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【ホラー小説】黒衣聖母の棺(5)

(同一テーマで、ミステリ仕立てにした小説を公開中です。「【密室殺人】黒衣の聖母」) 

(あらすじ)豊後の国が大友氏の領地だった時代、沖にある馬飼い島(魔界島)に、異国の難破船が漂着する。
 島に立ち寄っていた十兵衛は、血抜きされたような異様な乗組員の遺体を検分した。
 そのころ島の娘、いさなは自分だけが知っていた洞窟で、異人の男に出会い、その男が守っていた棺のなかに、黒衣の少女を見た。
 府内で宣教師に育てられ、受洗してジョアンという名を授かった久次郎は、浜長(はまおさ)のトヨに呼び出された。
 トヨは秘かに生き残りの異人を匿っていた。彼女は難病の孫を救うため、異人の信仰する異教にすがろうとし、久次郎に助力を求めた。
 トヨに呼び出されて、その屋敷に参じる久次郎と十兵衛は、扉に心張り棒を噛ましてあった蔵の中で、こときれているトヨを発見した。
 府内から破船の検分のため、代官らの一行が島に到着した。
 久次郎や十兵衛も駆り出され難破船に乗り込んだ結果、生き残りはいなかった。
 十兵衛は船内で、黒い聖母の異様な気配を感じ取った。

(承前)
 はっ、はっ、と荒い息がその口から漏れている。牙の生えた口の端から、だらだらと涎が垂れていた。
 さほど大きな犬ではない。
 肩の高さが二尺くらいだろうか。だが、その光る目、紅い舌は獄門の守り神のようだ。

 夜も更けており、大声を出してもたれにも届くまい。
 勧めに応じて、宗右衛門屋敷に泊まればよかった。林の中で、後悔と恐怖でうずくまる久次郎の目の前を、何ものかが遮った。
「いい子じゃの」
 十兵衛が抜刀もせず、一本の竹棹を持って飄々と進み出た。惑乱した犬でさえ、とまどうような自然さだった。
 犬は低く唸り十兵衛が間合いに入るや、飛びかかった。

 久次郎は思わず目を閉じた。
 次の瞬間、十兵衛は犬の頭を軽くぽん、と打ったように見えた。驚いたことにただそれだけで、犬は舌を出し、軽く痙攣しながら倒れた。
「かような犬を相手に、何をやろうとしていたのじゃ?」
 十兵衛が、呆れたように言った。

 舌をだらりと出したまま果てた犬を検分し、
「瘋狗(狂犬)じゃな。実物は初めて見るが、唐より来たりし犬から伝わった病と聞く」気がかりな様子で久次郎に訊いた。「噛まれはすまいな?」
 久次郎はとっさに、右手をかばった。

「咬まれると、どうなります?」
「人にも感染る。やがて水をば畏れるようになり、死に至る。
「どのくらいで、そうなるのですか?」
「わからぬな。咬まれてからも、症状を発せずに天寿を全うした者もおるやに聞く一方、ほんのかすり傷でも翌日には病になった者もおるそうな。
こればかりは、運まかせのようじゃ」
「直す方法はないのですか?」
「唐にては高僧が己の血を塗りつけて直したなどと聞くがの」十兵衛は一笑に付した。「眉唾じゃ。当てにならぬわ」

 久次郎は暗い顔つきで考え込んでいた。

 蒸し暑い島の夜は、寝苦しい。
 いさなは、蚊がたかるのを払いながらしきりに寝返りを打っていたが、そのうち眠気が勝ってうとうとし始めた。
 天鵞絨の敷物に包まれた美しい少女の死骸が、眼前に現れる。黒衣の聖母。夢とわかっていながら見る夢。

 ちろちろと紅い舌を這わせながら手招きする。唾液が口元を伝うのが見える。
 夢とうつつの狭間を彷徨ういさなは、実際に誰かがのしかかってくるのに気づいた。
 粗末な陋屋は、たれでも出入りができる。

 自分のような醜いおんなのところへも夜這ってくる男もいる。
 黙って受け入れるか、金を取って受け入れるか、金を積まれても叩き出すか、相手によって決めることにしていた。
「叩き出す」に相当する、白蓮の貧相な貌が間近にあった。
「久しぶりじゃの」
 熱い息を吐きかけてくるのが、鬱陶しかった。

 憎悪に鈍く光るいさなの視線にも無頓着に、下半身をむき出しに迫る白蓮の姿に、かっとなった。
「この、生臭坊主めが」
「ご挨拶じゃな。おまえの破瓜を果たしてやった我の恩を忘れたか」
「何も知らなかった小娘の頃とは違うぞ。この外道」
「礼をわきまえぬ身の程知らずが」

 いさなは上になった相手を振り払うと、腕を逆手にねじり上げた。
 白蓮は恥も外聞もなく、悲鳴を上げながら、「言うことが聞けねば、おまえの出自をばらしてくれようぞ」
「この島のものは、いずれもが流されし先祖の裔じゃで、境遇も似たようなものぞ。我の出自など、みな知っておるわ」
「ならば、トヨが害されし日のことはどうじゃ?」

 いさなは、はっとして手を離した。
「痛いのう」白蓮は大仰に貌をしかめ、好色そうな相貌をくずしていさなの肌着に手を掛けた。「どれ、いかほどに熟したか看てしんぜよう」
 薄暗い部屋の中、ぎしぎしと普請の揺れる音だけが響いている。

 貧弱な白蓮が大柄ないさなを組み敷いて、乳房に取り付いているさまは、滑稽でもあり、悲惨でもある。
「どうじゃ。どうじゃ」
 汗にまみれて腰を振る白蓮に対し、いさなは目を閉じてひたすら屈辱に耐えていた。
 日に焼けたいさなの太股を唾液が濡らし、やがて白蓮はいさなの上で果てた。

「わぬしが我に逆らえば、どうなるかわかっていようの?」
 白蓮は、念を押すように言った。
 いさなは、燃えるような憎悪のまなざしを白蓮に注ぐのみで、何一つ言い返さなかった。
「破瓜のときも涙ひとつ見せなかったの。情の強(こわ)いおなごよ」
 そう言い残すと、そそくさと去って行った。

 白蓮は、夜道に出るといさなからくすねた”くるす”を月明かりにかざした。
「穢らわしき異教の法具じゃが、異国の魔物を調伏するには役に立つというものよ。みな、我が法力を見直すことになろうぞ」
 くるすは鈍い光を放った。

          *

 朝の光の中で牢屋の格子が、鈍い光を放った。罪人を幽閉しておく島牢は村はずれにあり、長く使われたことはない。
 十兵衛が訪ねたとき、仙吉は二間四方の狭い土間の中で肘をついて横になっていた。
 内部には用を足すための溝があるのみで、悪臭が漂っている。水を入れた小さな手桶が壁際に置かれていた。

 うっそりと貌だけ振り向いた仙吉は、狡猾そうな表情が少しやつれたかに見えた。
「なんの用じゃ? 知っておることはもう話したぞ」
「したが、すべてを吐いたわけではあるまい」
 十兵衛は、錆びた鉄の格子に手を掛けながら尋ねた。
「蔵の抜け穴のことは、本当に知っておったのか?」
「知っておったわ」

 ふて腐れたように答えを返してきた。
 田原宗悦は、この抜け穴の存在を知っていた者が下手人だと断じた。そして家人のたれもが知らぬというなか、トヨの信頼が篤かった仙吉のみがこれを知っていた可能性を指摘した。
「何故に、仙吉めはトヨ女を害したのでしょうか?」
「それは、彼奴が所行を白状した後、吐かせればよい。

 側近くにおればこそ、感情の行き違いもあるものじゃて。まさかトヨ女の歳にて色恋沙汰の果てもあるまいが、それもなかったとは言えぬ。
 しかれど、もっともありそうなのは、そうじゃな」
 少し考えて言い足した。
「彼奴めは、浜長屋敷の出納を任されていたというではないか。幾許かの金銭を着服し、それが発覚したのではあるまいかの」

 宗悦の、多分に想像の混じった疑念に対し、仙吉は申し開きしなかった。しかし罪を認めるでもなく、ために今牢屋に押し込められている。
「あの抜け道は使われておらぬ。小金蜘蛛の巣があったでな。巣を作り直すには、二刻はかかる。つまり、あの道を通った者はおらぬ」
 抜け穴は、十兵衛自身が通って内部を確認した。

 あの夜、皆が尻込みするなか、十兵衛はするすると縄を伝って抜け穴のなかに降りた。
 穴は二間ほどで底になり、人ひとりがやっと通れるくらいの横穴が穿たれている。
「たれか、明かりをもたぬか?」
 気の利いた者が、上から雪洞を降ろしてきた。
 十兵衛は明かりを翳して横穴の中を検めたが、けっこう深いことがわかるのみで先は見通せなかった。

 横穴の床は荒らされた痕跡がなく、
――やはり、たれも通った者はおらぬ。との確信を深めた。
 中に入るのは躊躇されたが、ままよ、とばかりに腰をかがめて入っていった。
 穴の径は三尺ていどで、這っていけば通ることはできる。
 天井が補強されておらぬため、崩れる畏れがあったが中は乾いて排水はされているようだ。

 どれほど進んだか。
 後ろの方で十兵衛の名を呼ばわるのに、ときおり答えながら匍匐していくと、突然行き止まりとなり、上が開けた。足がかりとなる窪みが穿ってあり、足を掛けて昇るとどうやら堂宇の中と思える場所に出た。
 雪洞を翳すとどうやら一間四方くらいの狭い堂で、小さな石造りの馬が置いてある。
 おーい! 大声を上げる。
 たれかが外から堂宇の扉を開いた。
「十兵衛殿、どうしてここへ?」

「あの抜け穴は結局、邸内で馬を奉っておる小さな堂宇へ通じておった。この島はただしくは馬飼い島というだけあって、浜役は心死んだ馬の供養をも執り行っておったようじゃな。
 昔日、良馬を産するのがこの島の主たる役目じゃった頃には、むしろそちらのほうが大事じゃったそうな。今では小さな堂宇で、ささやかに奉っておるに過ぎぬがの。
 抜け穴は先々代が母屋に繋げようとしておったが、途中まで掘って止めたと聞いておる」

 海の賊が跋扈していた時代に、避難用に掘られたものらしい。
「近々にあの穴をば通った者はおらぬ、と田原様に申し上げたのだが」
 十兵衛の言葉に、宗悦は聞く耳をもたなかった。
「では、ほかにどうやって下手人は蔵のなかに出入りしたというのじゃ?」  
 そう言われると、返す言葉がなかった。しかし、
「蔵が余人を持って出入りできぬ状況のみではなく、いくつかの疑問があるのじゃ」

 そも下手人は何故に内側から心張り棒をかまして、現場を密室にした? 仙吉が下手人なれば、他の者が手を下す可能性を排除するかような造作は、己を不利にするのみであろうに。
 また下手人はなぜ凶器を隠した?
 なぜトヨ殿をば害したのか?
 田原殿が追求しなかった、「なぜ」こそが謎を解く鍵のような気がする。と十兵衛は思った。

 さらに、なぜこの男は罪を被ろうとする? 十兵衛は仙吉をまじまじと見た。
「無実の罪にて、処されるつもりか?」
 仙吉は、ふて腐れたように言った。
「迷惑をかける係累もない。大女将様に拾われた身じゃでな。
 無念なるは、大女将様の残された宗右衛門家の行く末を守ることができぬことのみじゃ」

 十兵衛は、仙吉が意外な忠誠心のようなものを抱いていることを知った。
 その指に目を留めると、女のように綺麗だった手が土に汚れ、爪の間に黒いものが入っている。
「大人しく押し込められているわけでもないようだの」
 それまで、ふて腐れた態度を通していた仙吉が、体ごと振り返るや色をなして何かを言おうとする。
 十兵衛は相手の言葉を遮った。
「勘違いすな。なにも言わぬ」そして、顔を近づけて尋ねた。「助けてやれるかもしれぬ。そのため、教えて欲しいことがあるのじゃ」

 島で唯一の寺である招福寺まで歩いて半刻、陽が高くなり、蝉が鳴く木陰がありがたく感じられる。
 寺は島の中央にある名なき山の中腹にあり、他の宗派と異なって”自力本願”を完全に排さなかったことから、海の賊との争いが多かった先の代に栄えた。
 この島では「山」と言わば、このお山を指すため、島人は名を必要としなかったらしい。その意味では寺の名も必要ないと言える。
「招福寺」などと呼ぶと、却って村人には馴染みが薄いようで、きょとんとした顔をされる。

 蝉がうるさい石段を登って、十兵衛が総門で案内を乞うと、出迎えた僧形の若い男は義圓と申しまする、と名乗った。
 住持である白蓮などよりは、よほど身なりもきちんとしている。
「兄者はあのようなお方にて」
 不在を詫びる義圓に、「白蓮殿の弟君か」

 そう言われれば、貧弱な体つきなどが白蓮に似ており、これでは木刀ひとつ振れまいな、と十兵衛は値踏みした。
 しかし、その眼差しは鋭く、はるかに大きな野心を抱いているように感じられた。
「兄は白蓮などと称しておりますが、本来不義と申すが真の名にてござります」
「法華の寺にて白蓮とは、大胆なことよの」

 法華の原義が”浄き白蓮華”であることを皮肉ると、この弟はにやりとした。
 此奴、存外に油断ならぬ、と十兵衛は思った。
 境内には玉砂利が敷き詰めてあったが、掃除が行き届いておらず、至るところに枯れ葉や水たまりがあった。
 奥の院の横手に三間四方程度の庫裏があり、書物倉を兼ねているらしい。調べ物をしたいのじゃが、と申し出ると案外簡単にこのよそ者に開放してくれた。

 訶梨体母なる異国の神を、トヨ殿はいずこにて学んだか、と仙吉に尋ねたところ、「招福寺にて訊くがよかろう」と面倒くさそうに答えたのだ。
「先代の住持であった海門師が亡くなられてから、手入れもされておりませぬが」
 と断った上、調べ物でわかったことを教えて欲しい、と義圓は言った。

 庫裏の中は蜘蛛の巣が張り、黴の臭い、根住(ネズミ)の死骸の臭いが混ざり、手入れしていない、との言葉が謙遜ではないことを伺わせた。
 数段に渡ってもうけられた棚に収められた書物類は多種多様で、かような鄙にある書庫とは思えなかった。
 しかし、その書物も今は顧みられることなく、紙魚や日焼けで荒れるに任されているようだ。

 一冊の書物、一軸の巻物を手に取るたび埃が舞い上がり、鼻の奥がむずがゆくなる。紙は変色し、至る所穴が開いている。陰干しなどされていないのだろう。
 それでも書棚は整理され、どこに何が置かれているのか規則性があるようだった。
 十兵衛は棚の間を逍遥するうち、奥の板壁に一カ所、色が変わっている部分があることに気づいた。

「隠し戸棚か」
 隠し細工が多いのう、この島は。魔界島というだけのことはある。と妙な感心をしてしまう。
 何年も動かされた形跡がないその部分は、横に開けると空洞になっていて二尺四方の空間があったが、中には何も入っていなかった。
 十兵衛はしばらく思案し、あれこれ触るうち寄せ木細工のように右側を引き寄せることができることに気づいた。もし何ものかがこの細工に気づいても、一度だけならば中は空かと思わせる工夫のようだ。

 さらにその中が空であっても此度はがっかりせず、奥を手前に引き寄せた後、上部を下に下ろし、開いた空間に左側を引き寄せた。
 すると、それまでと違って重い感触があり、中に葦簀で編んだ小さな行李があった。
 行李には小さな錠前がついていたが、錆びており簡単に壊すことができた。
「申し訳ござらぬ」
 故人が、こうまでして隠していたものに目を通すことを詫びた。

 十兵衛は日が傾くまで、中にあった書物を読みふけった。
「中は竹じゃ」
 不意に十兵衛が声を上げた。
 たれかが書棚の影から棒を使って、立てかけてあった大小をそっと引き寄せようとしている。
「金にはならぬぞ」
 悪戯を見つけられた子どものように、いさなが顔を出した。

「ここの書物は、我が育ての親たる海門和尚が集めたものじゃで」大柄な娘は悪びれずに言った。「ウチが、閲覧の代を頂いてもよかろうに」
 十兵衛は苦笑した。
「いさなはここで育ったのか?」
「おおさ、あの柿の木に登って、よく怒られたものじゃ」
 庫裏から見える老木を指さして言った。いさなが子どもの頃は、あの木も若かったに違いない。

「秋から冬には柿を吊して、渋みを抜いたものじゃ」
 十兵衛の故郷では普通にあった甘い柿の木は、この島にはまだないらしい。
「楽しかったか?」
 いさなの顔が曇った。しかし明るい表情で、
「このように醜く生まれついたで、よくいじめられたものじゃ」と言った。 
 十兵衛は不思議そうな顔をしたが、話題を転じた。

「いかなるお人じゃった? 海門殿は」
「大きなお方じゃ」
「大きな、とは?」
「心根も体も」
 十兵衛の肩越しに、無遠慮にのぞき込む。
「何を調べておる?」
「トヨ殿が宗旨の訶梨帝母と申される神のことを。天竺より伝えられしものかと思うてな」

 女ながらにこの寺で読み書きを習得した子どもの頃のトヨは、海門和尚が徒然なるままに話す異国の神について聞きかじり、己が教理を組み立てたらしい。
 乞われるままに天竺の神々について語っていた海門は、トヨの解釈が思わぬ方向へ転じているのに途中で気づいたようだ。

「何かわかったか?」
「恐ろしき神じゃな。訶梨帝母とは」
 本朝では「鬼子母神」との音が当てられる訶梨帝母、「ハーリティ」は夜叉にして女神であり、天竺にて毘沙門天の配下の将が妻でありながら他人の子を捕らえて食べてしまうがため、釈迦が罰した。
 その罰とは、彼女が愛していた愛双児を隠して子を喪う母の気持ちを悟らせる、というものであり、改心した彼女は子どもの守り神となった。

 トヨが愛孫、茂作の快癒をこの神に託したはそのためであろうか。
「十兵衛は行ったことがあるのか? 天竺へ」
「まさか、天竺へなど行けるわけがなかろう」
「したが、諸国を巡っているのであろう。頼む。ウチをば供に連れて行ってくれぬか」
 懇願するような口調に変わり、にじり寄った。
「ここから、この島からウチを連れ出してくれぬか」

 その真剣さに、十兵衛は驚いた。「いったい、どうした?」
「もう、何もかもが嫌じゃ。何でもするによって」
 しがみつくいさなの、大柄で筋肉質にみえる体の意外な柔らかさに、十兵衛はたじろいだ。
 いさなは、しがみついたまま唇を寄せてくる。空を写したようなその瞳に涙が溜まっていることに気づいて、十兵衛の自制が崩れた。

「目当てのものは、見つかりましたかな?」
 西空が朱を射す頃合いとなって、義圓が顔をのぞかせた。
「それがな」十兵衛が応じた。「トヨ殿が信心の根を探しておるが、一向にわからぬ」
「そうでしたか」
 義圓は乱雑に引き出された書物の山に顔をしかめ、元の場所に戻しておくよう言い残して母屋へと姿を消した。

「彼奴め、狡猾なる性を持つ者ぞ」
 書棚の陰に隠れていたいさなが、やや上気した顔に憎しみを込めて言った。
「わかっておる」十兵衛が頷いた。「久次郎殿の教会にても見たことがある。信心ではなく、伴天連の宗旨や知識を仕入れるためであろう。
 兄である白蓮など、あ奴に操られておるに過ぎぬ」
「奴らが兄弟にて流れてきたときから、悪夢が始まったわ」
 いさなが、燃えるような目で言った。
「いずれ、あの弟めが表に立って動き出すであろうよ」
 十兵衛は、うっそりとした顔つきで答えた。
【ホラー小説】黒衣聖母の棺(6)に続く)

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