見出し画像

【ホラー小説】黒衣聖母の棺(10)

(同一テーマで、ミステリ仕立てにした小説を公開中です。「【密室殺人】黒衣の聖母」) 

(あらすじ)豊後の国が大友氏の領地だった時代、沖にある馬飼い島(魔界島)に、異国の難破船が漂着する。島に立ち寄っていた十兵衛は、血抜きされたような異様な乗組員の遺体を検分した。
 そのころ島の娘、いさなは自分だけが知っていた洞窟で、異人の男に出会い、その男が守っていた棺のなかに、黒衣の少女を見た。
 府内で宣教師に育てられ、受洗してジョアンという名を授かった久次郎は、浜長(はまおさ)のトヨに呼び出された。トヨは秘かに生き残りの異人を匿っていた。彼女は難病の孫を救うため、異人の信仰する異教にすがろうとし、久次郎に助力を求めた。
 トヨに呼び出されて、その屋敷に参じる久次郎と十兵衛は、扉に心張り棒を噛ましてあった蔵の中で、こときれているトヨを発見した。
 府内から破船の検分のため、代官田原宗悦らの一行が島に到着した。
 久次郎や十兵衛も駆り出され難破船に乗り込んだ結果、生き残りはいなかった。十兵衛は船内で、黒い聖母の異様な気配を感じ取った。
 代官田原宗悦は、抜け穴の存在を知っていた仙吉をトヨ殺しの下手人として牢に繋いだ。十兵衛はトヨの邪教の根を探るため、招福寺を訪ねて白蓮の弟である義圓に出会う。
 台風が迫るなか、白蓮は浜長の屋敷から黒衣聖母の棺を強奪し、島の山頂にある城跡に運んで調伏の儀式を始める。白蓮は逆に、聖母に取り憑いた魔物の餌食になる。聖水の力でなんとか魔物を退けた十兵衛と久次郎。
 翌朝、難破船の帆柱が折れるのを見張りが目撃する。十兵衛を入れた一行が難破船の検分を行い、帆柱に白蓮の遺骸が吊されているのを確認した。
 島人を扇動して浜長の屋敷に押しかけた義圓を、検分吏は武力で鎮圧する。
 いっぽう十兵衛は、さるふぃあが処方した薬は阿片であることを見抜き、いっとき快癒した茂作が急逝した理由を解き明かしてみせた。
 義圓にそそのかされた村人たちが、異人の引き渡しを求めて浜長の屋敷に押し寄せてきた。異人はすでに脱出していたため、引き渡しを拒む検分吏ら屋敷内の人々と、村人の争乱に発展する。
 村人が使う弩弓によって籠城した人々は窮地に立つが、牢抜けをした仙吉によって助けられる。さらに十兵衛が種子島筒(鉄砲)により、首謀者の義圓を狙撃したため、村人勢は崩れ去った。

(承前)
 村人が逃げ散ったあとには、二人の遺体と共に動けなくなっている重傷者が三人ばかり置き去りにされていた。
「この騒ぎも、義圓めが扇動したせいじゃ」
「あ奴はいったい、どこに行った?」

 種子島を被弾した義圓は、気絶はしたものの鉢金のおかげで絶命は免れたようだ。
 檀家の村人が助けて、いずこかに姿をくらましたらしい。
「山狩りをしてでも引っ捕らえい」
 宗悦は息巻いたが、そのような余力はなかった。義圓の行方は、さるふぃと同じく見当がつかなかった。

「破船が流れ着いてからというもの、ろくな事が起こらぬわ」
 加平がこぼした。
「この島の住人は、みな互いに家族のようなものじゃで。此度の争いごとが、のちのちの禍根にならねばよいが」
 久次郎は十兵衛に向かって懸念を吐露した。

 ヒサノは置き去りになっていた重傷者の手当などを、てきぱきと手代に指示を与えている。
「怪我をしている者はほかにもおりましょう。お屋敷にて手当しますゆえ、遠慮せずに来るよう呼びかけてもらえませぬか」
 ヒサノはさらに、屋敷の前に大鍋を据えさせ、炊き出しを始めるように言った。雑穀に加えて、貴重な米も蔵から放出させた。

「御義母様が、海の賊とのいくさに備えて備蓄した米じゃとて、よいのじゃ」ヒサノは笑いながら言った。「海の賊などもうおりませぬ。くたばった者よりも、生きている者のことを考えよ」
 これまでの彼女からは考えれない物言いに驚いた顔をした女中に向かって、ヒサノは破顔した。

 鍋のにおいにつられた村人が、ひとり、ふたりと、最初は悪戯をした子どものように顔色を伺いながら現れた。
 東の空がうっすらと白み始めることになると、そちこちで談笑する村人に、田原の近習が加わっての姿も見られるようになった。
「杞憂じゃったな。立派な浜長の誕生じゃ」十兵衛は、久次郎の肩を叩いた。

 そのとき、久次郎が沖を指さして言った。
「破船に舟が近づいている」
 朝日を受け、聖母を大切そうに抱いたさるふぃを載せた短艇の櫓を、いさなが漕いでいるのが見えた。

「この破船に乗り込むのも、三度目じゃな」
 十兵衛は、感慨深気に言った。
 来るたびに甲板の傾きがひどくなっている。傾いた帆柱に引っかかっている帆布が、はたはたと風に音を立てていた。
 商船旗はちぎれ、いすこかへ飛び去っている。

 十兵衛が降ろした縄ばしごを伝って、久次郎が昇ってきた。
「また、いちだんとひどい臭いじゃ」
 腐敗が進んでいる艦内の様子に、顔をしかめた。
「来てくれと頼うだ覚えはないぞ」
「この破船にはまだ、魍魎が渦巻いておる。癪伏するはぱーどれの勤めじゃで」
 言葉とは裏腹に蒼白な顔をしていた。

「いずれ、死骸をすべて回収して供養してやらねばならぬな」
 ざぶり、ぎりり。
 ざぶり、ざぶり、ぎりり、ぎりり。
 波が当たるたびに、船が揺れる。黒い雲の動きが速い。

 さるふぃらが乗っていた短艇が舷側に付けてあり、波があたるたびにゴン、ゴンと船にぶつかる音を立てた。
「さて、さるふぃはいずこに」
 今、争いの元となった異人に出てきてもらっては困る。
 それが宗悦らの正直な思いだった。守護の大友氏は南蛮文化に入れ込んでおり、検分吏らの役割は南蛮人の生き残りの保護にもあった。

「御身らで、異人をば破船に匿っておいてくれぬか」
 宗悦は難事を十兵衛と久次郎に託したのだ。
 中央の帆柱が折れ曲がったところに留まっていた烏が不意に飛び立ち、久次郎はその羽音にびくりとした。
 十兵衛は後部甲板から、船底の客室に通じる階段に向かった。

 薄暗い船底は悪臭がこもっており、蠅がうるさく舞っている。
 ときおり強い波がぶつかると船はみしりと気味の悪い音を立て、十兵衛に続く久次郎は口を押さえた。
 後部船室の扉が開いている。
「いさな!」
 十兵衛が声を掛けた。

 薄暗い船室の片隅の床にさるふぃが大きな体を横たえ、その脇には聖母、いまは邪悪な存在が去った人形のようなろざりあの亡骸があった。
 いさなは神妙な顔つきで横に控えていた。
「大丈夫じゃ。害はなさぬ」
 さるふぃは一瞬顔を上げて十兵衛らを見たが、興味が失せたかのようにまた静かに横たわった。
 息づかいが荒く、呼吸と共にひゅー、ひゅーという音が漏れる。

 さるふぃ自身も病に蝕まれているようだった。
「静かに最後のときを迎えたいらしい」
 いさなが言った。愛していた妻の傍らで静かに息を引き取るのが望みのようじゃ。
「よく、わかったな。言葉も知らぬのに」
「なんとなくな」

 ひゅー、という苦しそうな音が高くなる。
「喉が乾いておるのか? 真水があればよいのじゃが」
「甲板に雨水を貯める桶があった」
 いさなが腰軽に立ち上がった。

「水汲みは我が仕事じゃ」
 久次郎が、さるふぃに向かって話しかけたが、巨漢の異人は静かに首を振った。

「なんと?」
「なにか言い残しておくことはないか、告晦はないか、と尋ねた」
 そうか。十兵衛は頷いた。
 自分は最後の時、悔いのない終わりをむかえることができるだろうか、とふと思った。

「いさなは遅いの。なにをしておる」
 久次郎が言ったとき、背後に足音がした。
「遅いぞ。なにを・・・・・・」
 振り返って、異常に気づく。
「義圓!」
 いさなを後ろ手に縛り、首筋に刃物をあてがった義圓がいた。大柄ないさなの背後に立つと、その姿はまったく見えなくなる。

「どうやって、ここまで来た?」
 十兵衛の問いに、いさなの背後から用心深く答える。
「昨晩のうちにな。舟は着くや流されてしまったが」
 前に出ようとする十兵衛を制して言った。
「この小刀には附子の毒が仕込んである。少しでも傷が付けば死に至るぞ」

 久次郎が思わず右手を押さえる。瘋狗に咬まれた傷跡は赤く腫れていた。
「相変わらず、卑怯な手立ては万全じゃな」
 十兵衛の挑発にも、冷然と笑い返した。その目は血走っているが、言葉は静かだった。
「異人とこの女をば始末できれば本望じゃで」

 十兵衛が不審な顔をする。
「いさなもか? 附子の毒。なるほどの」納得した顔つきで言った。「汝は種々(くさぐさ)の者だったか。それゆえ、あれほどまでに大人しき島人を扇動して異人の排斥に働いたのか」
「この女も早めに始末したかったが、兄者が執着してな。あんな男でも我が兄ゆえ」

「なんの話じゃ?」久次郎が割って入る。
「どうでもよい。立つよう異人に言え」苛立ったように義圓がせかした。「こちらに来るように伝えるのじゃ」
 さるふぃはわかったというように頷き、のっそりと立ち上がる。
「いかん。来てはいかぬ」いさなが叫ぶ。

「よけいな事をば、言うでない」
 義圓がいさなの喉元に当てた小刀に力を込めた。
 ゆらりと立ち上がったさるふぃが、ゆっくりと義圓といさなのほうに向かう。天井につかえるような身の丈から見下ろす視線に、義圓は思わずたじろいだ。

「情けないな。義圓よ」
 心底を見透かされ、貧弱な坊主は吠えた。
「よけいな事を言うな!」
 そのとき、一段と大きな波が当たって艦が大きく傾いた。よろける隙にいさなが義圓に体を当て、廊下に倒れ込む。

 義圓がかろうじて上体を起こしたとき、さるふぃが咆吼を上げて襲いかかった。
 義圓は恐怖に顔をひきつらせて、小刀を構える。
 久次郎は自分の体をささえるのが精一杯で、次の瞬間に起こったできごとがわからなかった。
 気づくと義圓とさるふぃの間に入ったいさなと、さるふぃに首を締め付けられ、青ぶくれした顔に目が飛び出したように見開いている義圓の姿が目に入った。

 床に倒れ伏すいさなに十兵衛が駆け寄ると、着物の脇腹を切り裂き、刺さっていた小刀を抜いて口をあてた。
「毒を吸い出す。少し痛いが我慢せよ」
 いさなは苦痛のうめきを上げる。十兵衛は傷から血を吸うとぺっ、と吐き出しながら、毒抜きを繰り返した。

「もう、よい。さるふぃ。もう手を放すのじゃ」
 久次郎は、必死でさるふぃに話しかける。
 しばらくしてやっと平静さを取り戻したさるふぃが手を放したときには、義圓の首はあらぬ方向に曲がり、股間から尿が漏れていた。
「もう、大丈夫じゃ」

 十兵衛は青白い顔をしたいさなの背中をさすっていた。
「案ずることはない」
「刺されたのか?」
 久次郎が問う。
 さるふぃがかがみ込み、大きな手でいさなの患部を看た。十兵衛の手早い処置にもかかわらず、脇腹から変色が始まっていた。

 老いた薬師は痛ましそうにいさなを見やり、なにか言った。その目に浮かぶ悲しみの色が状況を物語っていた。
「気にせずともよい。ウチが勝手にやったことじゃ」
 いさなは、まるで相手の言葉がわかったかのように答え、さるふぃもそれを聴くとこっくりと頷いた。

 さるふぃは荒い息を整えながら船倉に向かった。
 引き返してきたときには、小さな樽をその手に抱えていた。それをゆっくりと船室に運び込むと、力が尽きたかのように妻の亡骸の側に横になった。
 さるふぃは妻を愛しそうに抱き締めた。

 もう、行ってくれ。その目が語っていた。
「そうか。濡れておらぬ火薬がまだあったか」
 十兵衛がさるふぃに向かって言った。「さらばじゃ」
 南蛮より来たりし老薬師は、再び頷いた。

 波が高く、漕ぎ出すには難儀したが、なんとか三人は破船を離れることができた。
 久次郎は舟頭でふさぎ込んでいた。
 教えに背き、自ら命を絶とうとしている異国人になにも諭すことができなかった。あの悲しみをたたえた目をした異邦人の力になれなかった。

 十兵衛もまたうつろな顔つきで、ひたすら漕ぐことに専念していた。舟が浜に近づいたとき、強風を突いて背後から爆発音が響いた。
 最初、それは腹にずんとくるような、こもった音となって伝わってきた。続いて破船の後部が吹き飛び、炎が赤々と吹き出した。
 巨大な艦は船尾が舞い上がり、逆に全部が前のめりにくの字を描いた。

 帆柱は激しく揺れて海に没し、それに続くように艦本体が傾いていた沖の方に倒れていく。
 浜では爆発に驚いた村人が大勢駆けつけて、なにやらわめいている。
 最初の爆発で起こった高波が第一波となって、十兵衛らの舟を襲った。十兵衛は舟底に伏せるいさなに覆い被さるようにして身を低くし、飛沫から彼女を守ると同時に転覆しないよう安定させた。

 第二波は、巨大な艦が海中に没するときに生じた渦巻きから引き起こされた。小舟は、木の葉のように波にもてあそばれた。
 久次郎は底に這いつくばって、必死に祈りを唱えた。
 爆発で空中に飛んだ船体の一部が、舟にまで降ってきた。帆の切れ端が燃えながら舞っている。

 激しい渦の中へ没してゆく南蛮船は、炎と水にさいなまれながら煉獄に墜ちゆくように見えた。
 葡萄牙(ぽるとがる)商船ゼーランド号は、来たときと同じく唐突にその姿を消していった。

 村人の集まっている浜を避け、裏手の網浦に舟をつけた。いさながよく貝を獲っていた岩の多い海岸だ。
 久次郎が言った。
「わが教会へ来られよ」
 十兵衛が大柄ないさなを抱き上げ、久次郎の苫屋へと向かった。

 強い雨風のため教会の筵は吹き飛び、肋が突き出たような骨組みが露出していたが、それでも倒れることなく建っており、久次郎は感謝の祈りを口ずさんでいた。
 礼拝堂として使っている土間には、聖母の棺が城跡から運ばれていた。
「儂は、奥の間で祈りを捧げておるで」
 久次郎はそう言って奥へと消えた。

 十兵衛はいさなの着物をはだけ、脇腹の傷を検めた。血が膏薬を覆って赤黒く染まっている。
 道々拾った血止草をすりつぶして傷に当てた。
 いさなは呼吸が速く、汗が噴き出していた。
 十兵衛は濡らした手ぬぐいを顔に当て、汗を拭いてやった。

「なぜ、ここまで浜長や異人に尽くした? わぬしは村にも浜長にも異人にも義理はあるまい。早々に逃げておればよかったのに」
「確かに、らしくないな」
 いさなは苦笑した。
「ヒサノ様にな」苦しい息づかいながら、しっかりとした口調で言った。「ヒサノ様に手を取られて言われたのじゃ」

 毒が回るのが速い。ただの附子ではなく特別な処方だったか、とほぞを咬んだ。
 十兵衛は、いさなの命脈が急速に尽きようとしているのを感じた。
「逃げよ。この屋敷と命を共にすることはない、と」
 いさなは目を閉じた。

「ヒサノ様は姑であるトヨ殿が憎かったらしい。自分に辛くあたることが、ではなく可愛い子どもの茂作と引き離され、トヨ殿が教育を行うことにしたからじゃ。じゃによって・・・・・・」
 いさなは一息ついた。
「じゃによって、トヨ殿が信心する訶梨帝母神の形代の中味を抜いておいた」

 トヨ殿が訶梨帝母さまの勘気に触れ、亡くなったのはそのせいじゃ、と思い込んでおられた。さらに茂作様まで亡くなったのは、そのようなことをした自身への報いなのじゃとも。
 ウチが旦那様のためにしておったこともご存じのはずじゃ。憎いはずのウチに逃げよ、と申された。

「じゃによって、逃げるわけにいかなくなった」
 十兵衛は苦笑した。不覚にも涙がこぼれそうになった。
「あの異人もこんな異国には来たくなかったであろう。さぞや寂しかったであろう。そう思うとかわいそうでならぬ」
 それで思わずかばったのか。

「トヨ殿を害したのは、わぬしじゃな?」
 いさなは、何か言いかけて咳き込んだ。
「言わずともよい。トヨ殿は、わぬしを生け贄に捧げようとしたのだろう?」
 返事を聞かずに続ける。
「海門和尚の書物蔵にあった。訶梨帝母とは、我が子のため他人の子を喰らう神だそうな。
 トヨ殿は、己が信ずる神との約定を確かなものにするため、わぬしを捧げようとしておった」

 いさなが涙をこぼしたのは、痛みのためか彼の出来事を思い出したためか。
「仙吉めもそれを知っておった。
 やつはわぬしを人でなく、捧げ物じゃと信じ込もうとしておった。そう思わねば、主が人殺しになってしまうでの。
 そのため、証言したのじゃ。『トヨ殿はひとりで蔵に参った』と」

 いさなは静かにそれを肯定した。
「仙吉が自ら無実の罪を得ても沈黙を守ったは、わぬしに対するあの男なりの詫びかもしれぬ。
 生け贄に捧げられると知りつつ、看過した。あの男はわぬしがトヨ殿を害したことも察していたろうがあえて言わず、自身が罪を被ったのじゃ」

「生まれてこの方、人並みに扱われたことはない」
 いさなの淡く青みがかった瞳から、涙がこぼれた。
「父御は、鯨を獲る船に乗っていて流れ着いた異人じゃ、と聞いておる」「それで、”いさな”か」
 十兵衛は納得した。

「のう、十間もの長さのある魚がほんとうにおるのか?」
「ほんとうじゃ」
「そうか」
 いさなは嬉しそうにした。
「父御が異人故かような醜い姿(なり)に生まれついた。十兵衛もウチを醜いと思っておるのだろう」

 十兵衛は、優しい声で答えた。
「案ずるな。わぬしは美しい」
「うそをつけ」
「うそではない。ほんとうじゃ」
 実際、鼻が高くほおも高いいさなは、異相ではあるが美しいと十兵衛は思った。

「あの異人が、わぬしにのみは心を許しているようにみえたは、その瞳のせいかの」
 空を写したような澄んだ青い瞳。十兵衛はきらいではなかった。さらに十兵衛は思う。
 いさなの育ての親。招福寺の海門和尚。
 色浅黒く、雲を突くような大男であった、と島人がいう”カイモン”もしくは”サイモン”。

 あるいは彼もまた、天竺あるいはその近しい国より来たりし漂流民だったのかもしれぬ。海門和尚が隠し戸棚の中に収めていた書物は、異国の言葉で書かれた書き付けだった。
 海門はこの国の言葉を覚えるためか、異国の言葉との対照表を作っていた。それが逆に十兵衛には異国の言葉を紐解く手がかりとなった。

 彼自身の境遇ゆえ、いさなに対してもひとしお同情心がわき起こったのかもしれない。
 義圓は、この国に異国の血が混ざることを嫌う者たちの手先だったようだ。あるいはその教義の狂信的な信者か。
 十兵衛もそれらが「種々(くさぐさ)の者」と呼ばれることを知るのみで、実態はよくわからない。

 彼らは、九州探題の大友氏が異国文化の吸収に熱心であることから危機感を抱き、さらに海門につき調べるため遣わされたようだが、天竺からの来訪者をどう扱うか処断に窮していた節が窺える。
 海門自身は、トヨが異国の神を間違ったかたちで崇拝していることに気づいていたようだった。

 あの夜、いさなはトヨに命じられ、蔵に同道した。
 鍵を開け、中から心張り棒を張るトヨを不審に思っていたが、やにわに小柄で切りつけられた。
 トヨはヒサノに久次郎が来着したら、蔵に案内するよう伝えていた。そのため仕事を急ごうとして不用意に切りつけたのだろうが、もみあううち、膂力に勝るいさなに小柄を奪い取られ、逆に喉を突かれて絶命することとなった。

 ヒサノは体調が悪く伏せっていたため、加平が同道した久次郎を蔵の前で待つ形になったようだ。
 雨の音と蔵の堅牢な造りが、争いの音が外にもれるのを防いだ。
 我が身を守るためとはいえ、トヨを害してしまったいさなは扉のわきに身を潜めて震えていたが、扉が破られた隙に乗じてこっそりと外に這い出た。

 幸いそのときは誰にも見とがめられず、返り血を洗うことができた。
「トヨ殿が中から心張り棒を張ったは、見られては困る悪しき企みがあったからじゃ。わぬしはあのとき、雨に打たれたにしては濡れすぎていた。返り血を洗ったがゆえな」
「たれにも見られなかった、と思っていたが白蓮には気づかれた。おかげで弱みを握られてしまったわ」

 あとで凶器の小柄が消えたと知り、不思議に思っていたが十兵衛の謎解きで久次郎が隠したとわかった。
「トヨ殿は生け贄としたぬしの身柄を、自分と仙吉だけが知っている抜け穴に隠しておくつもりであったのだろうな」
 島人に大きな影響力をもつトヨであっても、後刻来訪するはずの久次郎に己が信仰による生け贄のことを理解してもらえるとは思ってはいなかったろう。

「もうよい」
 いさなは覚悟したかのように、目を閉じた。
 助からぬ、と十兵衛は思った。
 失血もひどい。血止めの処置は功を奏さなかったようだ。いさなの息は荒くなり、意識も途切れがちになる。

 死ぬのは怖い。抱いていてくれー
 いさなの懇願に答え、抱きしめた。
 自分は無力だ。つくづくと十兵衛は思った。
【ホラー小説】黒衣聖母の棺(11)に続く)

#ホラー小説が好き #ホラー #小説 #創作 #難破船

この記事が参加している募集

ホラー小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?