見出し画像

「哲学」の散歩道 Vol.1「自由空間」

はじめに

図書館に向かう途中、小さな川沿いに並木道がある。自分は、ここを『「哲学」の散歩道』と呼ぶことにした。ここを歩いていて考えたことや、感じたことを「テーマ」に、note 「論」に連載する。

「通勤」or「通学」

朝の通勤通学の電車に揺られる自分は、通学でも通勤でもない、自主学習?で図書館へ向かう道すがら「これをなんといったらいいんだろう?」と考えていた…。

平日の朝、世の中はいつもと変わらない日常が始まっている。

通勤通学も、自分に与えられている役割を全うするために通う。学生は学ぶため、お勤めは働くため。

課題を投げかけられそれに「答える」あるいは「応える」日々。役割課題。いづれも社会では「与えられる」ものが多い。

「与えられる」と反射的に「こなす」生活に慣れきってしまうのでは…、自分が通勤しなくなり、そんな感覚が頭をよぎる。

私たちは学び勤め生活する。それが当たりまえの生き方になっている。社会人として「給与」をもらい「生活」していく。

しかし「生活」なのだから、もう少し自分は積極的に「生き方」「活かし方」を考えてみる。

そんな問いから、「論」は始まる。

勿論、段階がある。

様々な学びがあり、勤めてわかることが世の中にはある。

「生き方」「活かし方」世から「与えられるもの」世へ「与えるもの」。この異なる両軸の感覚を担うハイブリットな感性を養い、どう執るか。

それが「論」の命題だ。今日は…

「自由」な空間とは何か

住宅街の小道をのっそり「猫」が歩いていた。四本脚で歩く…見慣れた姿だ。が…そのとき、ふと「前脚」に考えが及んだ。歩きスマホは良くないが、私たち人間は手が空いているから様々な操作ができる。指があるから緻密な作業も可能だ。

これは動物が歩くことに使う「前脚」に変化し、より自由に、握る、掴む、触れる、操作に使えるツールを持つに至った…まさに「自由を手にした」のだ。
(そういえば「自由を足にした」とは言わない)

両手が使えることにより、さらに創造が広がり飛躍的に向上した。考えたこと、感じたことを実際に「やってみる」ことができるようになった。

それが人間の「脳」の発達に関与したと言う学者もいる。

この検証は専門家にお任せするとして、現に移動のとき猫は「前脚」歩くこと以外使えない不自由さと同居している(おそらく猫は思ってないが…)。

図書館に早めに着いたので開館するのを待つ間ベンチに腰掛けていると、そこにスズメが一羽飛んできた。

妙に至近距離だ。おそらく餌付けされているのだろう。1メートルも離れていない距離で「チュンチュン」と鳴いてる。

2本脚で跳んで歩く姿。そこでまた「前脚」に考えが及んだ。鳥は「前脚」「羽」になった。飛んでる間、鳥は「前脚」飛ぶこと以外に使えない不自由さと戦っている(おそらく鳥は思ってないが…)。

ここで、なぜ、猫も鳥も「そんなことを思ってないといえるのか?」という問いが生まれる。

それは、人間だったら不自由さと同居しているとき、改善へ向けた何らかのアクションを起こすことができるからだ何かと不自由や不具合を感じることが「改善」への糸口だ。

例えば、片手で何かを持ちながらもう一つの手で何かをしようとするとき不自由さを感じることがある。

先日洗濯物を干そうと思ったとき、洗濯物を片手に抱え物干し竿を掲げなくてはならず往生した。これを「横着」というのだが、片手ですることへ不自由さを感じた。

あとで冷静になって「洗濯物を置いてからすればいいのに…単なるアホじゃん…」と感じれば「改善」へ向かう(はず…だ)。

しかし動物は自然の中で生き、自然と混然一体だから「当たりまえ感」というのか、改善しようとか、煩わしいとか、そもそも不自由さを感じてない

だから「ずーと、そのまま」

両手の存在は、飛躍的に操作性を高めてくれたが、これが単に「与えられた」ものだとしたら「動物」と変わらない。

荒っぽい言い方をすれば、それでは「宝」の持ち腐れで、すでにこんなに大切で素晴らしい物を持っているのに、それを「使わない手はない」(「使わない足はない」とは言わない)。

「与える」者、「与勤」へ

 「自由な空間」は、すでに「手元」にあるということだ。同時に「足元」にあると言ってもいい。

しかし「手元」「足元」「与えられた」ものであるうちは「自由な空間は開かない」

「与える」ものとしてそれを活用すること。

「与えられる」ものから「与える」ものへ。

自分自身も「与えられる」者から、「与える」者へなるために、今日もこの「図書館」へやって来た。

所与の存在から、付与の存在へ

取り合えず、今日のお題は、
「通学」でも「通勤」でもなく

「与勤」

と答えよう。

これが自分へ「与える」命題。

「与えられる」者から、「与える」者へ
自分銀行へ「預金」するための「与勤」

「与勤」ってか…ま、語呂合わせで小振りな落ちだけど…納得。

時給0円無償、無給「自由空間」で一体何を生み出し、どう活かしていくか…。

「与勤」活動から、次回は「金銭感覚」について書いていく。

では、また来週。

※このマガジン『哲学の散歩道』に連載されている他の記事はこちらから





ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んで頂いたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことです!マガジン内のコンテンツに興味のある方はフォローもよろしくお願いします。