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石の前で裸になる

これは僕がまだ結婚する前の話だ。

「最高の結婚式を挙げたい」と画策する彼女手動のもと、僕らは全国の結婚式場をまわっていた。

正直、「結婚式なんてどこでやろうが一緒だ」というのが、男の僕が率直に思うところである。女は妙なところにこだわるのだな、と。

しかし、それを彼女に言うと、「愛は、適切な場所でないと、生まれない」と妙な持論を展開して、とても話が長くなるので、意見をいろいろと言うのは諦めた。

儀式に異常なほどこだわりがある彼女に対して、僕の勝ち目は一切なかった。元々、勝つ気はなかったけれど。

***

まあ、何はともあれ、僕らはああだこうだ言いながら、いや正確に言えば、僕が「ああだ」と言って、彼女が「いやそれは違うああだこうだああだこうだ」と言いながら、全国の式場をまわった。

文句をぶつくさ言う僕だけれど、旅は好きなので、案外悪くない、と思っていたのも事実である。そして、それを承知の上で連れ回しているのが、僕の彼女という人だったように思う。

***

東京からは離れていたが、すべてを石で造られたその教会があまりにも素敵だったので、そこで結婚式を挙げることにした。いろいろと注文をつけていた彼女が、唯一、何も文句を言わなかった会場である。

しかし、申し込もうとした際に、案内人から妙な忠告を受けた。

「結婚式を正式に申し込む前に、一週間、ここに泊まりに来てください」

なんだ、それは。さすがに、そんな式場の話は聞いたことがなかった。

「なぜですか?」と僕が返す。

「ここ『石の教会』では、そういう決まりがあるのです」

「でも一週間となると、会社も休む必要があるので、理由を教えてもらえないと…」

「申し訳ないのですが、決まりなのです。ご理解いただけますでしょうか…」

案内人が頭を下げる。

申し訳なさそうに頭を下げる案内人と、断固として決意を固めている彼女がいる前では、僕に勝ち目はなかった。元々、勝つ気はなかったけれど。

***

会社からなんとか一週間の休みをもらった。そして、以前訪れた時から一ヶ月後に、僕らはまた、教会へと訪れた。

以前と同じ案内人が、出迎えてくれた。

「再度、ご足労いただき誠にありがとうございます。それでは、『場所』までご案内します・・・」

案内人が車を出すというので、僕らはそれに乗り込んだ。

その『場所』は、石の教会から車で1時間ほどのところにあった。それなりの大きさを持つ、レンガ造りの一軒家だった。

「これから一週間、お二人には、愛について、学んでいただこうと思います。最終的に、お二人には、愛の存在に触っていただきます」

「愛に触る?」

僕が返す。

「そうです。愛は質量があります。愛は手触りがあり、具体的なものです。愛には触ることができます。わかりますか?」

わかりません、と答えようとしたら、隣の彼女が

「わかります」

と強い口調で言うので、僕が言葉を発するタイミングは失われた。まったく。

***

そのレンガ造りの一軒家では、朝に祈りを捧げる時間が設けられた。朝食を食べる前の30分ほど、実に長い時間を使って、僕と彼女は祈りを捧げた。

そして午前中は、案内人からの講義のようなものを受けた。それは愛についてだったり、結婚についてだったりした。この案内人は、「案内人」と心の中で呼んでいたけれど、もしかして「牧師」なのではないか、とこのあたりで思い始めた。

講義を聞いた後、いつも僕と彼女と二人でディスカッションする時間が与えられた。そうやって、二人で哲学的な問題について真剣に議論する時間というのは、これまであまりなかった気がした。つまり、とても楽しかった。

午後は、主に農業を手伝った。家の裏側が大きな畑になっており、そこで僕らは畑を耕したり、収穫をしたり、様々なことをした。「なぜこの場所で労働をしているんだろう?」と時々疑問に思ったが、案内人に言わせると、農業も重要なミッションらしかった。

普段のオフィスワークから離れたその生活は、とても健康的で、まるで修道院みたいだな、と感じた。

***

最終日。

いつものように講義を聞き、午後の農作業を終えた後、案内人が、言った。

「お二人とも、お疲れ様でした。今日はこの後、『石の教会』へと行きます。そこで最後の、儀式があります」

僕らは車に乗って、初日に来たときと同じ道を辿って、『石の教会』へと向かった。

『石の教会』はその名前通り、そのほとんどが石で造られた教会だった。

二人が誓い合う祭壇のスペースは、天井の一部がガラスで造られており、夕焼けの光がそこに綺麗に差し込んでいた。

光をまとったそのスペースは、神秘的だった。

そして、案内人が言った。

「ではお二人とも、石の前で裸になってください」

「裸に?」

僕は面食らって、聞き返した。

「あ、もちろん私は見えないところにいきますので、ご安心ください。

裸になった後は、その石の前で、抱き合ってください。時間は特に決まりがありません。終わったら、洋服を着て、さっき私達がいたところへ戻ってきてください」

そういうと案内人はその場から立ち去ってしまった。

「なんだこれは?」というのが僕の頭にある思いだった。

彼女の方を見ても、たしかに腑に落ちない、という感じの表情を浮かべていた。僕は彼女と見つめ合って、だけどしばらくして、「やるか」と心を固めた。

それから洋服を脱ぎ、僕らは、石の前で裸になった。

裸で抱擁すると、不思議な感覚になった。

石という自然を前にして裸になるという行為は、無防備で、人間的ではないような気がした。

しかし、それは違った。僕らは生まれてくるずっとずっと前から、こういう風に、自然と一体化していたのだ。

少しひんやりとした空間の中で、彼女の肌が持つぬくもりは、本物だった。

「もしかすると…」とひとつの思いが湧いてきた。案内人が最初に言っていた「愛の存在に触る」という言葉は、このことを言っていたのだろうか?

そうなのだとしたら、たしかに僕は、今、愛に触っている。

***

どれくらい時間が経ったのか、覚えていない。ガラスから差し込んでいた光は、ほとんどなくなっていた。

抱擁を終えた僕らは、やがて、置いてあった洋服を着始めた。

すると、ズボンのポケットに、何やら重みを感じた。

ポケットに手を入れると、拳より一回り小さいくらいの、石が入っていた。ゴツゴツしていて、それでも手触りは滑らかで、なんだか心臓みたいだな、と思った。

彼女の方を見ると、同じように石を片手に持っていて、不思議そうにそれを見つめていた。

***

あれから10年以上経ったけれど、僕はときどき、この一週間について思い出す。

昨日の出来事だったかのようなリアリティもあるし、逆に、全てが夢だったかのような気持ちにもなる。

あの儀式があったおかげかそうでないかは定かではないが、いまのところ、僕らは夫婦として順調にやっている。

そして、あの時ポケットに入っていた石は、僕たちの家の玄関で、今も大事に飾られている。


※この物語はフィクションです。

***

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