人生を『1本の映画』として考える~悩みごとがあるときは、自らの「シナリオ」を見直そう!
こんにちは、スピリチュアルライター・Cocoです。
「人生って、生きることって、まるで『1本の映画』を撮っているみたいだな」そんなふとした考えからスタートした本連載。
前回も最後に触れましたが、こうして生きることや人生全体を、何か他のことに置き換えて考えると、全体を捉えやすくなったり、自らの考えをすっきり整理しやすくなることがあります。
皆さまにもぜひ、そんな感覚を少しでも共有できたらと、今回も引き続き、『人生という映画』をテーマに、日常生活での問題との向き合い方についてお話をしたいと思います。
前回までのお話
ー わたしたちは日々、「新しい今日」を迎えるたびに、「よーいアクション!」とカチンコを鳴らし、新しいTakeを撮り直している。脚本、映画監督、総合演出、そして主役を演じるのはあなた自身。舞台に立つのは、家族や友人、恋人などの身近で豪華なキャスト陣たち。監督自らが「OK!」と心から言えるまで、セリフや設定をアレンジしながら、繰り返し撮影を続けている ー
前回までにお届けしたのは、そんなお話でした。
そう、今あなたの目の前で起きていること、現実世界で巻き起こっていることたちは、すべてあなたが構想したシナリオをベースに、最適なキャストらが芝居をしている状態である、ということ。
だからこそ、何かあなたがモヤモヤしていることがあったり、苦しかったり、辛かったりすることがあったら、自分や他人、環境のせいにするのではなく、あなた自身が『人生という映画のシナリオ』を書き直してしまうことが、問題解決につながる一番の近道。そんな内容もお伝えした通りです。
…ということで今回は、そんな前回までのお話をふまえ、実際にわたしたちを悩ませる問題が目の前で起きた場合、どのようにして、『シナリオ』を書き換えてゆくのか…ということを、筆者の実生活上のエピソードを例に、少しお話したいと思います。
娘のスマホ問題に、『人生は一本の映画』思考をあてはめてみる
以前にもお伝えした通り、筆者は現在4歳の娘をもつ一児の母。やはり、日々の生活の中で、自ずと考える時間が長くなることといえば、まだ幼い彼女との関わり方についてでしょう。
例えば、最近の筆者がよく悩んでいたことといえば、「娘のスマホ問題」。恐らく、どのご家庭でも思案されるであろう「我が子にどの程度スマホを触らせてあげるか」ということを、例にも漏れず、筆者もずっと悩みながら、過ごしてきました。
スマホを渡せば、youtubeの動画を観たり、喜んでゲームをプレイする娘。何かに夢中になることは素晴らしいですし、ママが晩ごはんの準備をしたいときに、ひとりでそういったエンタメを楽しんでいてくれることは、ときに有難くも感じることもあるもの。
ただし一方、スマホを一度手にしてしまうと、次の予定があっても、なかなか切り上げることができないという状況もあり、親としても、上手なスマホとの付き合い方を考えなくては…なんて思っていたのでした。
そんな一見、どこの家庭でもよくありそうな、育児にまつわる問題。筆者は、こうした問題に対しても、『人生は一本の映画』思考を用い、向き合ってみることにしています。
シナリオの書き換え方はふたつ。迷ったらゼロから考え直そう
まず、シナリオの書き換え方としては、主に2つの手法があると筆者は考えています。その手法とは、「①現状の課題をベースに、問題となっている部分を修正する」というもの。そして「②ゼロから新たなシナリオを書き起こす」というものです。
どちらを選択するかは、そのときの状況によるところですが、現状の課題に対して、具体的な解決策をいくつか持ち合わせているのであれば、①を選ぶのが良いかもしれませんし、さまざまな方法を試した末、どれも功を奏すことなく、壁にぶち当たってしまった…なんて状況に陥っているのであれば、恐らく②を選ぶのがベターといえるでしょう。
そして、今回の筆者の場合も、この問題に対し、決して短いとは言えない期間、思い悩んできた節があるため、ここでリセットする意味でも、②の手法をとることにしました。
状況設定を書き出すことで、「自分ごと」を「他人ごと」として捉えてみる
こうした「シナリオの書き換え」に取り掛かる際、筆者がまず着手することは、「状況設定」を整理するということです。
例えばこんな感じ。
・主人公(自分自身、ここでは筆者をさす)には、4歳の娘がいる一児の母
・主人公の娘は、最近、スマホに興味をもつようになり、youtube動画や、ゲームをすることに熱中している
・主人公は、娘が一度スマホで遊び始めると、なかなか手放すことができず、計画通りに行動できなくなってしまうことに課題を感じている。
そう、自分自身のことを「主人公」という呼び方で表すことで、一人称から三人称へ置き換え、より客観的なセンテンスとして定義をしてゆくのです。
“三人称”での表現、いわば「他人事」としての出来事と捉えてみることで、自らを「主役を演じているキャスト」という立場から、「作品全体を俯瞰して指揮をとる映画監督」、もしくは「点と点と線でつなぎながら、シナリオを組み立てる脚本家」という立場へ移行させることを狙いとしています。
もちろん、人は何か具体的な問題に直面しているとき、ここまで冷静に頭を整理できないことだってあるでしょう。
何か、他人の言動にイラっとするような出来事が起きた場合であれば、こんな文章を書き出すより前に、怒りがこみ上げてきて、気持ちに収集がつかないなんて状況もごく自然であるといえます。
なので、そんなときには、まず心を整えることを優先しましょう。
筆者自身も経験した『一番苦しい時期』の乗り越え方については、以下の記事などでご紹介していますので、ぜひご覧いただけますと幸いです。
<つづく>
今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございます!次回も引き続き、「『人生という映画』のシナリオをどのように書き換えてゆくか?」ということについて、お話をしてゆきたいと思います。次回もお楽しみに!
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