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『スタンド・バイ・ミー』を観てあの頃のくだらない日々が輝いて見えた

先週『スタンド・バイ・ミー』が金曜ロードショーで放映された。

名前だけは聞いたことがあったものの実際に観たことはなかったのでこの機会にチェックすることにした。😎

なんせこの作品、ポケモンやジョジョの奇妙な冒険など様々な作品に影響を与えた作品なのだ!
青春映画と聞いていたので爽やかな作品なのかなとワクワクして観たらいい意味で裏切られた😌

爽やかというより、胸にじんわりとくる作品だった。ヒルがたくさん体に付くシーンとか、吐くシーンとか……意外と下品、ショッキングなシーンもあって驚いた。そんなシーンも含めて愛おしく思えるのだからすごい。
よくよく考えてみると子供の時って割と下品で汚いことも平気でやったりするものだ。懐かしい気持ちになる😁

子供から大人へ成長する途中の子供達はそれぞれ複雑な事情を抱えている。タイプの違う4人の男の子達。それでも一緒にふざけあったり喧嘩したり…笑い合ったりするときはそれぞれの重苦しい事情なんて最初から無かったみたいに自分のままで過ごすことができる。

大人になった今、自分のままで過ごすことのできる人間関係ってすごいな!と思う。

確かに自分の子供の頃も家庭環境が複雑な子が何人もいた。私も「何で生きてるんだろう」とか考え込む子供だった。

子供の心は思ったよりも複雑でこんがらがっている。

感情を整理するなんてことを知らないのでこの心の曇りがなんなのか分からないし人にうまく伝えられない。なんだかよくわからないけど爆発させたい、発散させたいという気持ちになる。映画では登場人物達が悪ぶることで発散させていたように思える。

子供は大人がそこまで考えてないだろうって思うことまで考えていたりする。私は夜中の父と母の家族会議だってばっちり聞いていた😁
家の生々しい情報を聞いて震え上がったものだ笑
大人は隠しているつもりでも子供は家の問題をけっこう理解していたりする。

でも子供の時って何故か家庭の事情とか自分の内面を無視して意気投合することができる。ただその場にいて一緒に遊ぶだけでよかった。ゲームボーイアドバンスを持って公園に集まるだけで謎の一体感が生まれるのだ。(言いすぎかな😅)

遊んでいる中で時々ぽつぽつと友達の悩みだったり家庭の事情を聞いたりして励ましあったりもした。
まさにこの映画のような光景をかつての私も見ていたのだ。

隣町に行くのでさえ大冒険だった。

映画で主人公のゴーディが自分の住む小さな街を紹介し、「私には世界の全てだった。」という台詞がとても印象的だった。そして死体があるという30キロ離れた森の奥に4人の友達と向かうのだが、小さな町に帰ってくると「なぜか街が違って見えた。小さく見えた。」という印象に変わるのだ。

子供の時の世界はとてつもなく狭い。

学校と家、通学路が世界の全てで、人間関係も家族と学校の友達、先生ぐらいだろうか。そこに窮屈さを感じる時期が子供時代の中で必ず訪れる。

夏休み、ポケモン映画を観に自転車に乗って隣の学区まで行った時の感動ときたら!😎

ゴーディと同じように「世界って広くない?今までいたところって狭いな!」なんて思った。

そしてこの映画で一番私が好きな台詞はこれだ。

あの12歳の時のような友達はもう2度とできていない。もう2度と。

大人になり作家となったゴーディの言葉なのだがとても心にしみた。ストーリーの終わりにこの言葉が来るので余計に心に響く。

下らないことをして笑いあって、喧嘩して時々励ましあう。生身の感情のままぶつかり合うことのできる友達というのはその年代唯一のものかもしれない。

たまにはこんな風にノスタルジックな気持ちになるのも悪くない。

話が逸れてしまうがクリスがとてもいい子!!😌

同窓会して笑い合ってるみんなが見たかったけど現実は非情だった……。実際子供時代の友達と再会するって難しいよなとも思った。
会いたいと思った人には会える時にきちんと会おうと思えた。

本日も最後までお読みくださりありがとうございました!😊


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