族についてみていこう。

② 「累」の家族

恐怖で人を縛る。これは、特にヒエラルキー的組織構造では病理的に生み出されることが多い。ヒエラルキー自体の良し悪しを言っているのではなく、むしろ上に立つ人間の人格性によるものであると断言しておこう。

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「累」の家族の意識は、典型的なレッドの段階と考えられる。最も分かりやすく言えば、マフィアの集団意識だ。

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ボスが頂点におり、全てはボスの言いなりで有無を言わさず従うことになる。自己中心的で呪術ー神話的、いわば弱肉強食の世界だ。ボスの主張が絶対であり、それは神的な立ち位置で、ある意味呪縛による統率だといえる。

基本的に自己中心的な意識が強いリーダーの場合、組織の色は結局のところ、レッドにならざるを得ない。

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一見組織として纏まりを見せるが、個々人のこころの内部は硬直し、そこには個人の自由性はない。個人の自由を奪い、強制的に統率する。独裁者が支配する社会構造はそのように見える。

しかし、個人的な自己意識が同レベルであれば、このミーム集団意識段階に属しても、あまり苦痛を感じない。実際、父親役の鬼は、レッドの集団意識に順応していた。

「おれのがぞぐかぞくに、ぢがずぐなー」

完全にいってまってる(笑)。

このような場合、組織にくみすること自体、快感を抱くことさえある。だが、それは自分の役割が全うでき、リーダーから認められている時だけだ。

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一方、母親役の鬼は、その支配から逃れたい一心で、炭次郎の刃を自ら望み、死をも切望するシーンがあった。

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それほどに、内心は辛い心情に包まれていた。自己意識がレッドを超えようとする者には、その集団への帰属は非情な苦痛となる。

殺される運命を悟った母鬼は、苦痛から解放される安堵感に身を委ねた。

咄嗟とっさに炭次郎は、この心情の変化を察し、慈悲心から「干天かんてん慈雨じう」により殺生する。

「十二鬼月がいるわ、気を付けて・・・」

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最期に母鬼は言い残し消えていく。

一度は順応的に累の指図で母親役を引き受けたが、規制的な役割に違和感を感じ、心境としては、この時すでにアンバーの段階にいたといえる。

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そして、さらに炭次郎の慈悲により良心が芽生え、最期、忠告の言葉を残した。このとき、母鬼の自己意識はオレンジの段階にあった。

炭次郎と累の意識は、事実上、現実世界では、自由を求める者と独我を求める独裁者との闘いになる。

これら組織の折り合いをつけるのは極めて困難であり、組織間で典型的なトラブルを引き起こす。自由を求める集団と、服従を強要する者、あるいはそれを望む集団との闘争になる。

この意識の違いが、『鬼滅の刃』では、あからさまに描かれている。すべてを力ずくで奪い、服従させ「絆」を得ようとする「累」に対し、炭次郎が、「お前の絆は偽物だ」と断言するシーンがある。

姉鬼を叱責する「累」に対し、炭次郎が叫ぶ。

本当の絆には信頼の匂いがする
だけどお前たちには
恐怖と憎しみと嫌悪の臭いしかしない
こんなものを「絆」とは言わない!
まがい物、偽物だ!!!

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その言葉を聞いた姉鬼は、「はっ」とする。
が、「累」は怒りに打ち震える。

累が、炭次郎との死闘で、妹禰豆子との兄妹愛に心打たれる場面でも、同様に「絆」を自分のものにしようとする。

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全く折り合いを見せず、本当の「絆」を理解できない「累」。

この後、炭次郎との死闘を通して、「累」の心理的変容がどのように解釈できるのか、次回以降に触れていく。


次回へつづく




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