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多様性と美意識

世界で程度の差はあれど、多様性を認める社会に向かっているのは間違いない。

個人的には多様性は「いろんな考えがあっていい。ただしお互いに否定しない」というものだと思うが、人によって多様性の考え方はさまざま。

わざと人の迷惑になるような行動をとるような思考でない限りはある意味では「存在する限り正しい」くらいになんでもありであるべきだと思う。

実際に内面的な部分、いわゆるソフトの部分では、例えばファッション、音楽、漫画、ドラマなど、多くの分野で「多くの人に受け入れられるものが少し生き残る」から「好きな人しか知らないものが細かく存在する」状況に変わってきている。

それは多様性を社会が受け入れているからこそ。

一方で外見(ハード)はどうだろう。

清潔感、若々しさ、という誰もが共通の認識としてもつ「目指すべき」状態があると同時に、造形的な部分もかなり狭い範囲を目指しつつあるような気がしている。

例えば

  • 目を大きく

  • 鼻を高く

  • 顎はシャープに

  • 唇は厚く

  • おでこは丸く

など。

確かにこれらは多くの人が「美しい」と感じる造形かもしれないが、みんながみんなそこを目指せば必然的に全体の造形も似てくる。

「美しい顔」ではあるがそこに多様性はあるだろうか。

それまで悩んでいた外見が変わることで人生が変わることは素晴らしいことだと思う。

でもソフトの多様化が広まる中で、ハードは画一的な状態に向かうことに違和感を感じてしまう。

ファッションやメイクの世界では、これまでモデルの対象ではなかった体型や特徴の人たちが、ハイブランドのモデルとして活躍し始めた。

一方では美容医療の一般化、美容整形のハードルの低下によって、「共通の美」に向かう流れが存在している。

それさえも多様性の一部といえばそれまでだが、どうにも違和感が拭えない。

多様性の浸透と美容医療のハードルをそれぞれ曲線で表すなら、今はまさにその交差する時代。

個人的にはハード(特に顔)の美の共通認識がソフトの多様性を飲み込まないよう強く願う。

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