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ヨーグルトのある食卓

「出てって!」

彼に、心無い言葉をぶつけたのは、もう数時間も前のことだ。私の部屋に泊まりに来ていた彼と、言い合いになってしまったのだ。

私は一人でリビングに佇みながら、ぼんやりと空中を眺めている。

***

あらゆるカップルには、「二人だけの約束」がある。

それは、記念日に行う小さなイベントかもしれないし、「毎日メッセージをする!」という些細な思いやりかもしれない。

そういう「二人だけの約束」があるおかげで、カップルは幸せを共有できる。何より、二人だけの秘密みたいで、とても楽しい。

***

ご多分に漏れず、私たちにもそんな「二人だけの約束」があった。

それは「お互いの誕生日には、どこかへ旅行に行く」という約束だ。

私は、旅行が大好きだった。

インドアな彼は、いつも乗り気ではなさそうだったけど、旅行自体は楽しんでいるようだった。

今月、私の誕生日がある。曜日は、日曜日だった。

しかし彼は、そのことを全く忘れていたのか、前日の土曜日にバイトを入れてしまったのだ。

いつもそうだけど、土曜日のシフトはとても忙しそうだ。今さら誰かに変わってもらうのは、ちょっと難しいと思う。

だから、それがきっかけとなって、言い合いになってしまった。最後に私は、彼に言い放った。

「出てって!」

彼は本当に、部屋を出ていってしまった。

***

(お腹、減ったな…。なにか食べないと…)

何時間もの間、何も食べていなかった。

冷蔵庫は空っぽな気がしたけど、いつもの癖で、とりあえず冷蔵庫を開けてみる。

するとそこには、私が普段は食べることのない、プレーンのヨーグルトが入っていた。

***

プレーンのヨーグルトは、彼の好物だった。

「そんな甘くない物、よく食べられるね」

と、彼に言ったことがある。

「甘くないからこそ、ヨーグルト本来の味が感じられるんだよ」

彼はそう言いながら、美味しそうにそれを食べるのだった。

***

まだ封の開いていない、プレーンのヨーグルト。おそらく彼が買ってきて、この冷蔵庫に入れてくれたのだろう。

普段は食べることのないそのヨーグルトを、小さなお皿に、たっぷりと盛ってみた。

そしてスプーンですくって、口に運んだ。

思ったよりも酸味が少なくて、なめらかで、ヨーグルトの風味が口いっぱいに広がった。

(たしかに意外と、おいしいかもしれない…)

***

彼のことを、もっと知りたいと思った。私が知らない世界を、彼はたくさん、知っている。

私はきっと、自分の頭で考えている以上に、彼のことが好きなのだ。

(ヨーグルトのある食卓も、悪くないかも、ね)

ポケットから、スマートフォンを取り出した。

そして、少し考えてから、シンプルに「さっきはごめんね」とだけ書いて、彼にメッセージを送った。

読んでいただきありがとうございました。また、サポートをくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます。心から嬉しいです。今後の執筆活動のために使わせていただきます。