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祈るように全身で感じた、King Gnuが更新していく圧倒的な「今」【King Gnu Live Tour 2021 AW ライブレポート】

◆はじめに

 これは、「King Gnu Live Tour 2021 AW」11/28のさいたまスーパーアリーナ、12/14の代々木第一体育館に参戦したレポのようなものですが、初めての生ライブの衝撃と感動で記憶は曖昧です。どちらの公演での出来事かとか、細かな状況の描写は正確ではないかもしれません。
 正確な情報や音楽の専門的な視点でのお話は、音楽ライターさんによるレポが各メディアにあります。それが一番です。
 ならばイチファンである自分がこれを書く意味は何かと言えば、自分のなかに湧き上がった感情、心象風景、それらを書き留めておくことで、砂の城のようにさらさらと崩れて消えてしまう尊い記憶を繋ぎ留めたいと思ったからです。それほどまでにKing Gnuというバンドはかっこいいんだぞ、という布教noteでもあります。
 自分にしか書けない、自分のためのレポ。自己満足の文章かもしれないけれど、もしもどなたかが読んでくださったら嬉しいです。

◆ライブ開始~MC前

 『飛行艇』のイントロが流れた瞬間、もうダメだった。ギュイイイン、と歪ませたギターがさいたまスーパーアリーナに響き渡り、ああ、「そこ」にいるんだ、と思った。
 「どんな夢を見に行こうか」
 そう歌う常田さんの低音ボイスは、幾度となく音源で聴いたいつもの声であるはずで、会場にいるファン全員のからだに刻み込むような勢喜さんの四つ打ちドラムも、足元からせり上がり腹を震わせる新井さんのベースも、主旋律に寄り添う透き通った井口さんのハモリも、そうであるはずと思っていたものがこの瞬間、本当にそうであったというだけで、私は簡単に感動してしまえた。
 「そうである」を体験することは、必然的に「そうである」以上のものになる。からだ丸ごとで受け取れる情報は予想以上に多く、自然、それを感じる心の襞はいっそう柔らかく繊細だということを痛感するのである。

 King Gnuの4人がいる。この目で捉えられる距離にいて、動いていて、同じ空間で音を鳴らし、喉を震わせ、今日のライブを私たちファンに届けようとしてくれている。なんという奇跡。
 気がつくと私は、祈るような気持ちで胸のあたりに両手を合わせていた。こんなにアガる曲なのに、と思いながら、しばらくのあいだ動けなかった。周囲では手を挙げてリズムをとったり、からだを揺らしたり、頭を振ったりしている人がほとんどだったけれど、King Gnuの沼に落ちてから1年と8ヶ月、待ち望んだこのときを迎えた私の在りようとして、「祈り」は至極当然のもののように思えた。

 会場を縦横無尽に突き刺すようなレーザーの演出で、早速観客をテンションMAXに煽る『千両役者』、自然と腰が揺れてしまう色っぽい『Vinyl』、抜群の疾走感が爽快な『Sorrows』と挨拶代わりの攻め曲が続く。4人の奏でる強靭な音楽の力で、突っ立っていた私のからだは次第に音に乗り始めてはいたものの、如何せん彼らの存在に対する感動が止まず、私はしばし、泣きながら踊るというおかしな状態でライブを聴いた。

 「こんばんはKing Gnuです」と井口さんの短いMCを挟んで始まったのは、ここまでの4曲とは趣きが異なる曲『ユーモア』。ライブ終了後にセットリストを確認して改めて思うことだが、この曲順のなかでの『ユーモア』という曲は、あるひとつの役割を担っているように思う。攻撃的で疾走感溢れるオープニングから、King Gnuのもうひとつの核である、繊細で柔らかな、それでいて割れた薄いガラスのように鋭利な名曲の数々に繋ぐ「別世界への入り口」的な意味。アグレッシブなオープニングの、所謂「剛」のKing Gnuから「柔」のKing Gnuへ、この『ユーモア』があることによって滑らかにスライドしていける。

 繊細な井口さんの歌い出しで始まった『白日』。また涙がこみ上げる。次第に力強くなるリズム隊のビートと常田さんのBメロが聴く者のこころとからだを揺さぶり出す。King Gnuをスターダムに押し上げた大ヒット曲を史上最大キャパの会場で、生で聴く感慨。沼に落ちて以来、胸を掴まれ続けている常田さんのギターソロでまた鼻の奥がツンとして、改めてこの曲の持つ吸引力を思った。

 アコースティック調にアレンジされた『破裂』はギターとボーカルのみの演奏で、スポットライトに照らされたフロント2人がスモークのなかに浮かび上がる。幻想的な空気に包まれて井口さんの神秘的なボーカルが光る。「いっそ幻のなかへと逃げ込めばいい」と歌うラストの声に胸が詰まった。

 『破裂』の曲終わりから音を切らずにそのまま次曲のイントロが始まる。ぶわああ、と感情が(歌詞の通り)溢れ出るように『Player X』に突入。『破裂』がシンプルだっただけに、『Player X』でリズム隊が入ってきたときの響きの重さに驚いた。ドラムが心臓を撃ち抜き、シンセベースが全身をビリビリと震わせる。昨年のツアーを配信で観たときに初めてこの形でのイントロを聴いて鳥肌がたったことを覚えている。曲の繋ぎ方たったひとつでこんなにも聴く者の心を揺さぶり、楽曲に新しい魅力を与えることができるのか、とまたひとつ感動してしまう。

 常田さんがキーボードの前に座るとそれが合図で、ああ、来る、と思う。『The hole』だ。丸めた背中に降り注ぐ光は天から下りてきているようで、「尊い」という言葉がこれ以上似合う場面もそうないだろうと頭の片隅で思う。ピアノソロが始まる。常田さんの鳴らす音色は優しくて、世界を包み込むようで、そこにいるあなたを慈しむようで、もういないあなたに祈りを捧げるようだった。「音楽で人の心を打て」と天命を受けこの世界に生まれた人なのではないかと、生まれてくれて音楽を生み出してくれてありがとうと、思わずにいられない。井口さんのボーカルが始まればまた胸がきゅっとして、切ない歌声と苦しそうな表情に涙がこぼれ落ちる。私の「尊い」を感じるリミッターはもうすっかりバカになってしまったようだ。

 ドクン、ドクン、と心臓の音が鳴り始まったのは『泡』。エフェクトのかかった常田さんの声は無機質なのにエモーショナルで、井口さんの声は整っていて美しいのにどこか空虚さがある。映像の演出も相まって、気が付くと水の中でたゆたう自然の一部になったような感覚を得ていた。『泡』には、King Gnuの「一筋縄ではいかない」いびつな美しさが詰まっている。

 続く『Hitman』では4人の活き活きしたプレイが印象的だった。ハンドマイクでステージ中央に出てきた井口さん、曲後半で立ち上がってそのまま両脚でリズムを刻みながら鍵盤を弾く常田さん。それぞれの音が互いを刺激し合い増していくグルーヴ。4人が互いに顔を見合い、4人だけでセッションしているような空気感のまま、会場の1万人に届かせている。それはとんでもなくすごいことだ。

 『破裂』、『Player X』、『泡』、『Hitman』は、個人的には音源よりもライブが圧倒的に刺さった。今回初めて生のライブを経験して思ったことだ。音源ももちろん好きだし素晴らしいけれど、ライブで聴くとその強度と吸引力は段違いだったように思う。ライブの良さ、強さとはこういうことなのかと強烈に感じてしばし放心した。

 そこからの『三文小説』。バラード王・井口理の降臨完了だ。『The hole』しかり、バラードを歌う井口さんは、こわれものをそっと包むように、女性でも容易には出ない音域の高音を裏声で優しく響かせ、そうかと思えばどこまでも伸びていく地声の力強さで圧倒する。これほど難しい曲を、繊細に、ブレることなく、ライブで何曲も歌い上げる。その絶対的な声質の良さと歌唱力に改めて驚嘆した。

◆MC

 会場がパッと明るくなり、井口さんの朗らかなMCが始まる。King Gnuの音楽を全身全霊で受け止めようと気づかないうちにからだが強張っていたらしい、とここで初めて気が付く。心地良い井口さんの声でスッと空気が入りリラックスできた。が、そんなチルな気分だけで終わらせてくれないのがKing Gnuだ。
 「さいたまスーパーアリーナ」での最大キャパ(11/28時点)を祝う「はげあたまスーパーナメーナ」(スタッフさんのつるりとした頭頂部をベロリと舐めた)には度肝を抜かれた。観客の頭のなかには漏れなく「どういうこと???」という文字が浮かんでいたはずだ。でも、いつかのMステ出演で爪痕を残そうと行った「階段落ち」に不本意な形で注目が集まり、それがしばらくのあいだ自らの首を絞めたと頭を抱えていたらしい頃を考えれば、「はげあたまスーパーナメーナ」はひとつ肩の力が抜けた天然由来の「サイコパス井口」だったのかもしれない。突然のナメーナに目が点になりながらも、この規模の会場でこんな素晴らしい演奏の合間にこんなふざけたことをやってのける井口さんの精神状態はむしろ、非常にポジティブなものなんだろうなと感じられ、なんだかハッピーな気持ちになってしまうのだからファン心理は不思議だ。

 そういえばMC中にドラムを叩きながら勢喜さんが放った「たまアリますか!」という一言で全身の力が抜けたのだが、考えてみると勢喜遊という人はいつも、「ここぞ!」というときではなく「ここで!?」というときに、後ろ斜め45度あたりから球を投げてくるような人である。井口さんはよく勢喜さんのことを「人とちょっとバイオリズムが違う」という表現をしていて、それは言ってみれば勢喜さんの思考の回路が人と違う、というよりは、そもそも持っている回路がまったく別物なのかもしれないという、そんな具合ではないだろうか。いつも一見ぶっ飛んだ発言で周囲を驚かせる勢喜さんだけど、実はすごく繊細で誠実な人なんだと思う。リハ中に突然「King Gnuたのしい!」と言っちゃう素直さも、スタッフさんに「お誕生日おめでとう!」とステージ上で声をかける優しさも、唐突にも思える「俳優さんがいる…」という井口さんへのいじりにも愛が溢れていて、それを笑いながら見守る3人も含めて私は思うのだ。大丈夫、私の大好きなKing Gnuは何があっても大丈夫、きっとまだまだこうして夢を見させてくれる、と。

◆MC後~ライブ後半

 MC後にガラリと空気を変えて始まったのは『Slumberland』。皮肉の効いたリリックと攻撃的なラップがクールな‟ダークヒーロー”King Gnuに歓喜する。常田さんが拡声器を手にメンバーのもとを回るパフォーマンスはライブでは定番であり、私はこれが大好きだ(というかおそらくファン漏れなく大好きだと思う)。代々木ではベースを弾いていた新井さんの後ろに常田さんが回り込み(図らずもだと思うけど)バックハグ(!)のような形で拡声器を新井さんに向け歌わせるという一幕が(図らずもだとしても歓喜!)。その画の強さに頭がクラクラした。
 新井和輝と言えばベースを持たせたらその色気は右に出る者はいないと(ファンの間では)有名で、「セクシー新井」の名を欲しいままにしている(今私が決めましたけど)。バッチバチにうねるベースを弾いているセクシー真っ最中の新井さんのもとに、これまた色気の権化と言ってもいい我らが鬼才・常田大希がバックハグ(しつこうようだが図らずもだとしても!)。くー、この掛け合わせは本当にまずい。1万人の何割が果てただろうか。わからないが数なんてどうでもいい。少なくとも私は白目剥いて果てた(比喩です)。余談だがこんな話は個人のブログ以外に書けない。メディアのきちんとしたレポには100パー書かれていない。でも共感してくれる人は多いはずだ。それが個人のレポの良さ、のはず。

 『Slumberland』の興奮と熱気そのままに『Tokyo Rendez-Vous』へ。声はもちろん出せないけれど、ファンにはお馴染みの手を上下させるレスポンスで会場とステージ上の4人が一体になる。大好きな人たちと同じ空間で同じ時間にまるで溶け合えるような感覚。この多幸感は現場ならではだとひしひしと感じる。配信ライブも本当にありがたいし何度もお世話になっていて、配信は配信で、そこでしか感じられない良さもあるのは事実だ。でも、いつもは画面の向こうにしかいない人、イヤホンの向こうにしか聴こえない音と、隔てるもののないひとつの空間に居合わせているあの魔法のような奇跡の時間。そこにしか存在しえないものがあるんだと、ライブに足を運ぶとつくづく思うのである。

 そろそろ終盤だろうという微かな寂しさが頭を過りながら、それでもからだの熱と興奮は止まることなく増していく。そのまま『傘』と『どろん』でさらに勢いをつけ、眩い照明と期待感を煽るドラムで始まる『Flash!!!』へ。
私はこの日までに、3度のKing Gnu配信ライブ(フェス映像も含めればさらにいくつか)を経験している。ほぼ毎回『Flash!!!』で井口さんが「跳べー!!」と観客を煽るのを観てきて、もしライブに行けたら『Flash!!!』で一緒に跳びたい、その声を合図に思いっきり跳んで踊り狂いたい、ずっとそう思ってきた。それがこの日、ようやく叶った。音楽に合わせてジャンプをして頭を振り、チカチカと煌めく照明と4人の演奏のなかで全身が弾けた。

 いつもいつも、ライブ終盤で聴く『Flash!!!』にはふいに泣かされる。「一瞬でいい今だけでいい」というフレーズは彼らの「今」を的確に表しているような気がするからだ。後述するがアンコールで演奏された最新曲の『一途』でも常田さんは「余力を残す気は無いの」と歌っている。数年で全国のアリーナを(フルキャパでないとはいえ)埋めるほどの人気者になったのだから、彼らには先を見据え望んだ未来を着実に手にしていく力がある。音楽の実力はもちろん、おそろしく頭もいいはずだ。けれどそんなクレバーな一面とは裏腹に、「やりたいことをやる」「譲れないものがある」「本当に欲しいものがひとつあればいい」そんな不器用で無骨な面も併せ持っていることが言葉の端々から伝わってくる。いやむしろ、そちらが彼らの本質であろう。だから日本を代表するロックバンドになったのは必然なようでもあり、同時にただの結果論とも言える。

 本編ラストの曲『Teenager Forever』は、売れずに苦労したバンド初期から現在に至るまで、いつどんなときの彼らもそうであったはずだ、と4人の「らしさ」を思い出させてくれる、青くて泥臭い青春が真空パックされた超アッパーな名曲。ライブでは4人の楽しそうな笑顔と全力のパフォーマンスに突き動かされ、最後までKing Gnuの音楽に塗れることができた。

 代々木では『Teenager Forever』のラストで常田さんがギターを高く掲げ、勢いよくドラムに振り下ろしていた(ギターもドラムも大丈夫だったのだろうか)。常田さんはそのままギターをステージに投げ出し袖に捌けていく。メンバーが去った会場に鳴り続けるギターの音はすこし物悲しくて、止まない私たちの熱狂にどこかリンクしている気がした。

◆アンコール

 アンコールを待つあいだ、客席では少しずつスマホライトが点り始める。トラブル続きだった今回のツアーで、さいたま初日に偶発的に発生したのがファンによる「スマホライト点灯」。私の参戦した2日目もみんな情報を聞きつけているのか、ほとんどの人がスマホを取り出していたように思う。代々木初日でも同じで、ツアー後半、ちょっとした定番になっていたようだ。
 演出の邪魔になるのでは、とか、撮影している人がいた、とか、賛否両論飛び交って新たな火種を生みそうだったところ、常田さんからは自由に楽しんでほしい旨SNSに投稿があったり、勢喜さんはステージ上でわざわざ自分のスマホライトをつけてみせたりしてくれたようで、そういうところにも彼らの人柄が滲み出ているなとジンとしてしまった。

 無数のライトが揺れるなか始まったアンコール、まずは新曲『BOY』だ。井口さんの朗らかな歌い出しで会場の空気が一気に華やぐ。常田さん本人も「いまだかつてないほどに優しく愛らしい素敵な楽曲」と『BOY』を評しているが、リスナーとしても、初めて聴いたときには今までとは違うKing Gnuを感じて胸が高鳴ったのを覚えている。そのときに歌詞から感じた常田さんの「変化」と、それに対比される「初期から現在まで通底しているマインド」については後述したい。

 ツアーファイナルの代々木二日間だけ、当時最新曲であった『一途』がアンコールでサプライズ披露された。MVが公開されたばかりで、言ってみればファンとしては『一途』に対する熱量がMAXの状態。代々木で聴けるのでは、と淡い期待を胸にその日を迎えたのもあり、モニターにMVの映像が断片的に流れ出したときは思わず歓声を上げそうになった。
 レーザー光線が客席を射抜き、ギターのカッティングでめちゃくちゃにかっこいいイントロが始まる。超高速ドラムが聴く者のからだにビートを刻み込む。意志とは無関係に私のからだは全力で飛び跳ねていた。
 ここですでに20曲目、時間にして約二時間が経過している。ライブの終盤も終盤で、このマシンガンのような曲を全力で駆け抜ける4人の様子は、「余力を残す気は無い」、まさに「一途」そのものだった。

 アンコール最後の曲は定番の『サマーレイン・ダイバー』である。客席でライトが揺れるなか、常田さんの低音と井口さんの高音のハーモニーを全身に沁み込ませる。「Dance dance anyway…」という神秘的なコーラスと、歪んだギターにリズム隊の重低音のコントラストが最高に気持ちいい。

 あっという間だった。終わってほしくないという寂しい気持ちと、最高のライブが聴けた満足感、4人に会えた感激と感謝で胸がいっぱいだった。4人とも終始穏やかで楽しそうな姿が印象的で、後日雑誌のインタビューで、バンドがすごくいい状態であり、ライブの仕上がりが納得のいく状態であることを読み、ああそうか、と深く頷いた。私にとっては4人の音楽を聴くことと同じくらい、4人が幸せでいてくれることが大事。彼らの心が穏やかで作品にも満足している、それを見ているファンも満ち足りている(そのためにお金を落とすことは厭わない)、これぞ究極のwinwinだなぁと感じ入ってしまった。これからもずっと応援させてほしい。きっとまた4人に会いに来たい。そんな気持ちで代々木第一体育館を後にした。

◆『BOY』で感じた「変化」から考える常田大希の哲学

 前段で触れた、『BOY』で感じた常田さんの「変化」にまつわる思考について最後に記しておきたい。
 これまでのKing Gnuの楽曲では、世の中へのカウンターとか青春の青臭さとか人生の憂いとか、ままならないものに対するやり場のない感情が、どこか達観と諦念を持って歌われてきたように思う。けれど『BOY』は違った。
「『王様ランキング』という作品があったからこそ『BOY』が書けた」、「『BOY』はすげえ大人っぽいしすげえ子供っぽい」。常田さんはインタビューでそんなことを答えていた。とても合点した。それは私がこの曲を初めて聴いたとき、そこに明確に父性を感じたからだ。ままならなさに抗って挫けてまた足掻いて、無我夢中で走り抜ける少年を見守り励ます視点。少年は『王様ランキング』の主人公・ボッジその人であると思うし、「他の誰かになんてなれやしないよ」と書き殴ったかつての常田さん自身でもあるかもしれない。「(どっかの誰かになんて)なれやしないよな 聞き流してくれ」とやさぐれたあの頃の青年に、『BOY』の視点は「剝き出しで咲く君は 誰より素敵さ」と、「誰とも違う美しさで 笑っておくれよ」と、優しく語り掛ける。『王様ランキング』の世界観によって引き出されたものは多分にあるにせよ、それでもやはりそこに常田さん自身の変化を感じずにはいられない。

 『白日』で「忙しない日常のなかで歳だけを重ねた その向こう側に待ち受けるのは天国か地獄か」と歌った自身へのひとつのアンサーとも思える、『飛行艇』の「代り映えがしない日常の片隅で無邪気に笑っていられたらいいよな」という日常の肯定。『三文小説』でも「そのままの君でいいんだよ」と歌われており、そこには後の『BOY』に通ずるような「唯一無二のあなたを肯定したい」という常田さんの思いがすでにあったことが窺える。それでも『飛行艇』では「無意味な旅を続けようか」とどこか皮肉めいた視線であったのに対し、『BOY』では「彷徨うくらいなら一層味わい尽くしましょ 近道ばかりじゃ味気がないでしょ」とカラリとした明るさで日常のつまらなさをも楽しもうという一層ポジティブな視点に進化している。

 ただ、変化を感じるとは言っても、近年の常田さんが急速にその考え方に傾いたわけではないだろう。『Teenager Forever』(2020年1月リリースの3rdアルバム『CEREMONY』に収録されているが、楽曲が書かれたのは2019年1月リリースの2ndアルバム『Sympa』制作時より前らしい)の頃から「つまらないなかにどこまでも幸せを探すよ」「等身大のままで生きていこうぜ 歳を重ねても」と歌われており、基本的には「つまらない、ままならない現在は不自由で虚しいけれど、人生とはそういうものであり、それ自体は肯定したい」、そんな意志が感じられる。

 注目したいのが、そうして『Teenager Forever』で「現在の生」を肯定しているにも関わらず、時系列で言えば『Teenager Forever』のあとに制作された『白日』(2019年2月リリース)で、「忙しない日常のなかで歳だけを重ねた その向こう側に待ち受けるのは天国か地獄か」「後悔ばかりの人生だ」「うんざりするよ」と歌われている点である。さらに言えばそのあとの『飛行艇』(2019年8月リリース)では、「今夜愚かな杭となって」「今夜名もなき風となって」「命揺らせ」と歌っていることも思い出さなければいけない。
 つまり常田さんは「現在に対するどうしようもない虚しさ」と、「それでも今を生きる、その一瞬を尊ぶことの重要性」をループしながら創作しているのである。常に存在する背中合わせの二面性のどちらか、作品によってアプローチが異なる、と言ってもいい。

 「人生は無意味な繰り返し、でもそれすら肯定したい」。これはドイツの哲学者・ニーチェの思想に通ずるものがある。

「永劫回帰」
宇宙は永遠に循環運動を繰り返すものであるから、人間は今の一瞬一瞬を大切に生きるべきであるとする思想

「超人」
永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する存在のこと

 どちらもニーチェの代表的な思想であるが、どうだろうか、この驚くべき一致…!常田さんの歌詞からは、初期の頃から、まだ若いのにどこか達観した人間性が朧げに見えてくるような気がしていたが、偉大な哲学者と同じ思想の持ち主であったのか、と思うと妙に合点がいく。ニーチェの説いた思想は、絶対的な生の肯定なのである。

「一体未来はどうなるのかなんてことより
めくるめく今という煌めきに気づけたらいいんだ」
(『Teenager Forever』)

「いつものことさ すべて失うの
その前に今を鮮明に焼き付けて」
(『MacDonald Romance』)

「すべてを求めないで 時の流れを許して
この身を焦がしてでも 光放って」
「一瞬でいい 今だけでいい 逆らって」
(『Flash!!!』)

 ニーチェの思想を念頭に置いて読んでいくと、共鳴する歌詞がこんなにも多いのか、と驚いてしまう。虚しさに抗って、繰り返しの「今」に意味を見出していく。インタビューで常田さんが「ポジティブなエネルギーで何かを変えていきたい」と話していたことを思い出す。

 根本的な部分は初期の頃からずっと変わっていないのだろうけれど、それが『BOY』で振り切れたな、という印象はある。だから『BOY』を聴いたときに「変化」を感じたのだろう。もがいているパートにフォーカスするのか、肯定にフォーカスするのか。『BOY』は圧倒的に後者だった。

◆おわりに 

 そんな常田大希の哲学を全身で浴びることができるのがライブである。ナマモノであるライブは「今このとき、この場所の私とあなた」、つまり人生のほんの一瞬の時間と空間の共有、言ってみればそれだけである。過ぎてしまえばそこに何があったのか思い出すことすら難しくなる、「今」というのはそれくらい心許ない。だからこそ「今」に全力で向き合うのだと、ライブの4人を見ていると思うのだ。
 以前からKing Gnuのライブでは、4人があまりにも全力過ぎて刹那的な側面が強く、見ていて苦しくなるなと思っていた。今回、そのひとつの答えを見つけたような気がする。その時その場所にしか存在しえないものの共有、それが最も顕著なのが生のライブなのだ。

 どうかまだしばらくのあいだ、彼らの更新する「今」を共有させてほしい。まだまだ目撃していたい。ライブが始まったときとはまた別の「祈り」を胸に、彼らが活動を続けてくれる限り、何度でも足を運びたいと決意を新たにした夜だった。

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セットリスト
1. 飛行艇
2.千両役者
3.Vinyl
4.Sorrows
5.ユーモア
6.白日
7.破裂
8.Prayer X
9.The hole
10.泡
11.Hitman
12.三文小説
MC
13.Slumberland
14.Tokyo Rendez-Vous
15.傘
16.どろん
17.Flash!!!
18.Teenager Forever

アンコール
1.BOY
2.一途(東京公演のみ)
3.サマーレイン・ダイバー

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子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!