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【科学夜話#6】識別記号としての「顔」

 顔は本来、感覚器が前方に集中することで、危険回避や捕食に有利に働くことから魚類などから進化してきた。
 それが個体識別のための目安として、さらに繁殖のための配偶者の選別基準となってくる。ハーフ顔を美しいと感じる理由など、遺伝子レベルで好悪の理由付けができるものもあるが、身近な割に謎多き分野です。

マスクを手放さない日本人

 昨日、近所の駅前歩道橋から下界を見ていたら、見渡す限りマスクの群れ、マスクしていないのは私だけだった。
 マスクをすると蒸れるし、口臭・加齢臭がしないか、などと雑念に囚われるので嫌い。人との距離がとれると、すぐに外す。

 そんな私とて、屋外であっても人通りがあって近接するシーンではマスクをする。コロナが怖いというより、メンド臭い方に因縁をつけられるのがイヤ。同調圧力には屈するに越したことはない。

 しかし、他人との距離が数十メートル以上離れていたり、誰も居ない一本道を漕いでいる自転車の人もマスク、マスク、マスク。
 じっちゃんの名に賭けても良いが、今後コロナがどのような形で収束しようと、日本人はマスクを手放さないだろう。

 なぜなら心地よいからだ。

 日本の治安が良いのはモラルに優れているからだけではなく、地縁血縁にがんじがらめで相互監視が行き届き、何かやらかすとやり直しがきかない風土だから。
 なので国民性として必要以上に慎重にふるまい、思い切った飛躍ができない。
 会社勤めのときは、「1番手になるな!」と社是を言い渡されたものだ。2番手か3番手の風当たりのない場所で、おこぼれを頂戴しよう!

 マスクをして匿名性を獲得したとき、ネットで書き込みするような心地よさと、大胆さを手に入れることが出来る。
 日本人は顔をなくして初めて、自由を獲得できるのだ。

ハーフはなぜ美しい?

 私は人の顔を覚えるのが苦手で、マスク社会になるともうお手上げ。
 一般に女性より男性のほうが顔の識別能力が劣るが、私は男性のなかでもその能力が低いだろう。
 AKBも初期まではフォローできたが、乃木坂以降の坂道になると、個体識別ができない。

 交配基準として、それぞれに好みの異性の顔がある。
 選別手段としての顔の好悪は、繁殖に有利な何かの理由があるのだろうか?

 例外はあれど、異なる国籍婚児のハーフ顔は美しい、というイメージがある。
 動物は狭い一箇所で繁殖しては、その場所で発生した災害などで全滅する畏れがあるので、地域的に広がりをもつ必要がある。
 そのため、遠隔地婚では生存に有利な特質を獲得する場合があり、ヘテロシス(Heterosis)と呼ばれる。
 人において顔を美しく感じるかどうかは、生殖の優位性に結びつくので、そう感じるよう刷り込まれているのかもしれない。

 男が女性の細いウエストを好ましく感じるのは、妊娠中かどうか判別しやすいから、という説もある。

 しかし、顔への好悪が必ずしも生存競争に結びつかないケースもある。
 出川の哲ちゃんは、最近でこそ好感度もアップしているが、むかしは抱かれたくない男呼ばわりされていた。
 しかし、耐衝撃性や耐熱湯風呂性などの物理特性は、彼のほうが紫耀クンや賢人クンより秀でているはず。

 産まれてくる子の生命力を鑑みれば、なぜ女性は哲ちゃんの方を好ましい顔として識別しないのだろう? 謎だ。

美人顔の到達点は?

 配偶者としての異性獲得のため、後天的に顔や容姿を磨く場合、ふたつの基準で争うことになる。

 ひとつは、異性へのアピールのため。
 もうひとつは、同姓のなかでのヒエラルキーを上げるためだ。

 同性のなかでの自分のヒエラルキーを高めれば、異性に対しても株が上がる。
 なので、男はマッチョな身体作りに熱中したりする。
 時にそれが暴走し、本来の目的を逸脱して異性からはキモがられる場合もあるようだ。

 女性の過度のメイクも、男の中では評価されないこともある。ここでも、自分磨きの方向性と異性へのアピールがリンクしていない。

 顔のパーツの対称性が、健康体だとの証明として好悪に結びつく重要なファクターだ、との意見もある。
 しかし、内斜視気味の女性はカワイク見える、というフェチもいて、ここでも法則性が裏切られる。

 美人顔の黄金比に乗っ取った顔は、確かに端麗だがアピール力に欠ける、という人もいる。
 結局、例外なき美形法則はなく、生物多様性に則って好みは千差万別になる、というのが正解なのかもしれない。

天井の木目が顔に見える

 天井の木目だとか、風景の組み合わせが人の顔のように見えるのを、シミュラクラ現象、パレイドリア効果と言う。
 人は、逆三角形に配置された3点を見ると、顔と認識する傾向がある。

 マウスに注射しても顔色は変わらないが、ハムスターに注射すると「やられたっ!」という表情をする。そのため、罪悪寒を覚える。
 このあたりが表情の進化の分岐点だろうと、勝手に思っている。

 つまり顔は表情によって、敵意や好意といった感情を伝える、あるいは擬装する機能を与えられたのだ。 
 だから人は他者の顔に敏感になり、別の風景に顔を感じたりする。

 今や日本では、物心ついてから屋外でマスク顔しか見たことのない子たちが、就学年齢になる。
 人の表情から感情を読み取ったり、恋愛感情を抱いたりできるのだろうか、と心配になる。

 恋愛機会の減少による少子化は、現在は徐々に進行しているが、ある時点から急激に転がり落ちるスタンピードを招くだろう。
 小松左京や筒井康隆のような天才でさえ、予想しえなかった滅亡パターンを迎えるわけだ。

 それとも人は顔より中身が大事、という理想的社会もしくは偽善的社会に成熟するのだろうか?

 いや、そうはならないだろう。
 人は中身が大事、と取って付けたような結論にミスリードされようと、北川景子サンや石原さとみちゃんに求愛されたら、中身なんてどうでもいい、と言い切る自信が私にはある。
「ナンバーワンよりオンリーワン」と唄ったところで、花屋の店先に並んだ花たちは、品種改良されたあげく悪い虫がつかないよう育てられた、選ばれし者たちだ。
 だからこそ好かれるのだ。

#科学 #顔 #表情 #パレイドリア #エッセイ #創作



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