コロナ感染2日目:ホテル療養に切り替える
さて、コロナ感染2日目。
一晩を玄関先で過ごした僕は玄関をすこしだけ開けて、
玄関からすぐそばにあるトイレの排気を回しっぱなしにした。
とにかく家族に影響があると困るので万全を期した。
マスクは2重にして自分が使ったトイレや水道の蛇口はクリーンシートで徹底的に除菌した。寝具は使った後、外で払ってからポリ袋にしまい込んだ。もちろん昨日帰りに着てきたスーツやコートも袋にしまって口を結んだ。
やったことをまとめるとこんな感じだ。
それと昨夕に届いた薬を夕飯時に飲んだ。
届いた薬は次の3種類
・ラゲブリオ・カプセル(200mg)
※対コロナ感染症の新薬 厚労省認可済
・ムコソルバン錠(15mg)
・メジコン錠(15mg)
薬を飲んだら、少しは楽にはなってきたようだ。オミクロン株は風邪みたいなものだと形容した輩がいたが、どういうつもりでそういう発言をしたのか訊いてみたい。
コロナ感染と風邪とはまったく違う!
僕にとって、際立った初期症状は主に3点あったのでそれを下に列挙したい。
「悪寒」の症状は、発症1日目に風が吹いて身体の表面を過ぎ去るだけでも、全身が震えてしまうくらいで、駅のトイレに入って用を足そうと座った便座が冷たかったりすると、足がすくんでしまうくらいに冷たさに敏感になる。昔のディズニー映画で氷をさわって指から全身に震えがくるシーンがあるが、それを思い出す。
「咳」の症状・「痰」の症状は発症1日目は最初はなんか喉が「いがらっぽいな」という症状から始まった。そこから痰が絡むようになり、その発症日の午後すこし経ってから「息を吸うだけでなにか触る」という状態になっていた。幸い咳が止まらず息が吸えないという状態にはならなかったが、薬を飲んでから「痰」が絡むようになって、それが出てくると咳の症状も徐々に緩和されてきた。
言われているような「味覚障害」や「抜け毛」などの後遺症はまだ発症2日の隔離療養期間中なのでないが、これから鯛の刺身の昆布締めなどの繊細さを味わえなくなるのではないかと思うと絶望的な気分になる。このあたりの後遺症という部分にも今後迫っていきたいと思う。
朝もしばらくするとホテル療養の担当から電話が掛かってきて、ワンボックスカーの手配車がやってくるので運転手から何時に到着するなどの電話が掛かってくるから電話にでられる状態でいてくれ、と言われる。知らない番号だからと着信拒否しないでほしいとこれまた丁寧に言われる。
手配タクシーが来るまでの時間は手配担当から電話をもらって2時間以上もある。その間、僕は悪寒と時たま襲い来る咳の発作に慄きながら、時折顔をのぞかせる家人たちに「近寄るんじゃない」と言いながら、次から次へ来る電話をとり続けた。保健所、ホテル療養担当者、手配タクシーの運転手から交互に電話がきた。
昼食をとってすぐに予定時間より早いが迎えのタクシーがやってきた。ワンボックスカーで僕のための一人用だった。ビニール仕様のマイクロバスみたいなもので迎えに来るという都市伝説は訊いていたので意外だった。タクシーの運転手は強面ながら丁寧で用件だけを伝えるとあとは放っておいてくれる感じがいい。
途中、同じようなワンボックスカーが何台も道を走っているのに気がついた。その車には「患者送迎」と車体の下部に書かれていたので、おそらく僕一人だけではないのだとコロナ感染の猛威を思い知らされた。
コロナ療養ホテルはこんなところ
ホテルに着くとホテルの入り口は外から見えないように目張りがされており外界から遮断されていた。やっぱり来てみると「エライところに来てしまった!」という思いが込み上げてきた。
サナトリウムというのもこういったようなところなのかと堀辰雄の「風立ちぬ」の一節を諳んじてみた。まだ、ロマン派としての自負が地に足をつけることを許していることに感謝(笑)
しばらく車で待たされると係員に促され中に入る。次から次へと入ってくる車。ホテル療養者はこんなにいるのか。中に入ると自分の名前が書いてある封筒があり、そのなかに割り当ての部屋のキーがあるのでそれで入って指示を待てという。
内線があり、今の状態と体温・酸素飽和度・血圧・心拍数、身長体重などを答えていく。これから10日間はホテルから出ることができないし、10日間のうちにオンラインで一日2回決まった時間に報告をしなければならないという。これではサナトリウムではない(笑)
生気を殺がれることはない主体的に行動するための施設なんだと再認識した。
昼過ぎに入所したのだが、再三内線が掛かってきて質問をされたり、これっていいましたっけ?という確認が来て、なかなかくつろぐことができなかった(苦笑)
2時間近く、内線で確認や指示があり、僕がアプリなどに慣れていなかったせいかもしれないが、それだけ外界とのつながりのようなものを感じていられる儀式であったのかもしれない。
食事は1日3回、所定の場所に来て弁当と飲料、アメニティの追加を取りにくるよう館内放送があるという。次は夕食だ。ちなみに隔離患者が部屋から出ることができるのはその3回のみだ。
それと検温・パルスオキシメーターの計測が1日2回決まった時間にある。その時間内に入力を終えなければ内線が掛かってくる。その内線に出ないと扉をぶち破って部屋に看護師たちが入ってくるのだ。後に、この1日2回の定時の検温のおかげで睡眠時間が削られてしまったりした。
まだ微熱もあって持ってきた本を読もうという気力さえもない。音楽も聴く気が起きずに風呂に湯を張ったりもしたが何だか気乗りしない。
そんなときに家人からLINEが来て、zoomで話ができないか?という。微熱で頭がはっきりしていないのでどうしようかと思ったが子供のこともあるので何とか苦慮してzoomでの回線をつなげることに成功する。
「パパぁ、なにやってんの?」
「これから初めてのご飯なんだ。お弁当になっていて取りに行かなくちゃならないんだよ」
「へえ、一緒に食べようよ」
子供に乞われて悪い気はしない。さあ、夕食を取りに行こう。配布会場にいくと続々とやってくるマスクをした暗い顔をした人たち。あれ?ここは再起を約束された場所ではなかったのか? 下を向いた人たちが弁当を片手に電子レンジの順番を待っている。ラーゲリ(ソ連の収容所)を描いた絵を見たことがあるがみんなこんな感じの暗い顔をしていた。
僕はいたたまれなくなって弁当とアメニティをとると部屋へ戻った。今しがたあったことを妻と子供に語った。そして、弁当を食べるべく開いてみると
実は食事は僕はそれほど期待していなかった。糖尿病食のような弁当が出るんだと思っていた。
それがこんなものがでるなんて! まだ僕たちは見捨てられていないんだ!という訳の分からない嬉しさが込み上げてきた。
これは行政サービスに礼を言ってもしかるべきであろう。常に市民オンブズマンとして懐疑的なまなざしを送ってきた自らの色眼鏡を修正しないといけない。なんだよ、弁当でうまいもん出されただけで宗旨替えするのかよ!と言われそうだが、僕はする!(爆)
パソコンのスクリーン越しに妻と息子と話をする。僕の不在を横に置いてしゃべり続ける息子。お弁当のおかずや世情について話す妻。まだ、半分も来てないけど、何でもないようなことでやり切れるような気がする。
ホテル療養で必要なものを挙げておきたい。
また、もしそれに付け足すならば、パックのレギュラーコーヒーとかインスタントの味噌汁とかあるといいかもしれない。匂いがあると嗅覚障害が自分に起こっているかがすぐにわかるし、何よりいつもの生活とすこしでも近い方がストレスを感じなくて済むのだから。
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