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「ADHDだよね?」って言われてはじめて自分をみつけられた。
2023年の9月カナダのケッベク州にあるワイナリーでファームステイをしていた。ちょうどブドウの収穫前ということで、わたしのほかに3人ファームステイ者がいた。
その中にもう一人日本人の女の子がいた。
わたしより少し年がうえで、いかにも長女らしい頼れるひとだった。
ある日その子から
「思ってたんだけど、ADHDだよね?」
と、聞かれた瞬間の
胸のおどる感じをいまでも鮮明に覚えている。
傍からみれば
非常識な質問だ。とか
とんでもない友達だ。とか
思うかもしれない。
だけど、わたしはとても嬉しかった。
言われた瞬間、顔じゅうに満面の笑顔が広がっていたに違いない。
その日はちょうど、彼女が1週間だけほかのワイナリーに
ファームステイに行って帰ってきた日だった。
ブドウの収穫の手伝いに行ったのに
鳥に食べられて収穫できるブドウがほとんどなかった。とか、
すごいおしゃべりな夫婦でめっちゃ英語つかったわ~。とか
そんなお土産ばなしをきいていた。
行った先の奥さんはもともと先生をしていたらしく
多動症とか、ADHDの子たちにフランス語を教えていたらしい。
で、その教え子の一人がちょうど彼女のステイ中に誕生日で、
誕生日会に招待されて行ってきた話を聞かせてくれた。
その直後だった。
彼女がふとその
質問というか、意見というかを投げてきたのは。
ADHDは自分の一部
当時27歳。
いままで生きてきて自分がADHDだと疑ったことはもちろん何度もあった。
簡単なWEB診断も何度かした。
だけどいつも結果は「可能性あり」
カナダに移住して、忙しい日々にそんなことさえ忘れていたけど
彼女に言われてもう一度、診断してみた。
結果は「ADHDです。」
ちなみにサイト3つほど試してみた。3つとも陽性。
やっと自分が開花されたみたいで、嬉しかった。
おもえばカナダで仲良くなった人は、みんなADHDだった。
自己紹介のときに
「ぼくはエディー!ADHDだからよくモノなくすんだ~!よろしくね!」
って感じで、当たり前のようにその子の一部として認められてるのが
なんとなくうらやましかった。
両親は良くも悪くも、しっかりと私を躾けてくれた。
ひとり立ちするにつれ
それが時に息苦しく感じることもあった。
まるで翼を押さえつけられた鳥のように。
それが彼女の一言でやっと、開くことができたのだ。
いや、むしろ
カナダというあたらしい環境にひとり身を移し
自由気ままに生きるすべをみつけたからだ。
そのことに、彼女が気づかせてくれた。
やっと自分の個性を、じぶんの一部だと認められ
他人からも認めてもらえた。そんな気分だった。
こころのなかはスーパーモードだ。
憧れに近づく
「憧れているもの。美しいとかんじるもの。に近づくと運気が上がるよ」
むかしお世話になった
滋賀にいる占い師さんにもらった言葉のお守り。
学生のころ世界一周した先輩につれられ
タイに初めてバックパッカーして以来
ずっと海外に憧れていた。
大学院のとき
研究の合間をぬっては旅に出ていた。
言葉の違う人たちとの交流が刺激的でたまらなかった。
いつかは海外に住みたいな。海外移住したいな。
と思いながら、就職。
あぶなかった。危うく、いつかいつか、、、でチャンスを逃すところだった。今思い返せば、なるべくして私はカナダに行ったんだと思う。
コロナ真っ只中、
在宅勤務中、業務なくて働いてるふりの日々。
ふと目に入ったワーホリという言葉を検索したら
30歳までという年齢制限があることを知る。
そっからは覚えていない。
その一か月後には退職も、ビザも、航空券もすべて準備完了していた。
そしてついにずっと憧れていた海外で
ひとり暮らし、働くじぶんがいた。
そして、まちがいなく
いままでで一番自分らしい、自分がいた。
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