【覚書】インディーズ合唱の構想: 高即興性合唱

思いついた時に書くアヴァンギャルドなインディーズ合唱のアイデア。今回はあんまり合唱に無い即興性を考えてみる。

なぜ合唱にアドリブが少ないのか?

とか小見出しをつけてみたけどまあ当たり前の話ではある。なにせ1パートに複数の人がいるからである。ある人が考えるアドリブのフレーズが同じパートの別の人と合わさることは稀である。伴奏のピアノの部分にad lib.と書いてあるは見たことあるし、ソロ部分はあり得るかもしれないけれど、パーとに書いてある楽譜は今の所は私は見たことがない。つまり、合唱はアドリブには向いていない。

向いていないと言われると合唱でもできないか考えてしまうのがインディーズ合唱である。なにせアドリブがあり得る音楽というのは世の中に存在するからである。

ジャズやバンドと合唱の違い

どんな音楽にアドリブがあり得るかというと、例えばジャズやバンドミュージックがあるのではないかと思う。特にジャズはかっこいいアドリブを演ることは一つの技術だろう。バンドミュージックにおいても、ライブで感極まってアドリブを混ぜる、ということも多々あるだろう。それらと合唱の違いは何だろうか?

考えるまでも無いかもしれないが、1つのパートあたりの人數が違うことが大きな要因の一つだろう。大抵の場合合唱は1パートあたり複数人いるし、ジャズやバンドにおいては1つの楽器あたり1人であることが多い。複数人いたとしても、それぞれ違うメロディを奏でていることも多い。つまり、自分の演奏する音を他の人は演奏していない訳だ。

それならば、合唱にアドリブ要素を加えるならば、1人1パートの少人数編成にするのが都合良さそうだ。また、前述のジャズやバンドミュージックに寄せて、手始めにアカペラ(広義の無伴奏合唱ではなく、狭義のdoo-wap的なあれ)で考えてみるのが良さそうである。

アドリブのアカペラ

構想としてはこうである。

まず、あらかじめ歌う曲を決めておく。そして、その曲をアカペラ編曲するわけだが、この時編曲は全体の骨格程度にとどめ、空白を多く残しておく。ここでいう「骨格」は程度があるだろうが、例えば「イントロは8小節」とだけ決めたり、サビ部分の字ハモ(ヴォカリーズやスキャットではなく、同じ歌詞を違うメロディで歌ってハモる技法)だけ定めたりといったことをイメージしている。「ここにベースソロ8小節」というのを決めても良いだろう。また、コードとテンポについてはきちんと定めておく必要はあると思う。

次に、出来上がった空白だらけの楽譜をあらかじめメンバー内で共有しておく。メンバーは各自楽譜にある骨格とコードをもとに自分のパートを作り、歌えるようにしておく。その中で全体に関わるアイデアを思いついた場合はメンバーに共有しても良いと思うが、なるべくそういうのはこのあとのフェーズで行う方が面白いかもしれない。

全員が自分のパートを作ったら集合し、合わせて歌う。コードとテンポさえ合っていれば理論的には合うはずであるが、きれいに合うとは限らない。かなりスリリングな体験である。おそらく各個人やりたいことの方向がバラバラなので、まとまりに欠けるものにはなるだろう。そこで、歌いながら周りを聞いて軌道修正したり、歌ったあとに誰がどこをどう変更するかなどを対話しながら音楽を作っていくのである。何をどうするか直接言葉で対話してもいいし、もっとスリリングに何度も歌いながら、歌を通してのみ対話するのも面白いかもしれない。

人に発表することを考えるなら、このようなことを色々な曲で行って感覚を養ってからやるのがいいだろう。色々な曲で試行して遊ぶことが「練習」となる。ステージにするなら、客には穴だらけの楽譜を配布してしまうのも良いかもしれない。そして、ぶっつけで合わせて修正していきながら一つの曲を作っていく過程を見せていく。いっそ大道芸的に客の1人をリードボーカルとして、その客の好きな曲のリードボーカルをその場で作っていくのも面白いかもしれない。

パートについては少し悩むところもある。多くの場合アカペラはリードボーカル、コーラス、ベース、パーカッション(ヒューマンビートボックス)に別れるが、この内コーラスは複数人いる。これを何人にするかである。おそらく多くとも3人くらいまでなのではないかとは思うが、1人だと少すぎるかもしれない。バンドミュージックで言うなら、ギターとキーボードの役割を行うパートになるので、複数人いることに違和感は無いのである。

クラシカルな合唱への転用

さて、アカペラにできるならクラシカルな合唱(アカペラも合唱の一種なので、一応こう呼び分けておく)についても同じことができるのではないか。構想はこうである。

まず、あらかじめテキストを用意しておき、それに対して作曲を行う。このときの作曲も多くの空白を用意しておく。どんなメロディをどのパートが歌うかや、和音やテンポなどである。いっそのこと、メロディラインを歌うパートと必要な小節数だけ指定するのもいいかもしれない。そして、その空白だらけの楽譜をメンバーに共有する。

メンバーはその楽譜をもとに自分のパートを編曲または作曲しておき、歌えるようにしておく。これはアカペラのそれより困難かもしれない。何せ元となる曲がまだ存在していないのである。頼りとなる楽譜も穴だらけで心許ない。音楽は集まった後でしか作れない。

そして各自書き加えた楽譜を手に集まり、合わせる。そして他のパートの歌を元に、どんどん自分のパートを変えていく。対話の方法も直接言葉にしたり、歌だけで対話したり様々に考えられる。このあたりのルールはあらかじめ決めておいたほうがスムーズだろう。元の曲がある訳ではない分、かなりスリリングである。もちろん無伴奏合唱に限っていないので、ここまでの過程にピアノ伴奏者を加えても良いピアノ伴奏にも存分にアドリブを求めていくのである。

発表の形式もアカペラで考えたものと同様でいいかもしれない。客にはテキストと穴だらけの楽譜を配布しておく。流石に曲自体が存在していないところからのスタートなので大道芸方式は採用できなさそうだが。

少人数でしかできないこと

さて、思いつきでいろんなスキルが要求されることを書いた。このやり方を取るならば、今まで合唱だとあまりなかったことが起こっていることに気付く。それは、「少人数合唱に適している」ということだ。

合唱には(合唱には限らないが)divisiという技法がある。これは、一つのパートで2つ以上の音を同時に演奏する技法である。と言っても、1人の人間が2つ以上の音を出すのは通常不可能なので、この技法は複数人が一つのパートを演奏することを前提としている。そして、曲が複雑になるほどこのdivisiが多く出てくる傾向にある。

この場合、少人数合唱では「物理的に演奏不可能」ということが起こってくる。divisiによって同時に8音必要な場面のある曲は、5人では歌えないのである。あるいは、場面や和音を考慮して泣く泣くいくつかの音を削って演奏することになるのだが、本来の音楽から離れてしまうという謗りは免れない。また、音の数と人数が一致していても、パートの人数と一致していない場合も「物理的に演奏不可能」となり得る。この場合、他パートからその瞬間だけ人を借りるということもしばしばある。場合によってはアルトをテノールが歌ったり、テノールをアルトが歌ったりすることさえある。

私は少人数の合唱の経験が圧倒的に多いため、この人数のdivisi問題は常に悩みの種であった。上記の対策を取ったことは数知れない。また、上記問題のために歌いたくても歌えない曲が多くある。物理的には演奏可能でも、曲の迫力として多人数でやる方が迫力がある場合もあるし、人数が多いとその分だけ大きな音が出せるようになるため、音の強弱のレンジが広がり、デュナーミクの幅が広がるということもある。

斯様に、合唱では多くの場面で、「人数が多い方が良い」という場面に出くわすことが多いように思う。もっとも、これに関しては私が人数が多い合唱をほとんどしたことがないからかもしれないが。しかし、逆に「人数が少ない方が良い」というのはあまり聞いたことがない。何せ人が少ないと音量も小さくなりがちだし、一人一人の粗も分かりやすくなってしまう。もちろんdivisiもできない。

だが、上で見たアドリブ合唱においては、人数が多いことはむしろ足かせになる。というか、1パートに複数人いた場合、原理上アドリブ合唱を行うことは不可能に近いほど困難になるだろう。基本的に1人1パートを前提としている。歌い方も変わってくるかもしれない。一人一人がより感情的に歌っても良くなるし、通常の合唱では邪魔なほど感情的に歌った方がいい場面もあるかもしれない。

非常にスリリングだし、求められるスキルも多いが、面白いことはできそうだ。

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