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自転車がなくなった

マンションの駐輪場に、自分の自転車がなかった。

「あれ?」と、瞬間的に思う。「盗まれたか?」と。

僕の自転車はクロスバイクで、数万円くらいする。盗む人がいてもおかしくない代物だった。

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僕は、頭を働かせる。おぼろげな記憶をたどってみた。

そうだ。昨日も、乗ったのだ。その時はちゃんと、あった。

だから、昨日家に帰ってから、今日乗るにかけての間。24時間も経たないこの間に、誰かに盗まれてしまったのかもしれない。

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対応は後にしよう、と思った。用事を済ませてから、対応を考えよう。

とりあえず今は、歩いて、出かけることにした。

そして外へ出ると、「あっ」。思わず声が出てしまった。

目の前のコンビニの前に、僕の自転車が置かれていた。

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僕は全てを理解した。

「あれを、あそこに置いたのは、僕だ」

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昨日は、自転車で少し出かけた。

そして、家に帰ってきたときに、コンビニに寄ったのだ。

そのコンビニから出たあと、自転車を置きっぱなしにして、歩いて家に帰ってきたのだった。

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思った。記憶っていうのは随分、はかないものだ。

昨日の出来事を、完璧なまでに記憶喪失していた。

こういう感じで、人は、いろんなことを忘れていくのだ。

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祖母は認知症だったが、徐々に病気が進行して、孫である僕の名前を忘れてしまった。その時、忘れられた僕は、とても悲しかった。

だけど、たぶん、祖母のほうが、比較にならないほど悲しかったのだと思う。

「大事なことを忘れてしまう」というのは、思い出したときのショックが計り知れない。

「自分は、こんなことも忘れてしまうの?」

その絶望は、自分に向けられたものであり、悲しみはなかなか癒えないだろう。

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記憶は、それ自体が、そのまま自己肯定感につながる。

いや、今回の出来事は、端的に言えば「ただのアホ」なのだが、この一件を通して記憶についての深い洞察が得られた。

怪我の功名といえよう。

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