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「共感」の定義は変更されていた


最近のSNSやマーケティングの中で頻出するキーワードに「共感」があります。
他者の体験や表現を見聞きし、自分も同様の体験や想いをしたことがあるという認識にもとづいて「わかる」と反応することを指して、このキーワードが使われることが主流になっているように思います。

カウンセリングやコーチングなどの対話を中心とした支援でも、この「共感」という言葉が登場しますが、世間とは別の意味合いで使われています。

上述の内容との対比でいえば、自身の体験にもとづかず、他者の体験について推し量って作られる理解を指しています。

このように、対話の支援における共感は、少し複雑な意味合いになっていますが、共感の定義は、カウンセラー養成やコーチングのトレーニングの中で、詳細に共有されることは少ないように思います。

支援における共感は、ロジャーズのパーソン・センタード・アプローチ(来談者中心療法)を参考にしていることが、通例になっているといえるでしょう。

ロジャーズの理論にある共感(または共感的理解)という言葉は、傾聴の文脈でよく扱われますが、一般に広まっているロジャーズの共感の定義は、ロジャーズ本人が晩年に修正する前の定義になっていることがほとんどです。

ロジャーズの理論は、わかりやすい言葉で書かれたこともあって、多くの誤解をされて広まりました。そのため、いくつかの定義を自ら修正していったのです。

ここまでの背景をとってみても、「共感」の意味合いを改めて明確にしておくことは、意義がありそうです。

今回は、ロジャーズが示した「共感」や「共感的理解」の定義の変更を時系列でみていくことで、どのような意味で、それによって何をしていくのかについて整理し、詳しくご紹介していきます。


1.時系列でみる共感の定義

まず、すでに共感の定義についてご存知の方にとってはおさらいになりますが、日本にも広まっている共感の定義について確認します。

どのように変更されたかをおさえるためにも、時系列でみていきます。

1-1.1957年の定義

「共感的理解/共感」の定義の紹介として、ロジャーズが1957年に発表した「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件(通称:必要十分条件)」の中で示された内容が、よく利用されています。

この当時のロジャーズが解説した共感についての箇所を、整理して以下にご紹介します。

1957年の定義

ちなみに、整理した引用部分は、次の通りです。

第5の条件は、クライエントの気づきについて、そして自己自身の経験について、 正確なそして共感的理解を体験しているということである。クライエントの私的世界をそれが自分自身の世界であるかのように感じとり、しかも「あたかも......のごとく」という性質("as if" quality)をけっして失わないーーこれが共感なのであって、これこそセラピーの本質的なものであると思われる。
クライエントの怒り、恐れ、あるいは混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように感じ、しかもそのなかに自分自身の怒り、恐れ、混乱を捲き込ませていないということが、私たちが述べようとしている条件なのである。
クライエントの世界がこのようにセラピストにはっきりと映り、セラピストがクライエントの世界のなかを自由に歩きまわるとき、セラピストは、クライエントにはっきりしているものを自分が理解していることを伝えることができるばかりではなく、クライエントがほとんど気づいていない自分の経験の意味を言葉にして述べることもできるのである。

(1)


1-2.1959年の定義

日本でロジャーズの理論が翻訳された当初、共感という訳ではなく「感情移入」や、共感的理解に対応するものは「感情移入的理解」と訳されていました。

1959年の定義に関しても、著者がまとめたものを以下にご紹介します。

1959年の定義

まとめる際に参考にした文章は、次の通りです。

感情移入とか、感情移入的であるという状態は、他人の内部的照合枠を正確に知覚することであり、それに付着している情動的要素や意味をも知覚することである。その際に、自分はあたかもその人であるかのようになるのだが、しかも決して“あたかも……のような”という条件を失わない状態である。したがって、感情移入とは、他人の苦しみや喜びをその人が感じているように感じ、その原因についても、その人が知覚しているように感じとることである。しかも、その時、あたかも自分が苦しんだり喜んだりしているかのようであるという認識を決して失うことがない状態である。もし、この“あたかも・・のように”という性質がなくなるならば、それは同一化の状態である。

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1-3.1980年の新しい「共感」定義

ここからは、ロジャーズが晩年に定義し直した内容を確認していきます。

1980年の定義

1980年の内容は、次の通りです。

「今ではそれを『共感という状態』と定義しません。それは過程であって状態ではないと思うからです。この特性をとらえることが出来ると思います。
他者に対して共感的であるあり方はいくつかの側面を有します。それは、他者が私的に知覚する世界に入り込みそこで居心地よく感じることを意味します。他者の内部を流れゆく瞬間ごとに変化する感じをつかむこと、その個人が体験しつつあるものが恐れ、怒り、やさしさ、困惑等何であろうとつかむ事を意味します。つまり個人がほとんど認識していない意味を感じとり、それでいて無意識の感情を暴露することはあまりにも脅威的なので行わないのです。それは、ある個人が恐怖感を抱いている事柄を新鮮な恐れのない目で見つめ感じとり、それを伝えていくことを含みます。あなたが感じとったままをその個人と共によく検討し、相手から受けとる反応によって歩んでいくことを意味します。あなたは相手の体験過程というこの役立つ指標に焦点を当て、その意味を十分に体験し、その経験の中で前進とするよう援助するのです。
他者とそのように生きることは、しばらくの間あなたは自己の視点や価値観を脇において偏見を捨てて他者の世界にはいりこむ事を意味します。これは、たとえ他者の奇妙で見慣れない世界にはいりこんでも混乱したりせず、望むなら自分の世界に気持ちよくもどることのできる安定した個人のみが行えることです。」

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2.変更された定義の確認

1957年と1959年の共感の定義を、旧定義とした場合、再定義された1980年の共感の定義は新定義といえます。

この新旧において、具体的にどのような変更がなされたのかを「修正された点」「追加された点」に分けてみていきます。

2-1.修正された点

修正ポイントは、大きく2つあります。

まず1つ目のポイントですが、下記のように整理できます。

変更前:共感は、支援者の状態を指す。
変更後:共感は、対話のプロセスを指す。

共感が「態度」から「プロセス」に変更されましたが、そのことは新定義全体に見受けられます。

一例を挙げると「他者の内部を流れゆく瞬間ごとに変化する感じをつかむこと」にみることができ、一回一回の支援者の応答が共感的なものになっているかどうかを意味するものではなく、クライエントが認識する変化を絶えず捉えてイメージしていくことになります。

2つ目の修正ポイントですが、下記のように引用して比較すると明らかです。

変更前:セラピストは、クライエントにはっきりしているものを自分が理解していることを伝えることができるばかりではなく、クライエントがほとんど気づいていない自分の経験の意味を言葉にして述べることもできるのである。

変更後:つまり個人がほとんど認識していない意味を感じとり、それでいて無意識の感情を暴露することはあまりにも脅威的なので行わないのです。

これは、クライエントが語っていないクライエントの内面にあることを、カウンセラーやコーチといった支援者が伝えることはしないということを指しています。

この部分について、具体的に説明します。

クライエントが語っていく内容をイメージしながら聞いて、そこで感じ取ったことを支援者がクライエントに伝えて確認し、イメージをよりクライエントが認識している内容に近づけていきます。

クライエントの意識にのぼると心理的葛藤が起きるような内容は、防衛反応として認識しないようになっていますが、支援者が確認をとって近づけたクライエントについての理解は、「もしかしたら、こういうことが背景にあるから、それが起きているのでは?」と支援者の脳裏に連想させることがあります。この連想内容が、葛藤を起こすような内容であった場合、支援者がそれを伝えた途端、このクライエントに葛藤を起こして、自己構造が崩壊する脅威が生じてしまうことが予想されます。

このことからロジャーズは「無意識の感情を暴露することはあまりにも脅威的なので行わないのです。」と、定義を改めています。

2-2.追加された点

再定義された共感の定義ですが、新しく追加されたものに下記のものがあります。

「感じとったままをその個人と共によく検討し、相手から受けとる反応によって歩んでいくこと」

この文章には、共感がプロセスであることが明確に表れています。
また、共感的であるために、具体的に何をしていくのかが、この一文に明確に示されているのです。

わかりやすくするために、支援者と利用者の対話で解説します。

利用者が悩んでいる内容を話した後の会話

支援者1:「お話を伺っていて、責任感に押し潰されそうな心地を感じたのですが、実際のところはまた違いますか」
利用者1:「責任に押し潰されそうというより、焦りですね。このままじゃマズイ、どうにかしなきゃって」
支援者2:「その状況に、焦りを感じていたんですね」
利用者2:「はい。自分で話していて、焦りを感じるほど、それが危機的状況であると見なしていたんだなって思いました」

支援者1&利用者1の部分は「感じとったままをその個人と共によく検討し」がよく表れています。

また、支援者2&利用者2の部分は「相手から受けとる反応によって歩んでいくこと」に対応しているといえるでしょう。

このように、対話を発展させていくわけですが、利用者の反応を軸に、支援者と利用者が協同的に話し合うプロセスこそが、共感の営みであることを、晩年のロジャーズは強調していたのです。


3.おわりに

ここまで「共感/共感的理解」の定義についてみてきましたが、いかがだったでしょうか。

蛇足になるかもしれませんが、ロジャーズは理論が世の中に広まっていくにつれ、支援者の呼び方も変えていきました。

当初はセラピストという呼び方をしていたのを、カウンセラーという言葉に変えて一般に広めました。
そして、次第にカウンセラーという言葉の使用頻度も減って「あなた(You)」という平たい表現になっていきました。

この理由についてはっきり述べられていませんが、ロジャーズは行動主義のアプローチや精神療法のような権威者中心のアプローチに否定的だったことから、支援者と利用者の立場をできる限り公平にしようとした表れとして、呼び方が変化していったものと考えることができます。

それを示唆している文章に、下記のものがあります。

「そこで、権威者ではなくひとりひとりの個人に権威を分配する行き方に注目する人々の側に立って共感の意味やそれについて解っていることを提示することを嬉しく思ってきました。共感の意味を価値づける時期が熟していると思われるのです。」

(4)

個人に権威を分配するという表現からも、共感のあり方をとても重視していたことが伺えます。

【引用文献】

(1)Rogers, C.R.,1957,The necessary and suffi cient conditions of therapeutic personality change. Journal of Consulting Psychology, 21(2),95-103. カール・R・ロジャーズ,伊東博(訳),2001,セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件,カーシェンバウム&ヘンダーソン(編),ロジャーズ選集(上),誠信書房,p.274.
(2)Rogers,C.R.,1959,A Theory of Therapy, Personality, and Interpersonal Relationships, as Developed in the Client-Centered Framework. In Koch,S ed., Psychology, A Study of a Science. Vol. 3. Formulations of the Person and the Social Context.McGraw-Hill,pp.184-256.(畠瀬稔他訳,1967,クライエント中心療法の立場から発展したセラピィ、パースナリティおよび対人関係の理論,伊東博編訳,ロージャズ全集8,パースナリティ理論,岩崎学術出版社,pp.165-278.)(3)Rogers.C.R.1980,A Way of Being.Houghton Mifflin.(瀬直子監訳,1984,人間尊重の心理学:わが人生と思想を語る,創元社,pp.133-134.
(4)Rogers.C.R.1980,A Way of Being.Houghton Mifflin.(瀬直子監訳,1984,人間尊重の心理学:わが人生と思想を語る,創元社,p.131.


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