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記憶と話す② 黒瀬さんと加藤さんの差ケーススタディ:山崎修平さん

15年ぶりぐらいに「狂犬モード」なんだけど、このモードの意味を知ってる人間って多分関東にしかいなくて、多分俺はスゴイ絶対的な確信を持ってそして正しい記憶力と、ある時点で人間がじゃなくて、当然なこととか、審美眼とか選歌眼にかけて、このひとは「ダメ」って判断してて、それがわかりながらやさしいひとのふりをしてる。

とても、「ふつうの人」ぶってるところがあって、無私の精神で、みんなに活動の場を提供してた、みたいなzoom歌会の印象しかないと思うのね。

みんな、その俺が「狂犬」だ、っていう事実を知らないんだ。

俺はそれを語れるんだけど、なにをもって、おれが怖かったり優しくなったりできるのか。

それは「後世の評価」の一点なんだよ。

そういうの問わない。たのしくやりたい、ってひとには、楽しい場所として短歌を差し上だすんだけど、すごいある種の「野望」というか、名を残したいという願望をもって、やってる人には覚悟をもって、言う。っていうことなの。

これは、もう、残らないひとが残りたいのって、ムリなんだよ。
趣味としてやって下さい、としかいいようがない。
残りたいなら相応の努力をして下さい。
としかいいようがない。

その事実を突きつけてなお、なんか反論とかっていう人とか、文学上の話で対抗してくるみたいなフリをするひとは、もうムリとしか言えない。

それはガチで切れるよね。そういうひとが、実人生の立場が上だという理由だけで俺にマウントとったりなにかアドバイスをしてくれるっていうのは、もう全然許せない。

俺が今から言う事の意味を言われた本人は全然わからないんだけど、
周りは一瞬で理解すると思う。

中島さんは理解する。
朽木さん、ごめん。たぶん半分理解して半分理解できない。

何の話からしよう。加藤さんが無礼極まりないという話をすると、中島さん朽木さんはわかりやすいか。

すっごい直近の話なんだけど、加藤さんから、またもう一回ズームの歌会をやってくれないか、という打診がきたんだよ。

「なんで?」

っていう反応しか俺は返せなかったんだけど、すごい現実的な理由で、

「ぼくまだ会費払ってないから黙って場を運営するのはムリです」
と返した。

いま、佐藤理江さんが選歌欄を去ると言ってる。俺はずっとこの場を維持するためにやってきたんだけど、佐藤さんにごめんムリ、といって、一回場の維持をお願いしたの。

この事実に対して、また佐藤さんが去ったから俺に頼む。っていう話をしてるんだけど、そのことの「意味」を加藤さんは理解してない。

これが無茶苦茶無礼なんだよ。

いまのメンツが不快で苦痛でしかないのを、俺に耐えろ、って言ってるってことでしょ。

無礼なの。

わかりますか、加藤さん。

「こんな、文学的に何の意味もない歌会を継続する意味があるんですか?」

て聞いてる。

加藤さんは歌人なんだよ。

歌人が、歌人に、場を維持を依頼するということは、なんかメリットというか、短歌的な意義をあなたが知らしめることができるんですか?

っていうことなんです。

その意味がわからないのはめちゃくちゃ恥ずかしいですよ。

西巻さんは優しいから。という人格的な理由で、なんか「まるくなった」とか「やさしくなった」とかという、かんたんな人間の問題に落とし込めるという時点で、もうみんなの俺に対する評価がめちゃくちゃ安易なんだけど、多分「文学的」に命をかけて、「それはやっちゃだめだよ」「やんなきゃだめだよ」て俺でさえ言えることが、言えない加藤さんに、場を維持してくれ、っていう依頼をされるのがそもそもムリです。

そうそう。文学者に、文学者が頼むことじゃないの。これ。

毅然としていいます。

なにか、劇的な変化がない限り、彗星集に新しい人が入ってくることはもうないです。

で、いま残ってるひとは、短歌の批評ができるひといるんですか?

っていう話。

それ歌会になるの?

俺、ずっと短歌っていうジャンルの話をしてて。

加藤さんは短歌作品においては、たぶん、大辻さんと比肩しうる。自己の作品や、評価に関してはもう確定してて、文学者として俺は保証するけど。

加藤さんが短歌の専門家(歌人)として敬意をもって他ジャンルの詩人と関わるのはすごいいいことだとおもうんだよ。

杉本真維子さんという方がいらっしゃいます。
白井さんも出てた。

俺は、体調的に全然うつ状態で、ほぼ寝たきりの状態で、詩集の批評会に出ました。

で、それはいいのよ。俺は純粋に詩というジャンルに興味をもってて、短歌の専門家として、短歌の読み筋で、歌人の加藤さんと白井さんと短歌に立脚して詩の話をしたいと思って出ました。

でも、なんだろう。

たとえば、詩人の合評会に、詩集がつまらないですっていいながら、短歌を出す詩人がいたら、どうします?

何をベースに、話すんですか?

俺は、自分は詩人じゃないと思う。現代詩というジャンルをあんまり深く理解してないん。それは俺が歌人だからです。

当たり前の話なんだ。詩集に関しては、専門じゃない。でも、短歌でこういう運動あったかなあ、みたいなことは、ちょっと言えるというか、さっきの長谷川さんの2首目の試みが、ちょっと、たとえばモダニズムとかダダイズムの関連で新しいという話はちょっとできるかな。

江田さんにちょっと助けてほしいな。俺。高橋新吉とか荻原恭次郎を短歌をやる前にさすがに読んでてて、ちょっとわきまえて歌を作りますよ。

記号短歌と、荻原恭次郎の関係みたいな話くらいはちょっと示唆できるけど、でも、荻原恭次郎のことをそもそも知らない歌人は多いです。

でも、詩人で、荻原恭次郎のことを知らない人って誰?っていう話なんだよ。

ごめんなさい。俺は詩集が面白いのをすごくしってて、詩集に敬意をもって、面白い、もっとおしえてほしい、っていうのは言えるんだけど。

さすがに、北原白秋の歌を一首も知らないとか、そういうクオリティじゃないでしょ。歌人なのに。

で、いま残ってるメンツってやばくて。

白井さん。

詩がおもしろい。歌がつまらないというジャンルの判定がめちゃくちゃ粗いんだよ。

あなた、ちょっとまって。

それって、短歌をやる意味あるの、みたいな、ことなんですよ。

俺一回、高野公彦さんを読んでるか?みたいな話を加藤さんからされて、

え?

ってびっくりして。俺は読んでたんだよ。

白井さんが読んでなかった。俺もさすがに読んでない歌集はあると思うけど、インスタントで勉強したから。でも、やっぱり今の源流の現代短歌の流れはさすがに理解してて、それは知らないのちょっと歌人じゃないじゃん。みたいな、短歌の専門家として良さを説明出来ないのはまずいと思うんですよ。

汽水の光の話じゃなくて、汽水の光以降の高野公彦の第二歌集だよね。淡青。とか。

ごめん。俺が詩集の良さをあんまり語れないのは、詩人じゃないからということで、まだ勉強不足です。ということは許されるんだけど、歌人なのに、歴史に残ってるくらいの歌集の評価を全くできなくて、なんの専門家を自認できるのか、っていうレベルの話なんです。

いまの加藤さんは、その境目が見えない。

だから、短歌しか知らない歌人が、みんなとまどうのね。

短歌をしらなくて詩集ばっかり読んでる歌人って可能なのか?

っていう話なのよ。

うーーーん。

白井さんを叱れない時点、まともに短歌をベースに、作品として解釈できない作品がでてきて、それは無理筋だよ、みたいな話ができない。

それは、短歌の良さをすごい理解してて、さすがに近代短歌まで読んでるくらい「短歌が好き」な人たちの前で、詩の話をされても…。うーん。みたいな。

名前出せないけど、ジャンルの境目が最近見えないひとって、さいきん結構います。

中島さんはわかってくれてると思うので、スゴイまともなこと言う。

前衛って何に対する前衛なの、って話なんですよ。

中島さんと俺はずっとポジションの話をしてて、加藤さんの話のなかで、中島さんは、加藤さんと別の意味で、さらに革新的な(政治的な話でいうと左っぽい)みたいな歌を目指そうとしてた。

でその文脈はわかるわけ。

ごめん。

でも、塚本邦雄のことをすごくよく知ってる人が、塚本邦雄以外、たとえば、近藤芳美とか、同時代に生きてた人、小池光とか、脈々と、保守的な短歌らしい短歌って続いてるんじゃん。それを継承した人を全く知らないって、めっちゃ恥ずかしいね、って話ですよね。

加藤さんの欄のなかの大辻さん側。ってどういう立ち位置なんだろうっていう話よね。

それは、すごい孤独な作業。むしろ。
それを自認することってすごい難しいんです。

俺その話をなにか言われたら、小池光のバルサの翼の話を黒瀬さんがしたらしいていうのを聞いて、めちゃくちゃまともな話なんだけど、っていう話をしようと思ってた。

そう。前衛短歌の時代に、あたかも前衛短歌の代表者を上げられないことが恥ずかしいように、塚本、寺山、岡井そしてもうひとり、春日井。の名前しか、知らないっていうのが恥ずかしいように。

前衛短歌の時代にいながら、前衛短歌以外のまともな、一見、前の世代を受け継いだかのような保守的な短歌を読んでた歌人の話ができないのが相当恥ずかしいことだと思う。

それな。

小池光は塚本を読んでないわけないじゃん。

で、でも塚本ファンが小池光を読んでない。は、同じ短歌の一個先の世代の話なのに、めちゃ恥ずかしいよ。

他ジャンルの良さを語ろうとする前に、すでにみんな知ってる自分が起点になってるジャンルについて敬意をもって接せられない時点で自分のジャンルからは見放される。

でも同時に、いきなり川柳つまんないすよね、みたいなことをぶちあげて柳人を怒らせるひとが、かろがろとジャンルを「越境」できるわけないじゃん。

その意味わかりますか?

おれは、ハラスメント問題より、加藤さんが歌人として川柳の場でなんかすごく迂闊な発言をしたらしいということを、昨日ずーっとNOTEをよみながら、ひとりの柳人の人の川柳論を読んでて。

それ、たしか俺の記憶では、川柳のプロの河合大祐さん。完璧に理解して、すごい人だっていうのが、わかったの。

なんか、川柳の歴史的な意味というか、川井さんが川柳が生まれた起点について歴史的な視点で語れる人なのに、タイトルが全部映画みたいなすごい実験的な川柳を読んでいます。ずっと。

それは川柳のプロじゃん。

それを怒らせてしまう。って。

川柳っていうジャンルって、歴史的に短歌と接点がまったくないわけじゃないの。荻原さんから、やってる人結構いて、なかはられいこさんとか、すごい紹介されて、うわ。むっちゃ面白い。って思った記憶がある。

で、平岡直子さんも川柳集を出した。たぶん、短歌で先にデビューしたひととして。

加藤さんと川柳の関係の話よく走らないんだけど、河合さんが、加藤さんに怒るって相当だぞと思いましたよ。

それはわびてください。

すいません。ほんと。谷川俊太郎の詩集をけなして詩人に怒られる歌人っていないじゃん。

そういう話なんですよ。

他ジャンルと自ジャンルの境目がみえないひとが、専門性を持てなくて、他ジャンルから見放されて、自ジャンルにいれないよ。

そういう話です。

ジャンルの越境が可能な人はたしかにいる。

それが可能かどうか、っていうのは、実はこれ場によると言うか、歌人として、アクティヴィティのある批評の場にいて、「人による」としかいえない。

できる人もいるし、できない人もいるとしか。

それは、めちゃくちゃ迂闊で無礼なひとたちを全員排除して、純粋に短歌を楽しんできた人として敬意をもって短歌や詩について語れる人と、話したいな。

なんか俺、が短歌でさすがに評論の賞を取った人間として、中島さんは古泉千樫を読んだことあるとか、俺が鹿児島壽蔵とか、長塚節とか、中村憲吉とかそういう人のよさに憧れるみたいなレベルで、

無知

なことを隠して他ジャンルを批判する事ができる時点で、その名声はムリです。みたいな話にならないっすか…。

俺は白井さんの短歌なのか詩なのかわからない連作にどういう「スタンス」をもってのぞめばいいのか、不明なんだけど、

加藤さんその解釈をすらすらやるんですよ。

でも、短歌を勉強したい人の前で、短歌というジャンルに対する理解がないまま、詩集の話をもちだすのは、圧倒的にダメなんですよ。

ほんと、なんのジャンルの話をするのか、区別ができない人たちに向けて、まず、短歌の会を依頼するのは、歌人がすることなの?

っていう無礼さを理解して下さい。

批評というのは、自分を絶対化できるひとじゃないの。自分も含めて、さっきも継続して言ってたけど、作品だけ取り出して比較ができるひとなのよ。
その上で自分のポジショニングを考えられるひとのことです。

ひとりだけ。

ジャンルと専門性の問題で、黒瀬さんの門下にいた人で、山崎修平さんという人がいる。

今小説でデビューしてるけど、でも山崎さんは詩人なんだよ。詩のような小説を書いてすごい話題になってるけど、すごい、まともな話を黒瀬さんが山崎さんにベースとして話した、っていう話を

黒瀬さんが、山崎さんに何を言ったか。

自分が詩人であることを歌人の前で言うなよ。

みたいなこと言ったらしい。

でその意味わかります?

ウィンターマルクトの方。

山崎さんがなんで文学雑誌で活躍できて、
うちの選歌欄のひとが全然活動の場が広がらないのかというのは。理由が一つしかないのよ。

山崎さんは黒瀬さんがひとつだけ、この点をアドバイスしてる。

俺は加藤さんがそれを言ったのを見たことがない。

白井さんのぼやきというか言うことは覚えてて、詩がおもしろくて短歌がつまらないということ。でも、川柳をけなした加藤さんが歌の専門家として短歌のつまらさについて話せるのみたいな話。

いま、本人にまったく確認してない。、確認のしようが全然なくて、山崎修平さんと黒瀬さんの関係と、いまの彗星集のていたらくをみて、うらやむだけ。

おれが果たして、安易な権威主義をふりかざしてるだけなのか、
それとも、おれの理解が正しいのかをウィンターマルクトという雑誌の編集長をしてた山崎修平さんの成功と、黒瀬さんの関係とかを思い出してる俺。

と。

そのアドバイスができなくて、加藤さんのもとでうだつが全然あがらない文学的にクソでダメな彗星集の人をすごい話したいんです。

この話全員巻き込んで蒸し返すけど、俺はこの無礼さについては、命をかけていいます。

加藤さんは、いま、歌人なのか詩人なのか、とか歌人なのか俳人なのか、境目がわからないひとにたいして、短歌の会で、自分が詩人であることを隠して参加するようなアドバイスできるんですか。。。

みたいなことですよ。


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